酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲







悲しみの連鎖




 中山王(ちゅうさんおう)の孫、チューマチと山北王(さんほくおう)の娘、マナビーの婚礼は大成功に終わった。

 サハチたちが会同館(かいどうかん)でお祝いの宴をやっていた時、開放された首里(すい)グスクの西曲輪(いりくるわ)北曲輪(にしくるわ)では、城下の者たちが祝い酒を飲み、御内原(うーちばる)では、高橋殿のお陰で呑兵衛(のんべえ)になったササたちに勧められて、女たちが祝い酒を楽しんでいた。西曲輪内のサムレー屋敷でも、任務を終えたサムレーたちが祝い酒を飲み、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクでも、佐敷グスクでも、平田グスクでも、与那原(ゆなばる)グスクでも祝い酒を飲んでいた。そして、各按司たちのグスクでも、家臣たちが婚礼を祝って酒を飲み、今帰仁(なきじん)グスクでも、山北王が重臣たちを集めて祝い酒を飲んでいた。

 新郎新婦は宴の途中で会同館をあとにして、マチルギと佐敷ヌルの案内で、島添大里按司の屋敷に入って初夜を迎え、翌日、島添大里グスクの近くにできたミーグスク(新グスク)に入った。

 小さなグスクだとマナビーは思った。でも、グスクからの眺めはよかった。そして、グスク内に的場(まとば)があり、近くには馬場もあった。今帰仁から連れて来た愛馬のカーギーも馬場にいて、マナビーが来るのを待っていた。マナビーはカーギーに乗って馬場を走った。

 島添大里グスクに行って、女子(いなぐ)サムレーと剣術の試合もした。剣術では負けたが、弓矢では勝った。しかし、マナビーよりも弓矢がうまい者がいた。信じられなかったが、マナビーよりも凄い腕を持っていた。兄嫁のチミーだった。チミーに負けたマナビーはミーグスクに帰って、悔し涙を流しながら弓矢を射続けた。

 いつの間に来たのか、義母となったマチルギが声を掛けて来た。

「わたしも負けた時は悔しかったわ」とマチルギは言った。

「でもね、競争相手がいるというのは素晴らしい事なのよ。お互いに腕を磨き合えるわ。あなたは才能があるのだから、その才能を伸ばしなさい。ここには武芸の名人たちが揃っているわ。島添大里グスクには佐敷ヌル、佐敷グスクにはササ、島添大里の城下には慈恩禅師(じおんぜんじ)殿がいるし、与那原グスクにはヂャンサンフォン殿がいるわ」

「ヂャンサンフォン‥‥‥」

 マナビーはヂャンサンフォンの事はテーラーから聞いていた。明国の拳術の名人のテーラーが、師匠と仰いでいる人だった。

「ヂャンサンフォン殿が編み出した『武当拳(ウーダンけん)』は女子サムレーたちも毎朝、お稽古をしているわ。あなたも一緒にお稽古をしてみるといいわ」

 夕方、もう一度、島添大里グスクに行ったマナビーは驚いた。東曲輪(あがりくるわ)に大勢の娘たちが集まって、剣術の稽古をしていた。皆、マナビーと同じ年頃の娘たちばかりだった。その中に、チミーもいた。

「一緒にやりましょ」とチミーは言った。

「弓矢は得意なんだけど、剣術はあたしよりも強い人がいっぱいいるの。去年の四月に、あたしはここに嫁いで来たんだけど、ここは凄い所よ」

 マナビーはチミーに誘われるまま、剣術の稽古に参加して、稽古のあとは娘たちから質問攻めにあった。うっとうしいと思いながらも、楽しい一時でもあった。

 帰り道、侍女たちから、「あんな娘たちと一緒に剣術のお稽古をなさってよろしいのですか」と言われた。

「山北王の王女様(うみないび)が庶民の娘たちと一緒にお稽古するなんて、今帰仁では考えられない事ですよ」

「今帰仁にはあんな娘たちはいないわ」とマナビーは言った。

「あたし、知っているのよ。今帰仁の人たちはあたしの事をお転婆娘(あばーさー)って陰口を言っていたわ。母でさえ、娘に武芸は必要ないって言っていた。でも、ここでは違うわ。奥方様(うなじゃら)が先頭に立って、お転婆娘だったのよ。今帰仁にいた時、あたし、いつも回りの目を気にしていたわ。王女様って呼びながらも、陰に隠れて、しょうがないお転婆娘だって言っていた。ここでは回りを気にしないで生きていけるわ。自分の好きなように生きて行けるような気がするのよ。あなたたちも明日から一緒にお稽古するのよ。いいわね」

「わかりました」と返事をしながら、内心では、侍女たちも面白い所に来たと少し喜んでいた。

 その晩、ササたちがミーグスクにやって来た。明国の娘や南蛮(なんばん)(東南アジア)の娘、ヤマトゥンチュ(日本人)の娘も一緒にいて、マナビーはササたちに圧倒された。今帰仁にも唐人(とーんちゅ)やヤマトゥンチュはいるが、娘は見た事がなかった。明国の娘は琉球の言葉もしゃべれ、南蛮の娘の話を通訳していた。マナビーはササたちにお酒を飲まされ、酔い潰れてしまった。

 翌朝、ササに起こされ、みんなで『武当拳』の稽古をした。ササと一緒に来た女たちは皆、武当拳の名人だった。一緒に稽古をしながら、凄い所に来たとマナビーは改めて思っていた。稽古のあと、マナビーはササたちと一緒に、島添大里グスクに行き、佐敷ヌルたちと一緒に、お祭り(うまちー)の準備を手伝った。島添大里グスクのお祭りは十日後なので、忙しかった。

 その翌日、浮島から進貢船(しんくんしん)が出帆した。正使は具志頭大親(ぐしかみうふや)、サムレー大将は十番組の苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)で、十番組のジルムイ、マウシ、シラー、ウハが仲よく一緒に明国に行った。クグルーと馬天(ばてぃん)のシタルーも従者として行った。ジャワの船も進貢船に付いて行き、ササたちはスヒターたちと再会を約束して別れた。

 島添大里のお祭りの前日、クマヌが奥さんを連れて首里にやって来た。クマヌは十日前に、中グスク按司を養子のムタに譲って隠居していた。奥さんに首里の賑わいを見せるためと、孫娘のユミに会わせるためにやって来たのだった。マチルギはクマヌの奥さんとの再会を喜んだ。マチルギが初めて佐敷に来た時、お世話になったのがクマヌの奥さんだった。マチルギは、お腹の大きくなったユミがいる御内原に案内した。クマヌは龍天閣(りゅうてぃんかく)で、思紹(ししょう)と昔話に花を咲かせた。

 翌日、マチルギがクマヌ夫婦を島添大里グスクに連れて来て、クマヌ夫婦はお祭りを楽しんだ。ンマムイ夫婦もサキとミヨの母子(おやこ)を連れてやって来た。サキとミヨはンマムイに呼ばれて、(かに)グスクに滞在していた。サハチは心配したが、ンマムイとサキは勘ぐるような仲ではなく、土寄浦(つちよりうら)で武当拳を二人に教えていただけだったらしい。ンマムイの妻のマハニも二人に刺激されて、武当拳を始めたという

 お芝居は『かぐや姫』だった。かぐや姫を演じたのは、何とハルだった。首里のお祭りのあと、チューマチの婚礼があったため、佐敷の女子サムレーも何かと忙しく、充分にお芝居の稽古をする事ができなかった。それで、ハルが主役をやる事に決まったのだった。主役のかぐや姫さえしっかりしていれば、あとは何とかなりそうだった。首里で婚礼が行なわれていた時も、ハルは島添大里で留守番をしながら、お芝居の稽古に励んでいた。

 小柄で可愛い顔をしたハルのかぐや姫は、まさに、はまり役だった。言い寄る男たちを手玉に取って、観客を笑わせ、その時々の表情を微妙に変えて、目の動きや手の動きで感情を表現していた。そして、月に帰る場面では、物見櫓(ものみやぐら)に吊り上げられたが、まったく自然に演じていて、本当に空中に浮き上がって行くように見えた。観客たちの拍手はいつまでも鳴りやまなかった。

 お芝居を観ていたサスカサも素直に、ハルに拍手を送り、久高島の大里ヌルにも観せてあげたいと思っていた。マナビーも侍女たちも、初めてお芝居を観て感動していた。サハチもクマヌ、サイムンタルーと酒を飲みながら、ミナミたちと一緒に観て、ハルの演技には感心していた。

 お祭りの翌日、山北王の兵五十人がやって来て、マナビーを守るためにミーグスクに入った。大将として兵を率いて来たのは仲尾大主(なこーうふぬし)だった。マナビーは仲尾大主をお爺と呼び、再会を喜んだが、お爺が来た事に驚いた。

 仲尾大主は羽地按司(はにじあじ)の弟で、十六歳の時、今帰仁に行き、伯父の山北王(帕尼芝(はにじ))に仕えた。帕尼芝の死後、(みん)に仕え、珉の死後は攀安知(はんあんち)を補佐して来た重臣の一人だった。攀安知が山北王になって、うるさい事を言う重臣たちは次々に遠ざけられた。最後に残ったのが仲尾大主で、とうとう、仲尾大主も遠ざけられてしまったのだった。

「お爺がどうして、こんな所に来るの?」とマナビーは不思議に思って聞いた。

「世代交代というやつじゃよ。わしは倅に跡を譲ったんじゃ。かといって隠居するほど老いぼれてはおらんので、王女様を守るために南部までやって来たんじゃよ。どうじゃな、新しい土地の居心地は?」

「ここはあたしにぴったりの所よ。毎日が楽しいわ」

「ほう」と仲尾大主は驚いた顔を見せた。

「寂しがっておいでじゃと思っておったが、それはよかったのう」

 マナビーはうなづき、「ここにはお転婆娘がいっぱいいるのよ」と楽しそうに笑った。

 三月三日、恒例の久高島参詣が行なわれ、イト、ユキ、ミナミも一緒に行った。留守番のサハチは石屋のクムンと一緒に、首里グスクの北曲輪の土塁を見て歩き、石垣に変更するための指示を与えた。

 クムンたちは島添大里のミーグスクの石垣を見事に積み上げ、サハチが思っていた以上の出来映えだった。サハチは思紹と相談して、北曲輪の石垣をクムンたちに任せる事に決めたのだった。土塁を崩さなければならないので大仕事だが、将来の事を思えば、今のうちに石垣にした方がよかった。領内から人足を集め、特別手当を与えて、半年間で完成させる予定でいた。クムンたちだけでは石屋が足りないので、玉グスクの石屋にも手伝ってもらう事になっていた。

 久高島から帰って来たササたちは、今回は特に騒ぐ事もなかった。久高島の神様から頼まれた事もなかったようで、今年はヤマトゥへは行かないとササが言い出しはしないかとサハチは心配した。ササたちはこの時期だけ別れて行動し、丸太引きのお祭りのための稽古を始めた。

 今年のサスカサは張り切っていた。ヤマトゥ旅に行って自信を付けたのか、綱を引くサムレーたちに(げき)を飛ばしていた。その姿が母親によく似ていて、サハチは頼もしいやら恐ろしいやら、複雑な思いで娘を見ていた。

 三月の半ば、去年の十一月に行った進貢船が無事に帰って来た。タブチは正使を立派に務め、副使を務めた越来大親(ぐいくうふや)は、タブチから色々と教わって勉強になったと喜んでいた。初めて明国に行ったナーグスク大主(うふぬし)(伊敷按司)と山グスク大主(真壁按司)は、辛い旅だったが、行って来てよかったと感激していた。

 応天府(おうてんふ)(南京)から帰って来たら、泉州の来遠駅(らいえんえき)山南王(さんなんおう)の従者たちと会ったとタブチは言った。

 山南王は去年の暮れ、ようやく進貢船を出していた。正使は(うふ)グスク大親で、大グスク大親は正使の座が欲しくて、宇座按司(うーじゃあじ)の倅のタキを追い出したに違いなかった。大グスク大親とは入れ違いになったようで、会う事はなかったという。同盟を結んだお陰か、来遠駅では、みんな、仲よくやっていたらしい。

 いつものように、会同館で帰国祝いの宴をやって帰国者たちをねぎらった。ヂャンサンフォンも二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)を連れてやって来て参加した。ヂャンサンフォンの顔を見ると、永楽帝(えいらくてい)武当山(ウーダンシャン)の再建を始めるようだとタブチは言った。

 サハチは建物の残骸だらけだった武当山を思い出して、「本当なのですか」と聞いた。

「ヂャンサンフォン殿が武当山に帰って来たと、何年か前に大騒ぎになったそうじゃ。ヂャンサンフォン殿は何とかという偉い道士を一緒に連れていて、ヂャンサンフォン殿の弟子たちとその偉い道士の弟子たちが大勢集まって来て、武当山を再建しようとしたらしい。その噂を聞いた永楽帝は、武当山の再建を考えたようじゃ。何でも、永楽帝は真武神(ジェンウーシェン)の化身だと言われていて、真武神を祀る武当山を再建するのは、自分の役目だと思ったようじゃな」

「真武神か‥‥‥」

 サハチはファイチの家で見つけた小さな真武神の木像を思い出し、そして、武当山の山頂に鎮座していた神々しい真武神も思い出した。

「お山の者たちも喜んでおるじゃろう」とヂャンサンフォンは笑った。

「そなたからヂャンサンフォン殿が琉球にいる事は黙っていてくれと言われたので、黙っておったが、一緒に行った者たち全員の口をふさぐ事はできんからな。いつの日か、わかってしまうんじゃないかのう」

「なに、見つかったら、また、どこかに逃げるさ」とヂャンサンフォンは笑っているが、サハチはヂャンサンフォンを琉球から離したくはなかった。

 右馬助は琉球に来て一年余りが過ぎたのに、ずっと運玉森(うんたまむい)の山の中で修行を積んでいた。髪も髭も伸びて、若いくせに仙人のような顔をしている。ササより一つ年上なので、二人がうまくいけばいいとサハチは願っていたのだが、お互いに興味がないらしい。

「修行は順調ですか」とサハチが聞くと、右馬助は首を振って、「うまくいきません」と答えた。

「気分転換のつもりで、首里に出て来たのです」

「サハチ殿、こいつを綺麗どころがいる所に連れて行ってくれんか。奴は今、修行というものに囚われておるんじゃ。何事も囚われの身となったら上達はせん。何もかも忘れ去る事も必要なんじゃよ。綺麗な女子(いなぐ)と酒を飲みながら馬鹿な事を言って笑えば、心も解放されるじゃろう」

 サハチはうなづいて、「このあと、『宇久真(うくま)』にくり出しましょう」と言って、マユミを見た。

「まあ、嬉しい」とマユミは喜んだ。

 次の日の午後、島添大里に帰ると、玉グスク按司が倒れたと騒いでいた。今朝、玉グスクの若按司から知らせがあって、平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)夫婦がお見舞いに出掛けて行ったという。

「玉グスク按司はいくつなんだ?」とサハチはナツに聞いた。

「六十三だそうです」

「六十三か‥‥‥寿命かもしれんな」

 そう言いながら、サハチは初めて玉グスク按司と出会った時の事を思い出していた。

 玉グスクのお姫様だったウミチルがヤグルーに嫁いだあと、サハチは玉グスクに挨拶に行った。今思えば、あの時、完全に孤立していた佐敷按司のもとに娘を嫁がせるなんて、無謀とも思える事をよく決心したものだった。あの時、玉グスクと結ばなければ、今のサハチはいなかったかもしれない。玉グスクヌルのお告げがあったと言っていた。サハチはふと、豊玉姫(とよたまひめ)を思い出した。豊玉姫は玉グスクのヌルだった。お告げを下した神様は豊玉姫だったのかもしれないと思い、サハチは改めて、豊玉姫に感謝した。

 次の日、玉グスク按司は亡くなった。サハチは弔問(ちょうもん)に行った。玉グスク按司は中山王に感謝して、安らかに眠るように亡くなったという。毎年、従者として、倅や家臣たちを明国まで連れて行ってもらい、交易をして、玉グスクも以前のように賑わってきた。これからも中山王に従って行くようにと若按司を諭したという。サハチはヤグルー夫婦にあとの事を任せて帰って来た。

 島添大里グスクに帰ると、クマヌが倒れたと騒いでいた。サハチには信じられなかった。島添大里のお祭りの時、あんなにも元気だった。山伏姿になって、昔の仲間に会いに行くと言っていた。あれからまだ一月と経っていなかった。

 サハチはすぐに中グスクに向かった。

 勝連(かちりん)から按司夫婦が来ていた。首里から東行法師(とうぎょうほうし)姿の思紹、マチルギ、ジルムイの妻のユミも来ていた。ユミは大きなおなかをしていたが、馬に揺られてやって来ていた。サイムンタルーとヒューガも来ていた。馬天ヌルも来ていて、中グスクヌル、久場(くば)ヌルと一緒にお祈りしているという。

「旅から帰って来て、旅の疲れが出たみたい」とマチルギは言った。

 サハチはうなづいて、クマヌが休んでいる部屋に行った。クマヌは横になったまま、娘のマチルーと話をしていたが、サハチの顔を見ると上体を起こして、軽く笑った。

「懐かしい顔に会って来たぞ」とクマヌは楽しそうに言った。

伊波(いーふぁ)に行って伊波按司を偲んだんじゃ。山田に行って、三年前に亡くなったクラマを偲んで、毘沙門天(びしゃむんてぃん)のお堂に籠もった。今帰仁に行って、『よろずや』のイブキと酒を飲み、山北王に仕えているアタグとも酒を飲んだ。アタグはわしが中グスク按司になったと聞いて、目を丸くして驚いておったわ。そして、奥間(うくま)に行って、アサと会った。お互いに年を取っていて、再会を喜び合ったよ。アサが産んだわしの息子と娘にも会った。息子はサタルーのために、裏の組織『赤丸党』というのを作って活躍しているようじゃ。娘は武寧(ぶねい)の側室になって、息子を一人産んだんだが殺されて、奥間に戻って来た。今では側室になる娘たちの指導をしているという。アサから聞いたんじゃが、王様(うしゅがなしめー)の娘も生まれていて、今、山北王の側室になって、今帰仁にいるようじゃ」

「親父の娘が山北王の側室になっているのか」とサハチは驚いた顔でクマヌを見つめた。

「わしも驚いたわ。三年前、山北王が徳之島(とぅくぬしま)を占領した時、お祝いとして贈ったようじゃ」

「親父の娘が今帰仁グスクにいたとは驚いた。親父には話したのですか」

 クマヌはうなづいた。

「王様も口をポカンと開けて驚いていた。そして、今帰仁攻めに使えると言っておった。それと、マサンルーの倅も生まれていて、サタルーに仕えているそうじゃ」

「マサンルーの倅もいたのか」

「王様の娘はミサ、マサンルーの倅はクジルーという名じゃ。奥間からさらに北に行くつもりじゃったんだが、年齢(とし)には勝てん。奥間から引き返して来て、帰ったらどっと疲れが出てきたんじゃよ。浮島のハリマにも会いたかったんじゃがのう」

「浮島はすぐですよ。疲れを取ったら行ってくればいい」

 クマヌは笑って横になった。

 大丈夫そうだとサハチは安心した。眠ったようなので、マチルーに任せて、サハチは部屋から出た。

 みんなのいる部屋に戻ると、クマヌの思い出話をして笑っていた。サハチも話に加わった。

「クマヌはわしの師匠じゃった」と思紹は言った。

 サハチにとってもクマヌは師匠だった。物心ついた頃からクマヌはずっとそばにいた。色々な事を教わった。クマヌに連れられて、サイムンタルーとヒューガと一緒に旅をした時の事が、まるで、昨日の事のように思い出された。マチルギと出会ったのも、クマヌが伊波按司と親しくしていたからだった。そして、サハチがヤマトゥに行っている留守に、マチルギが佐敷に来たのも、クマヌがいたからだった。クマヌが琉球に来なかったら、今のサハチはいなかったに違いない。祖父の跡を継いで、馬天浜で鮫皮(さみがー)を作っていたかもしれなかった。

 次の日の朝、クマヌは目覚めなかった。眠ったまま亡くなってしまった。サハチはあまりの衝撃に呆然となったまま、言葉も出なかった。

「主人は死を悟っていたのだと思います」とクマヌの奥さんが言って、サハチにクマヌが残した手紙を渡した。

「わしは幸せじゃった」と言っておりました。

 そう言って、涙を拭うと奥さんは去って行った。

 サハチは屋敷から出て、海を眺めた。

「中グスクはいい所じゃ。毎朝、綺麗な海が眺められるだけで幸せじゃよ」とクマヌが口癖のように言っていたのをサハチは思い出していた。

 サハチは手紙を広げた。しっかりした字で書いてあった。

「そなたは人を引き付ける不思議な力を持っている。そなたには自覚はないだろうが、そなたのその力によって大勢の者たちが、そなたの周りに集まって来ている。ヒューガ、ウニタキ、ファイチ、ヂャンサンフォン殿、ジクー禅師、慈恩禅師、八重瀬按司(えーじあじ)、兼グスク按司、海賊の三姉妹、数え上げたらきりがない。わしもその中のひとりだ。そなたが生きている間は今のままでも大丈夫だが、そなたが亡くなったあとの事も考えておけ。子供たちのために災いはすべて取り除け。人の上に立つ者は、時には鬼になる事も必要だ。楽しい日々をありがとう」

 サハチはクマヌの最期の教えを読みながら泣いていた。

 サハチは海に向かって、「クマヌ」と叫んだ。

 翌日は丸太引きのお祭りだった。思紹、馬天ヌル、マチルギは首里に帰って行った。

 サスカサの気合いがサムレーたちに通じたのか、今年は島添大里が優勝した。丸太引きのお祭りを初めて見たイハチの妻のチミー、チューマチの妻のマナビー、そして、サハチの側室のハルは、丸太の上で跳んだり跳ねているサスカサたちを見て驚いていた。

 サハチは島添大里グスクに帰っても呆然としていて、クマヌの死からなかなか立ち直れなかった。

 丸太引きのお祭りの二日後、ンマムイの兼グスクに今帰仁から使者が来て、志慶真(しじま)の長老の死を伝えた。ンマムイ夫婦とチューマチ夫婦がテーラーと一緒に今帰仁に向かった。クマヌの死を知って帰って来たウニタキに、チューマチたちの護衛をサハチは頼んだ。

 チューマチたちが今帰仁に滞在中、羽地按司が亡くなった。チューマチ夫婦と一緒に行った仲尾大主が兄の葬儀に向かったので、チューマチたちも羽地に寄り、帰って来たのは四月の一日だった。

 立て続けに四人が亡くなったが、それだけでは終わらなかった。四月の七日、ンマムイの母親が八重瀬(えーじ)グスクで亡くなった。タブチが中心になって姉の葬儀を行なった。弟のシタルーは代理の者を送っただけで、本人は現れなかったという。

 サハチは行かず、マタルー(与那原大親)夫婦に任せた。マタルーの妻のマカミーが生まれた時、すでに伯母は浦添(うらしい)に嫁いでいたが、里帰りをした伯母と何度か会っていた。中山王の王妃なのに、野良着(のらぎ)を着て、野良仕事をしているのを見て、驚いた事があった。気さくな伯母で、マカミーは好きだった。伯母のお陰で、久し振りに兄弟たちに会えたとマカミーは喜んでいた。

「遊女屋『宇久真』の女将さんも来ていて、悲しそうにしょんぼりとしていました」とサハチはマタルーから聞いた。





島添大里のミーグスク



玉グスク



中グスク



八重瀬グスク




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