酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲







ササと若ヌル




 玻名(はな)グスクから引き上げたササは、八重瀬(えーじ)グスクに寄ってマタルーの長女のチチーを連れ、(かに)グスクに寄ってンマムイの次女のマサキを連れて与那原(ゆなばる)に帰った。チチーを八重瀬ヌルに、マサキを兼グスクヌルにしなければならなかった。

 与那原グスクで、クルー(手登根大親)の長女のミミとヤグルー(平田大屋)の三女のウミがササの帰りを待っていた。ミミは呼んだが、ウミは呼んでいなかった。

「あたしも弟子にして下さい」とウミはササに頼んだ。

 ウミは幼い頃からシジ(霊力)が高かった。ヌルに向いているとは思うが、すでに姉のサチが平田の若ヌルになっている。平田に二人もヌルは必要なかった。

「フカマヌル様に言われました。あなたはヌルになりなさいと。ちゃんと両親の許しも得ました。お願いします」

「本当に両親は許してくれたのね?」とササが聞くとウミはうなづいて、手紙をササに渡した。

 ウミの母親、ウミチルの手紙で、ウミは幼い頃のササによく似ています。本人もヌルになりたいと言うので、ヌルにしてあげて下さい。どこのヌルになるかはササに任せますと書いてあった。

「わかったわ」とササはうなづいた。

 ウミはミミと一緒に喜んだ。

 ササが持っているガーラダマ(勾玉)は代々運玉森(うんたまむい)ヌルに伝わっていた物だった。ササが運玉森ヌルに返そうとしたら、運玉森ヌルは、「あなたが若ヌルを育てて、そのガーラダマを譲りなさい」と言った。チチーを運玉森ヌルに育てるつもりだったが、チチーは八重瀬ヌルにならなければならなくなった。与那原大親になったサグルーにはまだ娘はいなかった。ササはウミを運玉森ヌルに育てようと思い、ウミが来てくれた事を神様に感謝した。

 ササは十二歳のチチーとウミ、十一歳のマサキとミミ、四人の師匠となった。

「賑やかになるわね」とナナが娘たちを見て笑った。

 ササは城下に屋敷をもらって、ナナとシンシンと暮らしていたが、そこに四人の娘たちが加わった。

 四人の修行は剣術から始まった。四人はまだ剣術の稽古に通ってはいないが、木剣の持ち方も知っていて、基本は身に付けていた。身近にいるヌルたちは皆、剣術の名人だった。当然、ヌルになるには強くなければならないと思い込んでいた。

 正月の四日、佐敷ヌルと平田のフカマヌルは佐敷の若ヌルと平田の若ヌルをセーファウタキ(斎場御嶽)に連れて行って儀式を行ない、二人を正式なヌルに就任させた。

 フカマヌルはすでに六十歳を過ぎているのでヌルを引退して久高島に帰るという。佐敷ヌルは豊玉姫(とよたまひめ)の神様によって、安須森(あしむい)ヌルに任命され、アオリヤエの神名(かみなー)を名乗る事を許された。以前の神名のツキシルは新しい佐敷ヌルのマチに譲った。



 安須森ヌルになった佐敷ヌルたちがセーファウタキで儀式を執り行なっていた日の早朝、他魯毎(たるむい)島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに総攻撃を掛けていた。糸満(いちまん)の港を守っていた八百の兵が防壁から出て、島尻大里グスクを包囲した。

 摩文仁(まぶい)は他魯毎の兵が攻めて来ても慌てる事なく、守りを固めるだけで無駄な攻撃はさせなかった。

「懲りずにまた来たか」と摩文仁はせせら笑った。

 二日の日に按司たちの挨拶を受けて祝宴を開き、三日には弓矢始めとして、按司たちに弓矢を競わせて景品を与え、その後、また祝宴となった。他魯毎の兵に囲まれた四日の早朝には、按司たちはまだグスク内にいた。ただ、山グスク按司だけは子供の具合が悪くなったと言って、昨日のうちに山グスクに戻っていた。

 摩文仁は按司たちを集めると、前回と同じ様に敵を蹴散らせと命じた。

「同じ事をしてくるなんて、敵の(わな)かも知れませんぞ」と新垣按司(あらかきあじ)が警戒した。

「罠か‥‥‥李仲按司(りーぢょんあじ)が何かをたくらんでいるのかもしれんのう。早朝ではなく、夜が明けてからでいい。伏兵(ふくへい)に気をつけながら進めば大丈夫じゃろう。それと、摩文仁按司は防壁を壊してしまえ。ほとんどの兵がこのグスクを包囲しているようじゃ。防壁の守りは薄いじゃろう」

「今度こそ、敵を全滅させてやる」と意気込みながら、按司たちは抜け穴の入り口に入って行った。

 一時(いっとき)(二時間)ほどして、摩文仁按司が慌てて山南王(さんなんおう)の執務室に入って来た。

「大変です。抜け穴が塞がれていて外に出られません」と摩文仁按司が摩文仁に言った。

「何じゃと? 抜け穴が塞がれたじゃと?」

「三つある出口が皆、土砂に埋まっていて出られません。按司たちは他に出口はないかと探しておりますが、難しいかと思われます」

「一体、どういう事じゃ?」

「テハの配下の者の仕業かと‥‥‥」

「何じゃと?」

「すぐにいなくなった者を探し出せ」

 摩文仁按司はうなづいて執務室から飛び出して行った。

 摩文仁は重臣たちを御庭(うなー)に集めて、抜け穴の事を知らせた。

「何じゃと?」と皆が驚いた顔をして摩文仁を見ていた。

「テハの配下がまだいたとしても、抜け穴の入り口は厳重に警固している。抜け穴に入る事は不可能じゃ」と新垣按司は言った。

「正月気分に浮かれて、見張りの者も酒を飲み過ぎたんじゃろう」と真栄里按司(めーざとぅあじ)が笑った。

 新垣按司と真栄里按司は、そろそろ、わしらも出掛けるかと思っていた時、摩文仁に呼ばれたのだった。

「毎日、サムレー、侍女、城女(ぐすくんちゅ)は点呼を取っています。いなくなった者はいないはずです」と波平按司(はんじゃあじ)が言った。

「テハの配下の仕業じゃないとすると、李仲按司がこのグスクの周りを歩き回って出口を探し出したと言うのか」

「前回、抜け穴を使ってから一月あまりが過ぎておるからのう。見つけたのかもしれんな」と山グスク大主(うふぬし)が言った。

「それにしても、三か所すべてを見つける事など不可能じゃろう」と中座大主が言った。

 摩文仁按司がやって来て、「書庫番(しょこばん)宅間之子(たくまぬしぃ)がいません」と報告した。

「書庫番じゃと?」と摩文仁が言って、重臣たちの顔を見た。

「奴がテハの配下のはずがない」と真栄里按司が笑って、「どこかにいるはずじゃ」と言った。

「変わった奴なんじゃ」と新垣按司が言った。

「ちょっと間の抜けた奴で、人付き合いはまったく駄目で、ずっと書庫に籠もっておるんじゃよ。読み書きはできるらしくて、先代の王様(うしゅがなしめー)から何かを頼まれたとみえて、何かを書いているんじゃが、誰も相手にもせん奴で、いた事さえも忘れておった」

「そいつが抜け穴から外に出て行ったのか」

「まさか」と誰もそんな事はありえないと言った顔をしていた。

「そいつとテハとのつながりはないのか」

「テハもあんな奴は相手にしないじゃろう。話もろくに通じんからのう。はっきり言えば知恵遅れなんじゃよ」と真栄里按司が言った。

「知恵遅れの書庫番か。先代も変わった奴を雇ったもんじゃな」

「そいつ以外の者は皆、いるんじゃな?」と摩文仁は倅の摩文仁按司に聞いた。

「はい、います」

「出て行った者がいないとすれば、李仲按司が見つけ出したという事か」

「抜け穴を見つけ出したのに、どうして抜け穴を利用しないで塞いだんじゃろう」と中座大主が首を傾げた。

「わしらが豊見(とぅゆみ)グスクを攻めた時、抜け穴を行った具志頭按司(ぐしちゃんあじ)たちは待ち伏せを食らって全滅した。わしらが待ち伏せしているだろうと思って塞いだんじゃろう。お陰で、わしらはここに閉じ込められたという事になる」

「閉じ込められたら、今後の作戦が進められません」と摩文仁按司が言った。

「抜け穴を掘るしかあるまい」と摩文仁は言った。

「えっ!」と摩文仁按司は驚いた。

「何もせずに兵糧(ひょうろう)がなくなるのを待っているわけにも行くまい」

「しかし、ガマ(洞窟)の中は真っ暗ですよ」

篝火(かがりび)を焚いて、兵たちに交替で掘らせろ。外に出られなければ、わしらに勝ち目はない」

「兵糧はどれだけあるんじゃ」と山グスク大主が聞いた。

「城下の避難民がいないので、四か月分は余裕であります」と波平按司が答えた。

「四か月か‥‥‥」と摩文仁は目を細めた。

「按司たちはグスクに閉じ込められたが、兵たちは外にいるぞ」と新垣按司が言った。

「兵がいても、それを指揮する者がいなければどうしようもない」と摩文仁は溜め息をついた。

「わしと真栄里按司の倅はここのサムレー大将だったが、わしらが按司になった時、若按司になったので、サムレー大将をやめて、今、グスクを守っている。二人が兵たちをまとめてくれるとわしは信じておる」と新垣按司が言った。

「わしの次男の山グスク按司もおるぞ」と山グスク大主が言うと、

「わしの倅も波平グスクにおります」と波平按司が言って、

(うふ)グスクには真壁之子(まかびぬしぃ)もいる」と真栄里按司は言った。

 摩文仁は重臣たちの顔を見回して、「五人がうまくやってくれる事を祈ろう」とうなづいた。



 他魯毎が島尻大里グスクを包囲した事はすぐに首里(すい)に知らされた。首里にいたサハチは思紹(ししょう)と顔を見合わせて、他魯毎は何をたくらんでいるのだろうと思った。

「もしや、李仲按司は抜け穴の出口を見つけたのではないのか」と思紹が言った。

「成程、そうか。抜け穴の出口を塞いで、島尻大里グスクを包囲したのですね」

「そうとしか考えられん。抜け穴があるのに包囲しても前回と同じ目に遭うじゃろう」

「グスク内にはまだ按司たちがいますね」

「祝宴が続いていたようじゃからのう。奴らが外に出られるかどうか、明日になればわかるじゃろう」

 新垣グスクを守っていた若按司のスラーは島尻大里グスクが包囲されたのを知ると、やがて、父親が戻って来るだろうからと戦支度(いくさじたく)をして待っていた。翌日の正午(ひる)になっても、父親は戻って来なかった。もしかしたら抜け穴の出口を塞がれて出て来られなくなったのかと思った。スラーは以前、その抜け穴を通って外に出たので場所は知っていた。新垣グスクと島尻大里グスクの中程にある森の中だった。スラーは弟のタカーをそこに行かせて調べさせた。

「完全に塞がれていました」と帰って来たタカーは息を切らせながら言った。

「穴の中に土砂を入れて埋め、おまけに大きな石を置いて塞いでありました」

迂闊(うかつ)だった。見張りの者を置くべきだったな」

 抜け穴が塞がれた事を知ったスラーは、真栄里グスクに行って若按司のムチャを訪ねた。ムチャも異変に気づいて、新垣グスクに行く所だったと言った。

「親父が帰って来ないのは抜け穴が塞がれたのかもしれんぞ」とムチャは言った。

「完全に塞がれていた」とスラーは言って、首を振った。

「やはり、そうだったか。でも、どうして敵にわかったのだろう」

「李仲按司を甘く見過ぎていたようだ」

 ムチャはうなづいて、「これからどうしたらいいんだ?」と聞いた。

「按司たちは皆、島尻大里グスクの中に閉じ込められた。外にいる俺たちで、敵の兵を追い払って、按司たちを外に出すしかない」

「俺たちにできるか」

「やらなければならないだろう。たとえ、一瞬でも敵の包囲陣を崩せば、按司たちは外に出られる」

「山グスク殿が山グスクにいるはずだぞ」とムチャは言った。

「なに、本当か」

「子供の具合が悪いとかで、敵に包囲される前に山グスクに帰ったんだ」

「そうか、山グスク殿が外にいるのか。そいつはよかった。山グスク殿に総大将になってもらおう」

 スラーとムチャは山グスクに向かった。

 山グスク按司は以前、スラーの上司だった。山グスク按司が名嘉真之子(なかまぬしぃ)と呼ばれていた時、名嘉真之子がサムレー大将で、スラーは副大将だった。名嘉真之子が山グスクを築くためにサムレー大将を辞めた時、スラーは名嘉真之子の跡を継いで、サムレー大将になっていた。

 山グスクに行くと、子供が快方に向かったと皆が喜んでいる最中だった。ヤマトゥの名医、無精庵(ぶしょうあん)のお陰だという。

 ほっと一安心した山グスク按司はスラーとムチャの話を聞いて驚いた。

「なに、抜け穴が塞がれただと?」

「按司たちは閉じ込められましたが、兵たちは外にいます。山グスク殿が総大将になって、兵たちをまとめて、敵を追い払いましょう」

「俺が総大将でいいのか」と山グスク按司は聞いた。

「按司で外にいるのは山グスク殿だけです。若按司たちは皆、若い。山グスク殿より他にはいません」

「そうか。大グスクには真壁之子もいたな」

「真壁之子殿に与座(ゆざ)賀数(かかじ)の兵を率いさせて北から攻め、山グスク殿が南の兵を率いて敵を挟み撃ちにすれば、敵は逃げ散るでしょう」

 真壁之子は山グスク按司の従弟(いとこ)なので、山グスク按司に従うはずだった。三人で作戦を立てて、若按司たちに伝令を送って、明朝の総攻撃を伝えた。

 夜のうちに新垣グスクに集合せよとの命令を出したのに兵は集まって来なかった。新垣グスクに集まった兵は山グスク、真壁、真栄里、新垣の兵だけで三百人足らずだった。

「伝令に行った者たちは帰って来たのですか」とスラーは山グスク按司に聞いた。

「伝令を送ったのが夕方だったので、兵たちと一緒にここに来るのだろうと思って気にも止めなかったが、誰も帰って来ていない」

「敵に捕まってしまったのかもしれない」とムチャが言った。

「まさか」と山グスク按司は言ったが、石屋のテハが敵にいる事を思い出した。

「テハの奴が俺を見張っていたのかもしれんな。迂闊だった」

「今回は中止にしますか。大グスクにも伝令は届いていないと思われます」とスラーが言った。

「もし、届いていたとしたら真壁之子を見殺しにする事になるぞ」

「しかし、伝令が敵に捕まったとなると、敵はこっちの作戦を知っています。出撃したら待ち伏せを食らうかもしれません」

 山グスク按司はうなづいて、「今ならまだ間に合うかもしれん。大グスクに伝令を送って、中止を伝えろ」と言った。

 星のない真っ暗な夜道を松明(たいまつ)を持った伝令が大グスクに向かった。しかし、テハの配下に捕まり、伝令が大グスクに届く事はなかった。

 東の空が明るくなってきた。三百の兵を三つに分けて、山グスク按司、スラー、ムチャの三人が指揮を執って出撃した。敵は作戦が中止になったと安心しているだろう。総攻撃ではないが、敵を驚かせてやろうと敵陣目掛けて突進した。

 国吉(くにし)グスクでは山グスク按司の兵を挟み撃ちにするために兵が待機していたが、敵の攻撃が中止になったとの知らせを受けて、気が緩んでいた。そこに敵の攻撃があったため、出撃が送れて挟み撃ちにする事ができなかった。

 山グスクの兵は油断していた包囲陣に突っ込んで、暴れ回って四半時(しはんとき)(三十分)もしないうちに退却した。包囲陣は五十人近くの兵がやられ、山グスクの兵は数人が戦死しただけだった。

 山グスク按司の活躍を知った摩文仁方の按司たちの兵が新垣グスクに続々と集まって来て、その数は五百人余りとなった。

 夕暮れ間近、北の大グスクからも真壁之子の指揮によって二百人の兵が包囲陣に攻め込んで、深追いせずにさっさと引き上げて行った。

 翌日は正午にも攻撃をして、夜中にも攻撃をして、敵を眠らせなかった。しかし、敵も油断なく守りを固め、最初の時のような戦果はなく、味方の兵の戦死者も増えていった。

 次の日の夜、島尻大里グスク内の米蔵から火の手が上がり、中に溜め込んでいた兵糧が焼けた。摩文仁の命令で抜け穴を掘っていた兵たちが次々に倒れていき、穴掘りは中止された。ガマ(洞窟)の中で篝火をいくつも焚いたため酸欠で倒れたのだった。摩文仁の兵たちがいなくなったので、ガマの中にずっと隠れていた他魯毎の屈強な三人の兵が抜け穴から出て来て、米蔵に火を付けたのだった。ガマの中には川も流れていて、飲み水には困らず、干し(いい)を食べながら生き延びていた。米蔵にどれだけの米があったのかはわからないが、敵の兵糧が減ったのは確かだった。



 正月の十一日、ウニタキの配下が今帰仁(なきじん)から戻って来て、山北王(さんほくおう)が南部攻めの準備を始めたと知らせた。出陣日は十五日だという。

 サハチたちは首里の龍天閣(りゅうてぃんかく)戦評定(いくさひょうじょう)を開いて、中山王(ちゅうさんおう)が介入する事に決め、苗代大親(なーしるうふや)、兼グスク按司(ンマムイ)、浦添按司(うらしいあじ)、中グスク按司、越来按司(ぐいくあじ)勝連按司(かちりんあじ)北谷按司(ちゃたんあじ)に出陣の準備をさせ、山田按司、伊波按司(いーふぁあじ)安慶名按司(あぎなーあじ)には山北王に対する守りを固めさせた。

 思紹は東行法師(とうぎょうほうし)となって、手登根(てぃりくん)グスクに向かった。手登根グスクには山南王妃(さんなんおうひ)がいた。

 五日前、ウミトゥクが豊見(とぅゆみ)グスクに新年の挨拶に行って、王妃を連れて来たのだった。王妃も疲れていた。シタルーが亡くなった悲しみに浸る間もなく戦に明け暮れて、敵の兵を殺し、味方の兵も数多く戦死していた。島尻大里グスクを包囲する事に成功して、按司たちをグスク内に閉じ込めた事を知ると、あとの事は他魯毎に任せて、王妃は戦から手を引く事に決め、娘のウミトゥクと一緒に手登根グスクに来たのだった。供としてマアサが女子(いなぐ)サムレー十人を連れて従っていた。

 手登根按司のクルーは玻名グスクに出陣しているので、王妃も気兼ねなく、のんびりする事ができた。

 思紹は手登根グスクに旅芸人たちを連れて行った。急遽、城下の者たちを集めて、グスク内でお芝居が上演された。演目は『察度(さとぅ)』だった。

 旅芸人たちはキラマの島から帰って来たあと、南部を巡っていたが、シタルーが亡くなって戦が始まったので、首里に帰って来た。首里で稽古に励んでいたら、フクのお腹が大きくなっている事に気づいた。踊り子見習いとして旅に従っていたトゥキが猛特訓に耐えて、二代目のフクになる事に決まった。先代のフクは年末に男の子を産んだ。トラの子供なので、グマトゥラ(小寅)と名付けられた。

 トゥキの特訓をしながら、新しいお芝居として『察度』の稽古をしていて、今回が初演だった。察度の娘の王妃に観てもらうのにふさわしいお芝居だった。

 思紹は屋敷の縁側に座って、王妃と一緒にお芝居を観た。お互いにお忍びという事で、城下の者たちは二人の正体を知らなかった。

「ウミトゥクから思紹殿が明国を旅した時のお話をお聞きしました。ヂャンサンフォン殿と御一緒に楽しい旅をなさったようですね」と王妃は笑った。

「いい旅じゃった。倅から明国の話を聞いて、どうしてもこの目で見たくなったんじゃ。明国はとてつもなく大きな国じゃった。わしは一度だけじゃが、そなたの父上に会った事がある。察度殿も明国に行きたかったと言っていた。何度も明国に行った泰期(たち)殿を(うらや)ましがられておった」

「思紹殿が父に会ったのですか」と王妃は驚いていた。

 父が生きていた頃、思紹は佐敷按司だった。佐敷按司の思紹が父と会っていたなんで信じられなかった。

「わしが隠居して旅をしておった時じゃよ」と思紹は言った。

読谷山(ゆんたんじゃ)を旅していた時、雨に降られて雨宿りした所が、泰期殿の牧場だったんじゃ。泰期殿に連れられて首里天閣(すいてぃんかく)に行って、察度殿と会ったんじゃよ。初めて会ったが、噂通りの立派な男じゃった。ただの乞食坊主だったわしを持て成してくれた。あの時、初めて、お茶という物を御馳走になったんじゃ。あまりうまいとは思わなかったが、今では毎日、お茶を飲んでおる。察度殿はわしらより、ずっと先を歩いていたんじゃなと今思えば、感じるんじゃよ」

「そうでしたか」と王妃は思紹を見て笑った。

「きっと、思紹殿は父に気に入られたのだと思います。父の人を見る目は凄いです。もしかしたら、あなたが中山王になる事を予見していたのかもしれませんね」

「まさか」と思紹は笑った。

 お芝居を観ながら、「祖母は父が十歳の時に亡くなってしまったそうです。十歳の父にとって、祖母は天女のように美しい人だったのに違いありません」と王妃は言った。

「わたしの母は高麗(こーれー)の人です。長男の武寧(ぶねい)を産んだので、正妻が亡くなったあとに後妻となって、王妃になりました。わたしが生まれた時、先妻は亡くなっていて、母は正妻でした。わたしが十歳の時、父は中山王になって母は王妃になりました。母は倭寇(わこう)にさらわれて琉球に連れて来られ、父に贈られたのです。両親と別れて他国に連れて来られて辛い思いをしましたが、亡くなる時は琉球に来てよかったと言っておりました」

「そうでしたか。そなたの母親は美しく賢い人だったようですね」

 王妃は思紹を見て微かに笑った。

 お芝居が終わったあと、王妃はお礼を言って、「わざわざ、お芝居を観せるためにいらっしゃったのではないのでしょう」と思紹に聞いた。

 思紹はうなづいた。

「実はそなたにお願いがあって来たのです」

 思紹は山北王の兵が十五日にやって来る事を告げて、中山王の介入を許してほしいと頼んだ。

「とうとう、山北王が出て来ますか」と王妃は言って、満足そうな顔をして帰って行く城下の人たちを見ていた。

 二人の男の子と一緒にウミトゥクが城下の人たちを見送っていた。優しい眼差しでウミトゥクたちを見ていた王妃は思紹を見ると、

「わかりました。中山王殿の援軍をお願いいたします」と言った。

 思紹は嬉しそうにうなづいた。

「今、東方(あがりかた)の按司たちが玻名グスクを攻めています。米須(くみし)グスク、山グスク、喜屋武(きゃん)グスク、真壁グスク、波平(はんじゃ)グスク、ナーグスク、伊敷(いしき)グスクを中山王の兵が攻めます」

 王妃は少し考えたあと、「真壁グスクの若按司の妻はわたしどもの娘です。真壁グスクはわたしどもに任せて下さい」と言った。

「わかりました」と思紹はうなづいた。

「それと、真壁グスクよりも北にある伊敷グスクとナーグスクもわたしどもに任せて下さい」

「いいでしょう」と思紹は笑った。

 思紹は王妃と決めた内容で、他魯毎宛ての書状を書いて、ウミトゥクに頼んで豊見グスクに届けさせた。





新垣グスク



真栄里グスク



山グスク



手登根グスク




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