酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲







落城




 首里(すい)のお祭りから六日後の昼下がり、玻名(はな)グスクに一節切(ひとよぎり)の調べが流れていた。

 吹いているのは勿論、サハチである。高い(やぐら)の上から海の方を見ながら吹いていた。

 (いくさ)を忘れさせる心地よい調べで、グスクを包囲している兵たちもグスク内にいる兵も避難民たちも皆、シーンとして聞き入っていた。

 正午(ひる)前、いつも炊き出しが行なわれる時刻に、サハチは櫓の上に登ってグスク内を見た。皆、疲れ切っていて動いている者はいなかった。炊き出しもなかった。籠城(ろうじょう)から二か月半が経って、兵糧(ひょうろう)も底を突いて来たようだった。

 総攻撃を掛ける時が来たとサハチは判断した。按司たちを本陣の屋敷に集めて作戦を伝えて、各自に準備をさせた。グスク内にいる鍛冶屋(かんじゃー)木地屋(きじやー)に総攻撃を伝える合図は、サハチの一節切だった。サハチの一節切の調べが終わった時、鍛冶屋と木地屋が門番を倒して、大御門(うふうじょー)を内側から開ける手筈になっていた。

 サハチは二千年前に琉球に来たアマミキヨの神様の事を想いながら一節切を吹いていた。

 遙か遠いアマンの国から何艘もの小舟(さぶに)に乗ってやって来たに違いない。

 途中で嵐に遭って琉球まで来られなかった者もいたに違いない。

 小舟に乗って明国まで行くなんて、とても考えられない事だが、それと同じような危険を冒してやって来たのだろう。

 琉球に来たアマミキヨの一族は垣花(かきぬはな)に都を造って、タカラガイやヤコウガイを小舟に積んで、奄美の島々に寄りながらヤマトゥまで行って交易をした。

 琉球は二千年も前から交易で栄えてきた島だった。そう思うとアマミキヨの子孫である血が騒ぎ、サハチは見知らぬ南の島へと行きたくなってきた。同族同士で戦をやるなんて馬鹿げている。早く琉球を統一して、新しい船出に出なければならないと思った。

 そんなサハチの想いは一節切の調べとなって、聴いている者たちを過去へと(いざな)い、忘れてしまっていた懐かしい記憶を蘇らせて、人々を感動させていた。

 サハチの一節切の曲が終わった。

 シーンと静まり返っていた。誰もが涙を拭っていた。

 突然、グスク内で悲鳴が聞こえたかと思うと、大御門が大きく開いた。待機していた慶良間之子(きらまぬしぃ)が率いる兵たちがグスク内に突入した。

 三の曲輪(くるわ)内は混乱状態に陥っていた。逃げ惑う避難民たちの中を刀を振りかざした兵が敵を探し回っていた。

 サハチは櫓の上からグスク内を眺めていた。佐敷大親(さしきうふや)が予定通りに避難民たちを誘導して南御門(ふぇーぬうじょう)から外に出していた。避難民たちは疲れ切っていて歩くのもやっとのようだった。

 突然、石垣の上に味方の兵が現れて、敵の守備兵を倒しながら一の曲輪の方に向かって行った。誰だろうとよく見るとマウシのようだった。先頭を行くマウシは刀を抜かずに、敵兵を倒しては次々に石垣の下に落としていた。

 石垣を行けとは指示していなかった。マウシが判断したのだろうがいい考えだった。

 マウシが率いる兵は北側の石垣の上を通って一の曲輪まで行き、次々に消えていった。それを見ていた味方の兵たちが、そのあとに続いて一の曲輪に向かった。

 避難民たちが出て行った三の曲輪内でも戦闘は続いていて、敵の兵は次々に倒されていった。

 二の曲輪と三の曲輪をつないでいる御門(うじょう)が開いた。二の曲輪に避難していた家臣たちの家族が、二の曲輪の南御門から続々と出て来た。

 グスクから出て来た避難民たちは外で待機していた(うふ)グスク按司と糸数按司(いちかじあじ)の兵に囲まれた中で、用意された炊き出しが配られた。

 一の曲輪内でも戦闘が行なわれているようだが、ここからはよく見えなかった。

「お父様!」と声がしてサハチが下を見るとサスカサと安須森(あしむい)ヌル(前佐敷ヌル)と若ヌルのマユが来ていた。リナーが率いる女子(いなぐ)サムレー十人と辰阿弥(しんあみ)とその弟子二人も一緒だった。

 三の曲輪と二の曲輪の戦が終わったようなので、サハチは櫓から降りた。

「お祭りの準備の最中に呼び出して悪かったな」とサハチは二人に謝った。

「もう、あたしがいなくても大丈夫よ」と安須森ヌルは言った。

「それに、小渡(うる)ヌルが娘と一緒に島添大里(しましいうふざとぅ)にいて、手伝ってくれるので助かっているわ」

「小渡ヌルが来ているのか」

「首里のお祭りに来ていてね、そのあと一緒に島添大里まで行って、ずっといるのよ。米須(くみし)でも戦が始まったので、帰ったら危険だって引き留めたの。マナビーも喜んでいるし、ずっといてくれたらいいのにと思っているのよ」

「そうか。海に潜れる陽気になるまで、島添大里にいたらいい」

 サハチはリナーを見ると、「頼むぞ」と言った。

「任せて下さい。無精庵(ぶしょうあん)様から怪我の治療法を習いましたから、皆、張り切っています」

 サハチはうなづきながら女子サムレーたちを見て、「敵の無残な死体を見て倒れるなよ」と言った。

「大丈夫ですよ」と女子サムレーたちは笑った。

「戦死した者たちの供養をお願いします」とサハチは辰阿弥に頼んだ。

 辰阿弥は両手を合わせて念仏を唱えて、「皆、阿弥陀如来様のもとへと送り届けます」と言った。

 サハチの護衛にと慶良間之子が付けてくれた五人の兵と一緒に、サハチはヌルたちを連れてグスク内に入った。三の曲輪内には敵兵の死体がいくつも倒れていて、石垣の上には知念若按司(ちにんわかあじ)の兵たちが守備に就いていた。

 辰阿弥は二人の弟子を連れて、死体の側に行って念仏を唱え、『南無阿弥陀仏』と書かれた木の(ふだ)を死体の上に置いた。

「思っていたよりも広いグスクなのね」と安須森ヌルが周りを見回しながら言った。

「俺も驚いたよ。玻名グスクがこんな立派なグスクだとは知らなかった」

「お清めも大変そうね」とサスカサが言った。

「玻名グスクヌルにも手伝ってもらうわ」と安須森ヌルは言った。

 去年の夏、安須森参詣をした時、玻名グスクヌルも参加していた。あまり話はしていないが、何となく気になる存在だった。父親は島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクにいて、兄は戦死して、生まれ育った玻名グスクは奪われたが、何とか立ち直ってほしいと安須森ヌルは思っていた。

 二の曲輪に入ると二の曲輪には敵兵の死体だけでなく、負傷した味方の兵たちが何人もいた。奥の方では捕虜になった敵兵が固まっていて、平田大親(ひらたうふや)と玉グスク按司の兵が見張っていた。

「あたしたちの出番ね。行くわよ」とリナーが言って、女子サムレーたちを連れて負傷兵の所に行った。

 サハチたちは一の曲輪に入った。瓦葺(かわらぶ)きの立派な屋敷が建っていた。あちこちに高価な(つぼ)が飾ってある屋敷の中は死体だらけだった。血まみれの死体を間近で見たマユが悲鳴を上げた。

「よく見ておきなさい。これが戦というものなのよ」と安須森ヌルが娘に言った。

 マユは母親を見てうなづいた。

 慶良間之子が来て、「作戦完了です」とサハチに報告した。

「按司と若按司は討ったのか」とサハチは聞いた。

「按司も若按司もマウシが倒しました」

「やはり、マウシがやったか」とサハチは笑った。

「二人のサムレー大将はシラーとウハが倒しました。三人とも随分と腕を上げているので驚きましたよ」

「マウシも頼もしいサムレー大将になったわね」と安須森ヌルがサハチに言って、「玻名グスクヌルはどこにいるかしら?」と慶良間之子に聞いた。

御内原(うーちばる)にいます」と言って、慶良間之子が安須森ヌルたちを案内して行った。

 サハチは屋敷の中を一回りしてみたが、マウシもシラーもウハもいなかった。

 玻名グスク按司は一刀のもとに斬られていた。(よろい)は付けていない。武装する間もなく、マウシたちが来てしまったのだろう。右手に持っている刀の刃には血の汚れはなかった。

 玻名グスク按司は若按司だった頃、チューマチの婚礼に来てくれた。丁度、二年前の今日だった。まさか、こんな事になるなんて、あの時、思ってもいなかった。サハチは冥福(めいふく)を祈って両手を合わせた。

 按司の死体から少し離れた所に若按司が倒れていた。若按司はまだ十二歳くらいの子供で、按司と同じように一刀のもとに斬られていた。あどけない顔で目を大きく見開いたまま亡くなっていた。

 サハチは目を閉じてやり両手を合わせた。

按司様(あじぬめー)、やりましたよ」とマウシの声がした。

 振り返るとマウシとシラーとウハがいた。

「見事だったぞ」とサハチは三人に言った。

 サハチに褒められて三人は照れていた。

 マウシは若按司の死体を見て、

「俺が按司を斬ったあと、若按司は俺に掛かってきました。他にも敵がいたので斬るしかなかったのです」と言った。

「若按司を名乗っているからには倒さなくてはならない相手だ」とサハチは言った。

 そう言いながらも、サハチには若按司は斬れなかったかもしれないと思った。

「それにしても、石垣の上を行くなんて、よく気が付いたな」

「シラーの考えです。うまく行きました」

「なに、シラーの考えか」とサハチはシラーを見て、よくやったと言うようにうなづいた。

 サハチは三人を連れて屋敷から出ると、兵たちを三の曲輪に集めて、勝ち(どき)を上げて戦勝を祝った。

 敵は戦死者が五十二人で負傷者が二十三人、味方は戦死者が三人で、負傷者は十八人だった。負傷兵は味方も敵も女子サムレーが治療をした。重傷で手に負えない兵もいて、女子サムレーたちは自分たちの未熟さを嘆いていた。無精庵がいたら何とかなりそうだが、無精庵は山グスクの中にいた。

 死体を片付けて、捕虜となった兵たちを三の曲輪に集めて見張り、炊き出しの雑炊(じゅーしー)を配っていたら、八重瀬(えーじ)グスクから祝い酒が届いた。酒を皆に配って、ささやかに戦勝を祝った。

 戦後処理は大変だった。捕虜となった敵兵が百五十人もいた。八年前の戦の時、捕虜たちは首里の城下造りの人足(にんそく)として送ったが、今は人足は必要ない。かといって、すべての兵を玻名グスクの兵として抱えるわけにもいかない。按司の敵討ちだと反乱を起こす危険性が大きかった。サハチは本陣となっている八重瀬グスクに行って思紹(ししょう)と相談した。

 サハチが(いくさ)の状況を説明したら、

「ほう、マウシが大活躍したか」と思紹は喜んだ。

「サムレー大将にしておいてよかったな」

「シラーはなかなかの軍師です。他の按司たちが避難民たちがいっぱいいる三の曲輪に入って、敵兵を捜し回っている時、マウシたちは石垣の上に登って、石垣の上を通って一の曲輪まで行ったのです。シラーが考えたそうです」

「ほう、あのシラーがな。大したもんじゃ。将来、ファイチのようになってくれたら頼もしいのう。ファイチはわしらの軍師じゃからのう」

「わたしが軍師ですか」とファイチは驚いた顔をして思紹を見た。

「ファイチが中山王の軍師だという事は誰もが認めているよ」とサハチはファイチに言った。

 サハチが捕虜の事を聞くと、「寺院造りの人足に使ったらどうじゃ?」と思紹は言った。

「使うとしても二、三十人もいれば充分でしょう」とサハチは答えた。

「鳥島に送って硫黄(いおう)を掘らせましょう」とファイチが言った。

永楽帝(えいらくてい)順天府(じゅんてんふ)(北京)に行って蒙古(もうこ)と戦をしています。硫黄は益々重要な商品となるはずです。永楽帝がヤマトゥと交易をしたかったのも硫黄を手に入れるためです。ヤマトゥとの交易が駄目になったので、琉球が今以上に硫黄を運ばなくてはならなくなるでしょう」

「鳥島か」と思紹は言って、「それじゃな」とうなづいた。

「百五十人も送るとなると警備兵も増やさなくてはなりませんね」とサハチは言った。

「あの島に古くからいて、真面目に仕事に励んでいた者は故郷(うまりじま)に帰してやればいい」

「わかりました。ヒューガ殿と相談してみます。そして、誰を玻名グスク按司にするつもりなのですか」

「一番の活躍はマウシたちと言うよりも、鍛冶屋と木地屋だろう。長い籠城に耐えて、約束通りに御門を開けてくれたんじゃからな」

「確かに、そうですね。すると奥間大親(うくまうふや)が玻名グスク按司ですか」

 話を聞いていた奥間大親が驚いた顔をして、

「冗談はやめてくだされ。わしなんぞに按司など務まるわけがない」と慌てて言った。

「ヤキチがサハチに仕えてから、何年になる?」と思紹が奥間大親に聞いた。

「三十二の時に来ましたから、もう二十六年になります」

「二十六年も仕えてきた御褒美じゃよ」と思紹は言った。

「そんな、冗談ではありません」と言って奥間大親は必死になって手を振った。

「そなたのためだけではないんじゃ。奥間の者たちの拠点にしてほしいんじゃよ」と思紹は言った。

「細長い丘の上に具志頭(ぐしちゃん)グスクと玻名グスクがある。はっきり言って玻名グスクは必要ないんじゃ。しかし、あれだけのグスクを潰すのはもったいない。鍛冶屋の拠点として使ってほしいんじゃよ」

「鍛冶屋の拠点ですか」

「そうじゃ。あのグスクの中で鍛冶屋をやるんじゃよ。鍛冶屋に必要な炭も奥間から玻名グスクに運んで、各地にいる鍛冶屋に分けてやればいい」

「成程。炭を奥間からあそこに運べば、南部にいる鍛冶屋たちは助かります」

「木地屋が使う木もあそこに運べばいい。あそこを南部の奥間にするんじゃよ。奥間の者たちには今後も活躍してもらわなければならんからのう」

「タタラ吹き(製鉄)もして、農具やトゥジャ(モリ)を作ればいい」とサハチが言った。

「草刈り用の鎌を作ってください」とファイチが言った。

久米村(くみむら)でまとめて買いますよ」

「ヤマトゥの鎌はよく切れるが高価じゃ。安い鎌を作れば、庶民たちも助かるじゃろう」

「わかりました」と奥間大親はうなづいた。

「グスクを守るために兵もいるだろうから人が足らないようなら言ってくれ」と思紹が言った。

「いえ、奥間の若い衆を連れてくれば何とかなります」

「大変じゃろうが玻名グスクを頼む」

「わかりました。ありがとうございます」

 思紹は満足そうにうなづいた。

 サハチは奥間大親と一緒に玻名グスクに戻った。

 捕虜たちは平田大親と玉グスク按司の兵に見張られて首里へと向かった。

 安須森ヌルとサスカサによるグスクのお清めも終わって、東方(あがりかた)の按司たちも引き上げて行った。

 中山王の重臣、奥間大親が玻名グスク按司になる事を告げると東方の按司たちは驚いた。奥間大親の事をよく知らない按司たちも、今回、一番の手柄はマウシだと心得ているので、マウシと何かつながりがあるのだろうと思って何も言わなかった。今回の報酬として、次回の進貢船(しんくんしん)の従者たちの商品を以前の倍にすると言ったら、皆、喜んで、納得して帰って行った。

 マウシたちも今回の戦に勝てたのは、鍛冶屋たちのお陰だと思っているので、奥間大親が玻名グスク按司になる事に納得していた。サハチはマウシ、シラー、ウハの三人には御褒美にヤマトゥの名刀を贈る事にした。

 捕虜たちもいなくなり、東方の按司たちもいなくなって、グスク内は閑散としていた。残っているのは慶良間之子、佐敷大親、手登根大親(てぃりくんうふや)、マウシたちが率いて来た兵、三百人足らずになっていた。

 御内原にいた按司の奥方は、真壁(まかび)グスクを攻めている波平大主(はんじゃうふぬし)の陣地に送られた。奥方は真壁按司の妹で子供はいなかった。玻名グスクが落城して、按司が戦死して、奥方が人質になったと知れば、真壁按司も降伏するだろう。玻名グスク按司の側室は二人いて、一人は若按司と二人の娘の母親で、もう一人は奥間から贈られた側室だった。

 若按司の母親の父親は、山南王(さんなんおう)の使者を務めたシラーの長男で明国で病死していた。兄は山南王に仕えていて交易担当の役人だった。交易担当の役人なら殺される事もないだろうと思い、娘と一緒に島尻大里グスクを攻めている他魯毎(たるむい)の本陣に送った。奥間の側室は奥間大親に任せた。

 玻名グスクヌルは行く場所がないと言って泣いていた。母親が中座グスクにいるはずだと言うので、マウシたちが兵を率いて行ったが、すでにグスクはもぬけの空で誰もいなかった。屋敷はあるが石垣は未完成で、守る事はできないと逃げて行ったようだった。

 安須森ヌルは一緒に島添大里グスクに行きましょうと誘ったが、父の(かたき)の世話にはなりたくないと言って安須森ヌルを睨んだ。

「あなたの叔母さんが八重瀬にいるわ」と安須森ヌルは言った。

 父と八重瀬按司(タブチ)が仲がよかったので、母と八重瀬の叔母も仲良しだった。八重瀬の叔母も夫と息子を亡くして悲しんでいるに違いない。もしかしたら、母も叔母を頼って八重瀬に行ったのかもしれない。玻名グスクヌルは八重瀬に行こうと決心して、住み慣れた玻名グスクに別れを告げて、安須森ヌルたちと一緒に八重瀬グスクに向かった。

 夕方にサタルーがやって来た。

「ヤキチが按司になったって本当ですか」と息を切らせながらサハチに聞いた。

「グスクが落ちたのは鍛冶屋のお陰だからな」とサハチは言った。

 サタルーはサハチを見つめて、「信じられない」と首を振った。

「今の中山王は鮫皮(さみがー)作りの職人の息子だ。鍛冶屋が按司になってもおかしくはない」

 サハチがそう言うとサタルーは笑った。

「山グスクはどうだ?」とサハチは聞いた。

「あのグスクは崖の上と下に曲輪があるので、完全に包囲できません。夜になると数人の敵がどこからか出て来て奇襲して来ます。出て来た敵は倒していますが、味方の負傷兵も増えています」

「そうか、苦戦をしているか。兵力を増やした方がいいかもしれんな」

 サハチはサタルーと一緒に物見櫓に登って海を眺めた。

「俺がまだ若按司だった頃、サタルーが奥間で生まれて、ヤキチが佐敷にやって来た」とサハチは言った。

「まだマチルギが嫁いで来る前だった。あの頃はウニタキもまだいなくて、ヤキチからの情報は大いに助かった。親父が隠居して、俺が佐敷按司だった時、毎年、梅雨が明けるとマチルギと一緒に旅に出た。ヤキチは陰ながら付いて来て、俺たちを守ってくれた。長年、仕えてくれた奥間の者たちへの感謝の印だ。ここを拠点にして、これからもよろしく頼むぞ」

「ここが奥間の拠点?」と言ってサタルーは振り返ってグスク内を見た。

「広いですね。ここが奥間の拠点か‥‥‥」

 サタルーは嬉しそうな顔をしてサハチを見て、お礼を言った。

「お前がここに入ってもいいぞ」とサハチが言うと、

「まだ、(にし)でやる事がありますので、ここはヤキチに任せます」とサタルーは笑った。

 次の日、具志頭グスクを守っていた島添大里の兵百人がやって来た。具志頭グスクにキラマの島から百人の若い者たちが来たという。

 サハチは平田大親、手登根大親、マウシたちを本拠地に返した。

 それから五日後、奥間から若者たちが百人来た。島添大里の兵は残して、サハチは八重瀬グスクに向かった。





玻名グスク




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