酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲







漲水のウプンマ




 昨夜(ゆうべ)目黒盛豊見親(みぐらむいとぅゆみゃー)が開いてくれた歓迎の(うたげ)で遅くまでお酒を飲んでいたのに、ミャーク(宮古島)に来て心が弾んでいるのか、翌朝、ササは早くに目が覚めた。まだ夜が明ける前で、外は薄暗かった。

 空を見上げて、ユンヌ姫とアキシノを呼んだが返事はなかった。無事にミャークに着けたお礼を言おうと思ったのに、どこに行ったのだろう。ササは首を傾げると、縁側に座り込んでヂャンサンフォンの呼吸法を始めた。

 静かに座りながら、改めて神様たちに感謝をした。祖父のサミガー大主(うふぬし)を知っている人がミャークにいるなんて思ってもいなかった。亡くなってからも助けてくれる祖父に大いに感謝した。

 シンシンとナナが起きてきて、ササの隣りに座って静座を始めた。ササは二人に気づくと笑った。

漲水(ぴゃるみず)のウプンマが来たわ」とナナが言った。

 ササが目を開くと娘を連れたウプンマの姿が見えた。頭の上に水桶を乗せていた。ウプンマは水桶を下ろすと、挨拶をして近づいて来た。

「昨日はごめんなさいね。琉球の王様(うしゅがなしめー)の娘さんだって聞いたので、きっと名前だけのヌルだと思ったの。昨夜の宴であなたたちのお話を聞いて、神様の事を調べるためにヤマトゥまで行ったと知って驚いたわ。わたしもミャークの神様の事は色々と調べたのよ。でも、わからない事が多くて、あなたたちから教えてもらおうと思ってやって来たの。今は水汲みの途中なんだけど、また、お伺いしてもよろしいかしら」

「わたしたちこそ、教えてもらいたいですよ」とササは言って、ウプンマを縁側に迎えた。

「琉球の神様のアマミキヨ様は南の国から琉球に来ました。それで、ミャークにもアマミキヨ様の痕跡が残っていないか調べに来たのです」

「アマミキヨ様のお名前は狩俣(かずまた)の神様から聞きました。アマミキヨ様の一族が赤崎に上陸して、その近くで暮らしていたようです」

「赤崎ってどこですか」とササは目の色を変えて聞いた。

「南の方です。わたしも赤崎のウタキに行って神様の声を聞きましたが、その神様はアマミキヨ様の一族ではありませんでした。その神様がおっしゃるには一千年以上も前に、大きな津波がやって来て、アマミキヨ様の一族は全滅したそうです」

「何ですって‥‥‥」

 ササは驚いてウプンマの顔をじっと見つめていた。シンシンとナナも驚いていた。

「多分、その時の大津波で漲水のウタキもやられたのだと思います。あそこに祀られているコイツヌ様とコイタマ様もどこか南の国からやって来たのだと思いますが、子孫たちは全滅してしまったのです。名前だけは伝えられていますが、詳しい事を知っている人は皆、亡くなってしまったのです」

「という事は、今、ミャークに住んでいる人たちの御先祖様は、その大津波のあとにやって来た人たちなのですね?」とナナが聞いた。

「そうだと思います」

「赤崎にいらっしゃる神様は、どこから来られた神様なのですか」とササは聞いた。

池間島(いきゃま)です。池間島にはウパルズ様という神様がいらっしゃいます。その娘さんが赤崎と漲水と百名(ぴゃんな)(東平安名)を守っています」

「ウパルズ様というのは、ネノハ姫様と関係あるのですか」とササが聞いたら、ウプンマは驚いた顔をして、「どうして、ネノハ姫様を御存じなのですか」と聞いた。

大神島(うがんじま)の神様からネノハ姫様の事は聞きました。ネノハ姫様は琉球から来た神様です」

「そうなのですか」とウプンマは首を傾げてから、「ウパルズ様はネノハ姫様の娘さんです」と言った。

「えっ!」とササは驚いて、大きく息を吐いた。

 ウムトゥ姫様(ネノハ姫)がイシャナギ島(石垣島)に行く前に娘を産んで、その娘が池間島の神様になって、孫娘たちがミャークの神様になっていたなんて驚きだった。ウムトゥ姫様の娘のウパルズ様に会いに行かなければならないとササは思った。

「ネノハ姫様が琉球から来た事は知らなかったけど、狩俣の神様は琉球から来た神様ですよ」とウプンマは言った。

「えっ?」とササはウプンマを見た。

「狩俣の神様は琉球から久米島(くみじま)に行く途中で嵐に遭って、ミャークまで流されてしまったようです。一千年前の大津波のあとで、ミャークには人がほとんど住んでいなかったらしいわ。大浦(うぷら)の浜辺に着いたらしいけど、水を求めて狩俣まで行って、そこに落ち着いて、狩俣の御先祖様になったみたいです」

 狩俣には行ったのに、神様に挨拶はしていなかった。失敗だったとササは悔やんだ。そして、久米島からミャークに来た兄弟の事を思い出した。せっかくだから会ってみようと思った。

「狩俣に戻るわ」とササはシンシンとナナに言った。

「わたしも一緒に行ってもいいかしら」とウプンマが言った。

「一緒に行きましょう」とササはうなづいた。

 朝食を済ませたあと、ササ、シンシン、ナナ、安須森(あしむい)ヌル、漲水のウプンマ、クマラパと娘のタマミガは馬に乗って狩俣に向かった。ウプンマは知り合いに預けたと言って、娘は連れて来なかった。

 出発してすぐに、寄って行く所があると言ってウプンマが船立(ふなだてぃ)ウタキに案内した。こんもりとした森の中にある小さなウタキだった。クマラパに待っていてもらって、ササたちはウプンマと一緒にお祈りをした。

「琉球からいらしたお客様です」とウプンマが神様に告げると、神様の声は聞こえたが、ミャークの言葉で理解できなかった。

「ごめんなさい。こちらの言葉に慣れてしまって、久米島にいた頃の言葉をうまく話せないの」と神様はたどたどしく言った。

 ササはウプンマの通訳で神様と話した。

 神様は久米按司の娘で、兄嫁と喧嘩して小舟(さぶに)に乗って久米島を飛び出した。心配した兄が追って来て、小舟に飛び乗って説得したが、娘はずっと泣いていた。兄は久米島に帰ろうとしたのに、どんどん沖に流されてしまった。二日間、海の上をさまよった末にミャークに着いた。兄は自分で刀を作ろうと思って、鍛冶屋(かんじゃー)のもとで修行していたので、ミャークに来てからは鉄の農具を作って皆に喜ばれた。妹は住屋里世の主(すみやだてぃゆぬぬし)と夫婦になって多くの子孫を残した。亡くなったあと、兄は鍛冶屋の神様、妹は豊穣の神様として祀られたという。いつ、ミャークに来たのかと聞いたら、百年以上も前だと思うとウプンマは言った。

 その頃、久米島に按司がいたのかしらと不思議に思ったが、ササたちは、「ミャークの人たちを守ってあげて下さい」と言って神様と別れた。

「あの神様のお兄さんのお陰で、鉄の農具がみんなに行き渡って、この辺りは豊かになったのです」とウプンマは言った。

 久米島からミャークに来る人が多いような気がした。もしかしたら、久米島からミャークに向かう潮の流れがあるのかしらとササは思った。

 船立ウタキから少し行った高台の上に、糸数(いとぅかず)グスクの跡地があった。

「ここに妹の(かたき)だった糸数按司のグスクがあったんじゃ。この辺りには城下の家々が建ち並んでいたんじゃが、糸数按司が亡くなると皆、他所(よそ)に移ってしまって、この有様じゃ。一時は大按司(うぷあず)と呼ばれて、この辺りで一番の勢力だったんじゃが哀れなもんじゃのう」

 そう言って、クマラパは樹木が生い茂った高台を見上げた。ササたちも見上げると崩れかけた石垣が見えた。

「糸数按司が滅んだのは佐田大人(さーたうふんど)が来る前の事なのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「そうじゃ。確か、糸数按司が六月頃に亡くなって、その年の十月頃に佐田大人がやって来たんじゃよ。糸数按司が生きていたら佐田大人ももっと早くにやられたかもしれんな。しかし、戦のあと、目黒盛と糸数按司は対立したじゃろう。目黒盛から見れば、糸数按司はいい時期に亡くなったと言えるのう」

「糸数按司は病で亡くなったのですか」

「噂では、(かんざし)で耳の掃除をしていたら肘にアブベエ(虻蝿)が止まって、アブベエを殺そうと肘をたたいたら簪が耳の奥まで刺さって死んだという」

「まあ、やだ」とササたちは想像して身震いした。

 そこから一気に大浦(うぷら)まで行って、ウプラタスグスクの跡地を見た。ウプラタスグスク跡は小高い丘の上にあった。あちこちに石垣が残っていて、割れた陶器の破片も落ちていた。眺めがよく右側の海も左側の海も見渡せた。丘の下に家々が建ち並ぶ城下があったらしいが、荒れ地になっていた。

「ウプラタス按司は福州の商人だったんじゃよ。鉄を持ってミャークに何度も来ていたんじゃ。(げん)の国が騒乱状態になって商売ができなくなり、家族や使用人たちを連れて、ミャークにやって来たんじゃよ。ここはまるで、桃源郷(とうげんきょう)のようじゃと幸せに暮らしていたんじゃが‥‥‥」

 クマラパは苦笑してから海を眺めた。ウプラタス按司の事を思い出しているようだった。しばらくして、

「奴らはウプラタス按司の船を奪い取ったんじゃよ」とクマラパは言った。

「ウプラタス按司様はミャークに来てからも交易をしていたのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「一度、明国の様子を見に行ったんじゃが、ターカウ(台湾の高雄)まで行って引き上げて来たんじゃ。明国は建国したが、倭寇(わこう)や海賊がいるので、危険だというので諦めたんじゃよ。その頃のターカウはキクチ殿はいなくて、明国の海賊がいた。その海賊と取り引きをして帰って来たんじゃ。その後は明国には行っていない。ウプラタス按司はウミンチュたちのために、イシャナギ島から太い丸太を運んでいたんじゃ。(ふに)を造るための丸太じゃよ」

「ウプラタス按司を助けられなかったのですか」とササは聞いた。

 クマラパはササを見てから海を見つめた。

「奴らはあの頃、南部を攻撃していたんじゃよ。大嶽按司(うぷたきあず)を倒して、大量の食糧も手に入れた。北部に攻めて来るなんて思ってもいなかった。わしは知らなかったんじゃが、奴らは高腰按司(たかうすあず)を倒して、馬を手に入れたんじゃ。その馬に乗って北部にやって来て、あっという間にウプラタスを攻撃した。知らせを聞いて駆け付けた時には、グスクも城下も焼かれていた。狩俣に来るかもしれないと思って、引き返して守りを固めたんじゃよ」

「高腰按司は馬を飼っていたのですか」とナナが聞いた。

「かなりの馬を飼育していたんじゃ。昔、百名崎(ぴゃんなざき)(東平安名崎)の近くの保良(ぶら)という(しま)女按司(みどぅんあず)がいて、ヤマトゥと交易をして栄えていたんじゃ。女按司が亡くなったあと、保良は野城按司(ぬすくあず)に滅ぼされてしまった。高腰按司は保良で馬の飼育を任されていたサムレーだったらしい。保良が攻められた時、馬を連れて逃げて、その馬を飼育して栄え、グスクを築いて按司になったんじゃ」

「今でも、そこで馬の飼育をしているのですか」

「高腰按司は佐田大人に滅ぼされたんじゃが、上比屋(ういぴやー)に嫁いでいた娘がいたんじゃ。その娘が牧場を再開して、今でも育てておるよ。わしらが乗って来た馬も高腰の牧場で育てられた馬じゃろう」

 狩俣に着いたのは正午(ひる)前だった。ササたちは女按司のマズマラーと一緒に、石垣で囲まれた集落の北にあるニシヌムイと呼ばれるウタキに入った。ササたちが最初に狩俣に来た時、浜辺に上陸して通り抜けた森だった。

 細い坂道を登って行くと古いウタキがあった。ササたちはお祈りをした。

「戻って来たわね」と神様の声が聞こえた。

「挨拶が遅れて申しわけありませんでした」とササは謝った。

「大神島の娘からあなたたちの事は聞いているわ。ユンヌ姫様からもね」

「ユンヌ姫様を御存じなのですか」

「アマン姫様の娘さんでしょ。わたしはアマン姫様にお仕えしていたヌルだったのです。ユンヌ姫様と最後にお会いしたのは、ユンヌ姫様が十歳の時でした。まさか、ユンヌ姫様がミャークに来られるなんて夢にも思っていませんでした。再会できて本当に嬉しかったです。わたしはシビグァー(タカラガイ)を求めて久米島に行く途中、嵐に遭ってミャークまで流されてしまいました。わたしが来る数年前にミャークは大津波にやられて、住んでいた人たちは全滅したそうです。わたしは狩俣にたどり着いて、この森で暮らし始めました。翌年、生き残っていた男の人と巡り会いました。言葉は通じませんでしたが、一緒に暮らして子供も生まれました。その人はミャークを巡って、生き残った人たちを集めました。生き残った人たちによって、狩俣の村はできたのです」

「大神島の神様は娘さんだったのですね?」

「長女のマパルマーです。ヤマトゥの刀を持った女子(いなぐ)のサムレーがやって来たって騒いでいたわよ」と神様は笑った。

「わたしは時々、琉球に帰るので、アマン姫様からあなたたちの事は聞いております。アマン姫様のお姉さんの玉依姫(たまよりひめ)様をヤマトゥから琉球に連れていらした事も聞いています。わたしもあなたたちをお迎えできて嬉しく思っております」

 ササはお礼を言って、アマミキヨ様の事を聞いた。

「一千年前の大津波で、古いウタキは皆、流されてしまいました。ウタキを守っていたヌルたちも亡くなってしまい、ウタキの場所もわからず、再建する事もできなかったのです。わたしがミャークに来て七十年後、琉球の百名(ひゃくな)からヌルたちがやって来て、南部に百名という村を造ります。百名崎の近くにパナリ干瀬(びし)があって、そこでも大量にシビグァーが採れたのです。百名のヌルたちによって赤崎のウタキが見つけられました。その時、わたしはすでに亡くなっていましたが、赤崎の神様とお話ししました。アマンの言葉なのでさっぱりわかりませんでしたが、アマミキヨ様の一族が赤崎にいた事は確かです。三百年ほど前にも大津波が来て、南部の村々はやられてしまいます。百名もやられて、住んでいた人たちのほとんどは流されてしまいました。生き残った人たちによって村は再建されました。ミャークにいたアマミキヨ様の一族は一千年前の大津波で滅びてしまいましたが、アマミキヨ様の子孫たちは名前を変えて、度々、ミャークにやって来ています。唐人(とーんちゅ)たちは彼らを倭人(わじん)と呼び、ヤマトゥンチュは彼らを隼人(はやと)と呼びました。倭人や隼人と呼ばれる海に生きる人たちは唐の大陸から八重山(やいま)、ミャーク、琉球、奄美の島々、ヤマトゥの九州を股に掛けて活躍していたのです」

「倭人というのはヤマトゥンチュ(日本人)の事ではなかったのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「のちに隼人はヤマトゥに吸収されてしまったので、唐人たちはヤマトゥンチュと倭人を同じ者と見ていますが、倭人というのは海で活躍していた勇敢なアマミキヨ様の子孫なのです。ヤマトゥだけでなく、朝鮮(チョソン)や大陸に住み着いた者たちも多いはずです」

「どうして隼人と呼ばれたのですか」とササは聞いた。

 ジルーの父親の名前は愛洲(あいす)隼人だった。何かつながりがあるのだろうかと思った。

南風(はえ)に乗って来た人だからハエヒトと呼ばれ、それがなまってハヤトになったようね」

「ヤマトゥの水軍たちや明国の海賊たちは隼人なんでしょうか」

「すべてがそうとは限らないけど、隼人の子孫たちも多いはずです」

 ジルーもアマミキヨ様の子孫なのかしらとササは何だか嬉しくなっていた。

「わたしたちの御先祖様も隼人なのですか」と漲水のウプンマが聞いた。

「一千年前の大津波のあとに南の国から来た人たちは少ないので、きっと、隼人だと思うわ」

「保良という村の女按司がヤマトゥと交易をしていたとクマラパ様から聞きましたが、その村と百名は関係あるのですか」とササは聞いた。

「保良の人たちは三百年前の大津波のあとにヤマトゥからやって来た人たちです。ヤマトゥの平泉(ひらいずみ)という所のサムレーが熊野水軍の船に乗って逃げて来たようです」

「平泉の藤原氏ですか」とササが聞いた。

 舜天(しゅんてぃん)の父親の新宮(しんぐう)の十郎が平泉に行って、京都のように賑やかな都だったと言っていた。その頃、熊野水軍によって、大量のヤコウガイが琉球から平泉に運ばれていた。平泉は源氏に滅ぼされたと聞いている。

「そうです。戦に敗れて逃げて来たのです。藤原氏のお姫様が按司になって保良の村を造って、熊野水軍によって、ブラゲー(法螺貝)の交易が行なわれました。あの辺りで大量のブラゲーが採れたようです。ブラゲーの産地なので、ブラと呼ばれるようになったようです。保良村はヤマトゥと交易をして栄えていたのですが、野城按司(ぬすくあず)に滅ぼされてしまいます。野城按司の跡を継いだ若按司は保良按司(ぶらーず)の末娘のマムヤに夢中になって、按司としての務めも果たさず、大嶽按司(うぷたきあず)に滅ぼされます。そして、大嶽按司は佐田大人に滅ぼされたのです」

「ウムトゥ姫様の事を教えて下さい」とナナが言った。

 ササはナナを見て笑った。

「ウムトゥ姫様がいらっしゃったのは、わたしがミャークに来てから五十年が経った頃でした。わたしが亡くなってから十数年が経っていました。あなたたちと同じように、大神島に寄ってから狩俣に来ました。アマン姫様の曽孫(ひまご)だと聞いて驚きましたよ。ウムトゥ姫様は池間島に行ってシビグァーを採って琉球に送りました。勿論、わたしの子供たちも手伝いました。琉球との交易で池間島も狩俣も栄えたのです。池間島にいた頃はネノハ姫様と呼ばれていて、池間島には二十年間、いらっしゃいました。長女に池間島の事を任せて、次女を連れてイシャナギ島に行ったのです。イシャナギ島に行ってからは、舟を造る材木を送ってくれました。ウムトゥ姫様がミャークに来たのは二十二歳の時で、美しいお姫様でした。琉球の御殿(うどぅん)で育ったお姫様なので、わたしの子供たちは立派な御殿を建てて、そこで暮らしてもらおうと思っていたようです。でも、ウムトゥ姫様はヤピシ(八重干瀬)に行ったまま帰って来ませんでした。心配になって様子を見に行ったら、池間島の人たちを指図してシビグァーを採らせていました。島人(しまんちゅ)たちと一緒に掘っ立て小屋で暮らして、一緒にシビグァーを採っていたのです。そして、島の男たちを引き連れて琉球に行って、交易をして帰って来ました。大したお姫様でしたよ」

 ササは神様にお礼を言ってお祈りを終えた。

「神様のお名前は何というのですか」とシンシンがマズマラーに聞いた。

「マヤヌマツミガ様です。マツミガ様は狩俣の祖神(うやがん)ですが、中興の神様もいらっしゃいます」

 そう言って、マズマラーは別のウタキに案内してくれた。森の中を尾根づたいに南に行くとそのウタキはあった。ちょっとした広場になっていて、隅の方に石の(ほこら)があった。

「昔、ここにお寺(うてぃら)があったそうです」とマズマラーは言った。

「お寺ですか」とササたちは驚いて辺りを見回した。

「三百年前にヤマトゥから平家のサムレーが狩俣に流れ着きました。(そう)という国に行く途中、嵐に遭って船は沈んでしまい、そのサムレーは板きれにすがってミャークまで流れ着いたのです。雁股(かりまた)の矢を板きれに突き刺して、それに捕まって生き延びたそうです。ここから北に行くと二本の飛び出た岬があって、丁度、雁股の矢に似ています。それで、村の名前をカリマタに決めたようです。そのサムレーは海で亡くなった仲間たちを弔うために、ここにお寺を建てました。ティラヌブース(寺の武士)様と呼ばれて、亡くなったあと、神様になりました」

「平家の落ち武者だったのですね」と安須森ヌルが聞いた。

 マズマラーは首を振って、「そうではないようです」と言った。

「わたしはヤマトゥの歴史をよく知りませんが、上比屋に平家の落ち武者たちがやって来て、グスクを築きました。それよりも五十年も前に、ティラヌブース様はやって来ています」

 ササたちはマズマラーと一緒にお祈りを捧げた。

 ティラヌブース様は平忠盛(たいらのただもり)家来(けらい)だった。安須森ヌルは忠盛が平清盛(たいらのきよもり)の父親だった事を知っていた。ティラヌブース様は忠盛の命令で宋と交易をするために博多から船出して、帰りに遭難したのだった。ティラヌブース様は狩俣の人たちに読み書きを教え、剣術も教えた。今でも子供たちに読み書きを教える風習が残っているのは嬉しい事だとティラヌブース様は言った。

 ウタキから出て、マズマラーの屋敷に戻って、一休みした。

「ミャークには色々な人たちが来ていたのね」と安須森ヌルが言った。

「平家の落ち武者だけでなく、平泉の落ち武者もいたなんて驚いたわ」

「熊野水軍はやっぱりミャークにも来ていたのね」とナナが言うと、「どこかに熊野権現様が祀ってあるはずだわ」とササが言った。

「熊野権現様って何ですか」と漲水のウプンマが聞いた。

「熊野の神様です。わたしたちの御先祖様でもあるスサノオの神様の事です」

「スサノオ‥‥‥聞いた事があるわ」と言って漲水のウプンマは思い出そうとしていた。

「ターカウだわ。ターカウに八幡大菩薩様(はちまんだいぼさつ)という神様を祀った祠があって、わたしが聞いたら、航海の神様で、ヤマトゥで一番偉いスサノオの神様だと教えてくれました」

「ターカウに行ったのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「十年くらい前にマズマラーさんと一緒に行って来たのよ。賑やかな所で驚いたわ」

「あたしたちもターカウに行くんでしょ?」とシンシンがササに聞いた。

「勿論、行くわよ」とうなづいてから、「あっ」とササは言って、

「神様に聞くのを忘れちゃったけど、三十年前に来たという久米島の兄弟の事を知っていますか」とクマラパに聞いた。

「知っておるよ」とクマラパは笑った。

「その頃、琉球の言葉がしゃべれるのは、わししかいなかったからのう。わしを訪ねて来たんじゃよ」

「そうか。与那覇勢頭(ゆなぱしず)様が琉球に行く前だったのですね」

 クマラパはうなづいて、

「その兄弟はミャークに来た進貢船(しんくんしん)に乗っていた船乗りだったんじゃよ」と言った。

「進貢船が来た時、わしは呼ばれて通訳をしたんじゃ。使者はアランポーという明国の男じゃった。その時、久米島の兄弟とは会わなかったが、わしが琉球の言葉がしゃべれて、狩俣に住んでいる事も知ったんじゃろう。二年後にミャークにやって来て、わしを訪ねて来たんじゃよ」

「船乗りの兄弟が何のためにミャークに来たのですか」とシンシンが聞いた。

 クマラパは楽しそうに笑った。

「奴らは女子(いなぐ)に会うためにやって来たんじゃ。進貢船は船の修理と風待ちで、一月近くミャークにいたんじゃよ。その時、仲よくなった娘がいたようじゃ。土産をたっぷりと小舟に積んでやって来た。しかし、遅かった。二人とも、すでに決まった男がいて、一人はお腹が大きかったそうじゃ」

「情けないわね」とナナが言った。

「それで二人はどうしたのですか」とササが興味深そうに聞いた。

「しばらく、ここにいて、ミャークの言葉を覚えていたんじゃが、佐田大人の戦が始まって、池間島に行ったんじゃよ。池間按司(いきゃまーず)の娘が美人(ちゅらー)だという噂を聞いて、飛んで行ったんじゃ。その後、弟が一人で伊良部島(いらうじま)にやって来た。兄はその美人と仲よくなって、一緒にイシャナギ島に行ったと言った。その頃、わしは伊良部島で兵たちを鍛えていたんじゃ。佐田大人を倒すためにな。弟は兵たちと一緒に武芸を習って、戦にも参加した。戦のあと、伊良部島に帰って、可愛い娘と巡り会ったようじゃ。弟の方はその後も家族を連れて何度かやって来た。今も伊良部島で楽しく暮らしているようじゃ」

「お兄さんはどうしてイシャナギ島に行ったのですか」

「池間按司の娘がシジ(霊力)の高いヌルで、イシャナギ島の神様に呼ばれたと言って、兄が連れて行ったそうじゃ」

 兄弟の名前を聞いたら阿嘉(あーか)のグラーとトゥムだという。久米島の堂村からアーラタキに行く途中に阿嘉という村があったのをササたちは思い出していた。

「池間島に行きましょう」とササは立ち上がった。





糸数グスク跡



ウプラタスグスク跡



狩俣




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