酔雲庵

草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし

井野酔雲

創作ノート



十返舎一九の年表



十返舎一九像




明和 2年(1765) 駿河国府中に生まれる。本姓は重田氏、名は貞一、敬貞。幼名は市九。 1歳
通称は与七、五郎八、幾五郎。

父は重田家八代与八郎鞭助で駿府町奉行所の同心だった。

明和年間 女義太夫が人気を独占。江戸市中に貸本屋盛んとなる。
食物の辻売り、屋台始まる。料理屋始まる。
踊子を芸者と呼ぶ事始まる。見世物の女相撲大いに人気を博す。
侠客、遊女等の間に入墨が流行。長い羽織が流行。
粋な屋根船が全盛。花見に茶番が始まる。深川が遊楽地として賑わう。
安永 3年(1774) 3月9日 大川橋初めて架かる。俗称吾妻橋。
4年(1775) 1月 黄表紙『金々先生栄花夢』(春町作画)刊行。 11歳
6年(1777) 7月 内藤新宿に大規模の女郎屋ができる。 13歳
7年(1778) 3月 相撲興行が晴天十日となる。以前は8日。 14歳
四代目市川団十郎(68)没。
8年(1779) 平賀源内(52)没。 15歳
この年、花街に初めて見番置かれる。
安永年間 船宿に粋な女将が座り始める。座頭高利貸の吉原での遊興目立つ。
両国広小路賑わう。
天明 2年(1782) 1月 京伝(22)、黄表紙『御存商売物』(自画)を刊行。 18歳
3年(1783) 1月 京伝(23)、身軽折介の狂名で狂歌檀でも活躍。 19歳
7月7日 ●浅間山大噴火。死者三万人に達する。
蔦重、日本橋通り油町に進出する。
4年(1784) 4月16日 ●吉原出火により中洲へ仮宅。 20歳
駿府町奉行小田切土佐守直年が江戸に出るに及んで、一九も江戸に出る。
5年(1785) 1月 京伝(25)、洒落本初作『息子部屋』(自画)、黄表紙『江戸生艶気樺』(自画)刊行。 21歳
6年(1786) 1月 歌麿(34)、艶本『幾久の露』半紙本3冊(蔦重板)刊行。 22歳
1月22日 ●江戸大火。湯島聖堂を焼く。
●諸国大凶作。
江戸を後に上方に向かう。
7年(1787) 1月 京伝(27)、洒落本『総籬』(鶏告画)刊行。 23歳
大坂に行き、浄瑠璃作者になる。
・松平定信、老中に任じられる。
11月9日 ●吉原出火により再び仮宅。
8年(1788) 1月

京伝(28)、洒落本『吉原ようじ』(自画)刊行。

黄表紙『文武二道万石通』(喜三二作、行麿画)、喜三二は戯作の筆を断つ。
歌麿(36)、艶本『歌まくら』折帖1冊(蔦重板)刊行。
1月29 ●京都大火。
田沼意次(70)没。
天明年間

見世物の女相撲禁止される。商人の娘が大名屋敷へ女中に行く事流行。

江戸に茶漬屋全盛。女義太夫盛り返す。
吉原の遊女屋に楼名をつける事始まる。看板書きが職業化す。
役者を真似て男が眉を剃る事流行する。
寛政 元年(1789 1月 黄表紙『鸚鵡返文武二道』(春町作、政美画)刊行。 25歳
2月 道頓堀大西芝居興行の浄瑠璃『木下蔭狭間合戦』の作者に近松余七で連名する。
京伝(29)、石部琴好の黄表紙『黒白水鏡』が当局の忌諱に触れ、過料に処せられる。
恋川春町(46)没。
11 記録上、相撲に横綱現れる。
2年(1790) 1月 京伝(30)、洒落本『傾城買四十八手』(自画、蔦重板)刊行。 26歳
2月 京伝、吉原扇屋の番頭新造菊園(お菊)を娶る。
5月 ・幕府、書籍出版取締令を出す。
馬琴(24)が京伝に入門を乞う。
11

・幕府、洒落本など、博奕、遊里に関する書籍の刊行を禁ずる。

初代柄井川柳(73)没。
石川島に人足寄場できる。隅田川に初めて桜並木を植える。
3年(1791 1月 京伝(31)、洒落本『錦之裏』(自画)、『仕懸文庫』(自画)刊行。 27歳
歌麿(39)、この頃より美人大首絵を発表。
2月 ・江戸市中銭湯の男女混浴を禁じる。
3月 京伝、蔦重(42)、手鎖50日の刑に処せられる。
4年(1792) 左吉(馬琴、26)、蔦重の番頭になる。 28歳
7月21日 ●江戸大火。
12月8日 勝川春章(67)没。
5年(1793) 結婚時は不明だが、この頃、訳あって、大坂の材木商の婿を離縁し江戸に出る。 29歳
京伝(33)の妻、お菊病死。
7月 左吉、耕書堂を辞し、飯田町中坂の履物商、伊勢屋の寡婦お百に入夫し、名を清右衛門と称す。
1025 ●江戸大火。
情死者の死体を晒す事を停止する。
6年(1794) 1月 読本『いろは水滸伝』(中本、振鷺亭作)刊行。 30歳
豊国(26)、『役者舞台の姿絵』のシリーズを発表。
歌麿(42)、『婦人人相十品』刊行。
1月10日 ●江戸大火。山王社を焼く。
蔦屋重三郎(45)の食客となり、京伝(34)作の滑稽本『初段金烏帽子魚』の挿絵を描く。
4月2日 ●吉原出火、全焼。
5月 蔦屋、写楽の役者絵を売り出す。7年の前半まで。
瀬川如皐(56)没。
本年と翌年、『一九画』の落款をもつ浮世絵が確認される。
7年(1795) 1月 唐来参和、樹下石上の勧めで黄表紙『心学時計草』等の黄表紙3作(蔦屋板)を刊行。 31歳
黄表紙『敵討義女英』(楚満人作、豊国画、和泉屋板)
歌麿(43)、艶本『妃多智男比』墨摺半紙本3冊刊行。
江戸都座『五大力恋緘』初演。
10 ・幕府、女髪結に華美な髪形の禁止を布達する。
●この秋、凶作、米価騰貴する。
8年(1796) 1月 黄表紙『初登山手習帖』『怪談筆始』『年中行状記』『化物小遣帳』等の黄表紙20部を刊行。 32歳
この年、蔦屋を出て長谷川町に移り住む。
春朗(37)、この頃、北斎と号す。
蔦重、病で寝込む。
この頃、狂歌師千穐庵三陀羅法師(神田お玉が池の左官、唐衣橘洲の弟子)に弟子入りする。
9年(1797 1月 黄表紙『化物見越松』(自画、岩戸屋板)、『今昔狐夜噺』(自画)刊行。 33歳
読本『絵本太閤記』初編(岡田玉山作画)刊行。
この頃、長谷川町の町人某の家に入夫する。
5月6日 蔦屋重三郎(48)没。
10 咄の会、禁止される。
1022 ●江戸大火。
10年(1798 1月 黄表紙『十偏舎戯作種本』(自画、榎本板)を刊行。 34歳
滑稽本『当変卜十露盤占』(栄邑堂板)を刊行。
艶本『笑本艶次郎』再刊。
洒落本『辰巳婦言』(三馬作、歌麿画)、『傾城買二筋道』(谷蛾作、雪華画)刊行。
歌麿(46)、艶本『色能知功佐』墨摺本3冊刊行。
北斎(39)、可候と号して美人画『風流なくてななくせ』(蔦重板)刊行。
2月 ・幕府、市中の女師匠が男に教えるのを禁ずる。
3月17日 ●四谷天龍寺前より出火。
8月 深川新大橋向こうに籾蔵建つ。
11年(1799 1月 京伝(39)、読本『忠臣水滸伝』前編(重政画)刊行。 35歳
黄表紙『両説娵入奇談』(自画、山口屋忠助板)刊行。
『狂歌東西集』に狂歌入集。三馬(24)と親交を持つ。
艶本『絵本江戸錦』墨摺半紙本(陽発山人作)
黄表紙『侠太平記鉢巻』で三馬、手鎖50日、版元は過料。
歌麿(47)、艶本『恋濃男娜巻』半紙本3冊、『ねがいの糸口』折帖1冊刊行。
北斎(40)、狂歌画帖『東遊』(蔦重板)刊行。
5月13日 六代目市川団十郎(22)没。
12年(1800 1月 黄表紙『稚衆忠臣蔵』(自画)、『木下陰間合戦』(自画)刊行。 36歳
狂歌絵本『夷曲東日記』(自画、編、栄邑堂板)刊行。
北斎(41)、狂歌画帖『東都名所一覧』(蔦重板)刊行。
2月23日

●田圃龍泉寺より出火、吉原焼亡。

3月12日 四代目岩井半四郎(56)没。
京伝(40)、吉原玉屋の玉の井(百合)を身請けし妻に迎える。
朱楽菅江(61)没。
・幕府、女人の富士登山を許可する。
寛政年間 ☆幕府、男色を重ねて禁止する。女髪結、町家へ出入りし始める。
大福餅売り始まる。女の浴衣姿の艶姿もてはやされる。
職業として落語家出現す。相撲番付初めてできる。
向島の桜、名勝となる。向島に町人の寮が増える。
装飾の多いピラピラ簪が流行。
天水桶置かれる。民間に陶器の使用盛んになる。
享和 元年(1801) 1月 洒落本初作『恵比良濃梅』等3作を刊行。 37歳
北斎(42)、伊勢屋利兵衛より『江戸八景』『東都十二景』を刊行。
京伝(41)、読本『忠臣水滸伝』後編(重政画)刊行。

吉原での放蕩が原因で、婿に入っていた長谷川町の某家から離縁される。

1月末 常陸の鹿島、香取、息栖三神宮から銚子を回る旅に出る。
銚子の二一天久(自在庵)と知り合う。
3月 三代目沢村宗十郎(49)没。
3月 18日より15日間、浅草観世音開帳。
箱根入湯に出掛ける。
2年(1802) 1月1日 ●江戸大火。 38歳
28部の作品を刊行。読本初作『深窓奇談』(中本、自画、中川新七板)5冊、
読本『列国怪談聞書帖』(春章、春英画、文栄堂板)、
滑稽本『浮世道中膝栗毛』初編(品川〜小田原、自画、村田屋栄邑堂板)、
洒落本『商内神』、洒落本『滑稽吉原談語』、
噺本『落咄臍くり金』(自画、田中久五郎板)、
黄表紙『耳学問』(歌麿画)、黄表紙『美男狸金箔』(自画、岩戸屋板)など。
読本『絵本太閤記』(岡田玉山作画)完結。
歌麿(50)、艶本『葉男婦舞喜』半紙本3冊(道楽人作)
『笑上戸』半紙本3冊、『恋濃婦登佐男』半紙本3冊、
『美津埜葉那』半紙本3冊、『小町引』折帖1冊刊行。
黄表紙『讐敵夜居鷹』(菊麿画)、
黄表紙『艶次郎二代目通人寝言』(菊麿改喜久麿画)
2月 洒落本の取締令が出される。
6月27日 四代目松本幸四郎(66)没。
7月1日 ●諸国洪水。江戸最も甚だしい。
7月18日 唐衣橘洲(60)没。
この年、菊麿、喜久麿と改名。
3年(1803) 1月 読本『怪物與論』(自画)、滑稽本『膝栗毛』2編(箱根〜岡部、自画、栄邑堂板)刊行。 39歳
歌麿(51)、艶本『執心久楽』半紙本3冊刊行。
黄表紙『賤富一代早替』(喜久麿画)
美人画『当時全盛達芸集』(喜久麿画、丸屋板)
1月 ●江戸に火災多い。
4月より 6月まで、●麻疹流行し、死者多数出る。
8月 柳原堤の側に籾蔵建つ。
享和年間 縁日の夜店盛んとなる。婦女も縁日などに初めて夜歩きをなす。
小金井の桜評判となり始まる。
隅田川川開きの花火、5月28日と定める。
茶人、幼女が被布を着る事始まる。女犯僧多く処罰される。
文化 元年(1804) 1月 洒落本『教訓相撲取艸』(喜久麿画)、滑稽本『風流田舎草紙』(自画)、 40歳
滑稽本『膝栗毛』3編(岡部〜舞坂、自画、栄邑堂板)、
滑稽本『附会案文』(喜久麿画、駿河屋半兵衛板)、
絵本『吉原春楼年中行事』(歌麿画、上総屋忠助板)刊行。
京伝(44)、読本『優曇華物語』(武清画)刊行。
北斎(45)、狂歌絵本『隅田川両岸一覧』3冊刊行。
馬琴(38)、読本『月氷奇談』刊行。これより、読本流行する。
美人画『志喜初の図、三浦屋内高尾座舗の躰』(喜久麿画、蔦重板)
3月末 喜久麿、名を月麿と改名する。
4月 絵草紙、武者絵等に対する出版取締令が出され、『絵本太閤記』を初め、錦絵類も絶版に処される。
4月13日 北斎、音羽の護国寺にて、大達磨を描く。
5月

黄表紙『化物太平記』(自画、山口屋忠助板)が絶版、手鎖50日に処される。

喜多川歌麿(52)、同月麿、勝川春亭(35)、同春英(43)、歌川豊国(36)らも処される。
7月3日 より、河原崎屋『天竺徳兵衛韓噺』(四代目鶴屋南北作)初演。尾上松助の水中早変わり大評判。
8月13日 より、中村座『義経千本桜』三津五郎、6役を演じる。
この年、お民が女房になっている。
感和亭鬼武(1760−1818.45)、弟子美屋一作、月麿らと遊ぶ。
2年(1805) 1月 洒落本『倡売往来』(自画)、
滑稽本『膝栗毛』4編(新居〜桑名、自画、栄邑堂板)、
41歳
黄表紙『滑稽しっこなし』前編(月麿画、山口屋忠助板)、
黄表紙『操染心雛形』(月麿画)刊行。
京伝(45)、読本『曙草紙』(豊国画)刊行。
北斎(46)、小判『東海道五十三次』(伊勢屋板)56枚刊行。
黄表紙『落噺叶福助』(月麿画)
3月 尾上松助の立派な衣装がお上より咎められる。
●江戸旱魃。
5月 馬琴(39)、読本『新編水滸伝』(北斎画)刊行。
6月 関東取締出役、新設される。
9月

女義太夫、再び禁止される。

10 伊勢参宮の旅に出掛ける。
3年(1806) 1月 読本『復讐奇談雨橋立』(中本、豊国画)、 42歳
滑稽本『串戯しっこなし』後編(自画か?、山口屋板)
(桑名〜伊勢、豊国、自画、栄邑堂板)、

滑稽本『膝栗毛』5編追加(山田市中と神宮詣で)、

『膝栗毛』の5編より江戸・大坂同時発売となる。

滑稽本『旧観帖』2編(鬼武作、栄邑堂板)に序を寄せる。

読本『浪花鳥梅』(月麿画)
3月4日 ●江戸芝に大火。京伝、一九、罹災する。武家屋敷殆ど焼く。
大火罹災後、亀戸の寓居に住む。後、橘町または深川佐賀町に転居する。
9月20日

喜多川歌麿(54)没。英山の美人画が注目される。

1029

五代目市川団十郎(66)、向島の別荘にて没。

1113

●夜5つ、葺屋町河岸より出火、堺町、よし町、大坂町、甚左衛門町、難波町、蠣殻町まで焼ける。

この頃、北斎(47)、馬琴(40)の家の二階に住む。
4年(1807) 1月 読本『翁丸物語』(中本、北馬画)、 43歳
滑稽本『膝栗毛』6編(伏見〜京都、豊国、自画、栄邑堂)
合巻『諏訪湖狐怪談』前編(春亭画)刊行。
京伝(47)、読本『梅花氷裂』(豊国画)、合巻『於六櫛木曽仇討』(豊国画)刊行。
読本『椿説弓張月』前編(馬琴作、北斎画)刊行。

美人画『定家卿五色和歌』(月麿画)5枚揃刊行。

合巻『欲皮千枚帳』(一九作、月麿画、錦耕堂板)

艶本『道中千話栗毛』2冊(前肩雲輔作)刊行。

亀戸村に転居。
3月9日

南仙笑楚満人(59)没。

8月19日

●深川八幡祭の人手で永代橋が落ち、溺死者500余人出る。

9月15日 神田明神祭礼。

通油町へ戻る。

5年(1808) 1月 読本『白鷲塚』(中本)、滑稽本『膝栗毛』7編(京都、春亭、自画、栄邑堂板)、 44歳
滑稽本『江戸前噺鰻』(二世春町画)、咄本『曲形瓢』(美丸画)、
合巻『諏訪湖狐怪談』後編(春亭画)、合巻『質流人行末』(錦耕堂板)刊行。
京伝(48)、合巻『岩井櫛粂野仇討』(豊国画)刊行。
読本『椿説弓張月』後編(馬琴作、北斎画)
『三七全伝南柯夢』(馬琴作、北斎画)刊行。
黄表紙『復仇奥州瓶割坂』(月麿画)
●江戸と近国に50年来の大雪。
3月 北斎(49)、馬琴(42)の家を出て、本所亀沢町に新築した家に移る。
5月 大坂から来た歌右衛門、大評判。
6月 月麿、『上州草津温泉略図、旅宿の体』の改印を受ける。
6月17日 ●関東大雨洪水。
7月25日 ●諸国に大風雨、江戸近国洪水。
通油町翠橋の地本問屋会所に住し、駿河屋藤兵衛と称す。
6年(1809) 1月1日 ●江戸日本橋、本所大火。 45歳

滑稽本『膝栗毛』8編(大坂、美丸、式麿、自画、栄邑堂板)、

滑稽本『江の島土産』初編(春亭画)、
咄本『春雨夜話』(美丸画)、合巻『串戯狂言一夜附』(月麿画)刊行。
京伝(49)、読本『本朝酔菩提全伝』(豊国画)、読本『小説浮牡丹全伝』(豊広画)刊行。
滑稽本『浮世風呂』前編(三馬作、美丸画)刊行。
合巻『松梅竹取物語』(国貞画)刊行。

黄表紙『化物尽』(月麿画)、黄表紙『鄙舎者富田無礼話』(東里山人(20)作、月麿画)

8月23日 ●江戸近郊大風雨、被害甚大。
7年(1810) 1月 滑稽本『続膝栗毛』初編(月麿、式麿画、自画、栄邑堂板)、 46歳
『江の島土産』2編(月麿画)、3編(春亭画)、
合巻『曲輪育操松』(月麿画)
仲夏より初冬まで眼を煩う。
8年(1811) 1月 滑稽本『続膝栗毛』2編(北斎画、自画、栄邑堂板)、 47歳
春から7月盆前まで、伊勢太々講に参り、大阪に逗留する。
9年(1812) 1月 『続膝栗毛』3編、刊行。 48歳
6月 木曽街道の取材旅行に出掛ける。
6月29日 軽井沢宿『日野屋』で三河万才と同宿となる。
10年(1813 1月 『続膝栗毛』4編、刊行。 49歳
本年、あるいは前年中、播磨巡りをする。
11年(1814 7月 信州松本の高美甚左衛門を訪問し、その後、善光寺に参詣する。 50歳
10

北陸道から奥州路を回り江戸に帰る。

本年、眼病が再発し、以降しばしば悩まされる。
12年(1815 7月 名古屋に行き、書肆松屋善兵衛方へ逗留する。 51歳
13年(1816 4月 高崎から三国峠を越えて越後塩沢の鈴木牧之を訪問。
52歳
その後、小千谷を経て新潟へ出る。
日本海岸を高田から赤倉温泉高田屋富五郎に滞在。
信濃路に入り善光寺を参拝し千曲川を船で渡り、福島(須坂)から仁礼、大笹越えで菅平を通り、鳥居峠、大笹宿、草津に滞在。
文化年間 市民が江戸っ子と自称する事始まる。桜餅売り始まる。
ギヤマンの器物製し始める。初めて化粧品の専門店が開業。
寄席、初めてできる。一般の婦人に厚化粧多くなる。

一般の婦人に前掛が普及。初めて釣堀できる。

一日の芝居見物料1両2分。八王子で黒紬を織り出す。
山谷船500艘となる。半身足なしの幽霊形式出来上がる。
団体の花見客多くなる。街に踊りの師匠成り立つ。
女郎が長襦袢を着始める。狐拳が流行。
町娘が踊り、三味線に精を出す。楊弓場出来始める。

農村に無頼漢横行する。江戸が4里四方に拡大する。内藤新宿が大繁盛。

向両国繁盛する。女の口紅笹色のつや紅を用いる。虚無僧多く美服となる。
文政 元年(1818) 4月 越後を訪れ、26日より3日間、鈴木牧之宅に滞在する。 54歳
2年(1819) 善光寺、草津に行く。 55歳
8月 信州伊那郡大出村の書画会に招かれる。
本年、深川佐賀町に転居する。
3年(1820) 1月 滑稽本『続膝栗毛』10編(春亭、自画)刊行。 56歳
人情本『清談峯初花』初編(美丸画、双鶴堂板)
7月

上州草津に入湯し、鈴木牧之と共に秋山を巡る。

4年(1821) 1月 滑稽本『善光寺草津道中金草鞋』(国丸画)刊行。 57歳
5年(1822) 『膝栗毛』完結。人情本『浮世清濁/水かがみ』(英泉画、耕文堂板) 58歳
6年(1823) 前年頃発病した中風で不自由をかこつ。 59歳
7年(1824) 人情本『朧月夜』初編(英泉画、千翁軒他板) 60歳
12年(1829 3月 大火に罹災し、長谷川町に借宅する。この頃より手足が不自由になる。 65歳
天保 2年(1831 8月7日 没。浅草東陽院『心月院一九日光居士』 67歳




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