酔雲庵

草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし

井野酔雲

創作ノート




喜多川月麿の略歴




喜多川菊麿。寛政より文化文政の人、後、月麿と改める。通称、六三郎、千助。馬喰町に住む。文化中、小伝馬町廐新道に住し家守となる。板刻の草双紙あり。文政以後は観雪と称して版画を廃す(新増補浮世絵類考)。

小川氏、名は潤、字は士達、墨亭又は観雪斎と号す。菊麿筆美人画の落款に『文化元甲子(1804)春三月末□ 喜多川一流倭画司筆 喜久麿改 正名月麿図□□』右の如く有り、然れば月麿と改めしは此の時なるべし(故法室本写本)。なお、菊麿→喜久麿の改名年次については井上和雄氏は享和二年(1802)とされている。


歌麿の門人 ‥‥‥ 二代歌麿、千代女、行麿、道麿、藤麿、秀麿、月麿、千歌信、磯麿、あし麿、峰麿、可麿、花麿、年麿、竹麿。
二代歌麿 ‥‥‥ 歌麿門人、作画期は文化3年(1806)〜文化13年(1816)、俗称は鉄五郎、別号は梅雅堂、馬喰町1丁目に住む、初め恋川春町に就いて戯作を学び、恋川幸町と称し、黄表紙5、6種作りたり(1787〜1795)、師の没後、二代目春町を襲名し、文化年間にも二、三の草双紙を作れり、それより前、初代歌麿の門に入りて画を学びしが、画名は戯作名と同じく春町と称せしものの如し、然るに、文化3年9月、初代歌麿の没するや、 間もなく二代歌麿を名乗り、師の晩年の画風に酷似せる美人画の錦絵を数多く出だせり。
喜多川秀麿 ‥‥‥ 歌麿門人、作画期は享和から文化、下谷柳稲荷社前に住む。錦絵美人画及び雅本の挿絵あり。
喜多川式麿 ‥‥‥ 歌麿門人なり、俗称東海林平次右衛門といい、小石川水道端天神下に住す。錦画有り。文化年中没す(故法室本写本)。月麿門人説もあり。
喜多川雪麿 ‥‥‥ 月麿門人なり、墨川亭と号す。高田侯藩中にて通称、田中善三郎という。後に画を廃して戯作者となれり、読本草双紙等の著多し(新増補浮世絵類考)。





1775 六三郎、生まれる。 1歳
1785 鳥居清長(34)、鳥居家を継ぎ、美人画をやめる。 11歳
1787 1月 山東京伝、洒落本『総籬』刊行。 13歳
1788 1月 歌麿、狂歌絵本『虫ゑらみ』、艶本『歌まくら』刊行。 14歳
8月3日 歌麿の師匠、鳥山石燕(77)死す。
歌麿、妻、りよを伴い蔦屋を出て、深川久右衛門町に住む。
1789 7月7日 恋川春町(46)死す。 15歳
1790 1月 京伝、洒落本『傾城買四十八手』刊行。 16歳
歌麿の妻、りよ死す。神田弁慶橋久右衛門町に移る。
1791 1月 歌麿、この頃より美人大首絵を刊行。 17歳
京伝、洒落本『錦の裏』『仕懸文庫』刊行。
3月

蔦重、京伝、手鎖50日に処せられる。

1792 六三郎、この頃、歌麿に弟子入り(住み込み)する。千助と改名。 18歳
兄弟子に行麿(1788年、京伝の黄表紙の絵を描く)がいた。
勝川春章(67)死す。
1793 1月 歌麿、『娘日時計』を村田屋より刊行。 19歳
1794 1月 歌麿、『当時全盛似顔揃』(若狭屋)刊行。 20歳
5月 写楽、翌年1月にかけて、役者絵145点を蔦屋より刊行。
一九(30)、蔦重の家に居候する。
1795 1月 歌麿、『北國五色墨』『青楼七子町』『高名美人六歌仙』刊行。 21歳
歌麿、艶本『会本妃多智男比』を刊行。
歌麿、京伝、蔦重と共に草津に行く。その後、歌麿と栃木へ行く。
1796 1月 歌麿、『五人美人愛嬌競』『六玉川』『恋歌集』刊行。 22歳
一九(32)、蔦重の家を出て、長谷川町に住む。
吉原の花魁に惚れるが高値の花。
1797 1月 歌麿、『青楼遊君合鏡』『錦織歌麿形新模様』刊行。 23歳
歌麿、艶本『会本三女歌多智』刊行。
5月6日 蔦屋重三郎(48)死す。
1798 1月 歌麿、『忠臣蔵』『相合傘』『風俗浮世八景』『流行模様歌麿形』刊行。 24歳
歌麿、艶本『会本色能知功佐』『会本都功密那倍』を刊行。
栄之(43)、この頃より版画をやめ、肉筆画に専念する。
1799 1月 歌麿、艶本『会本恋濃男娜巻』『ねがいの糸ぐち』を刊行。 25歳
5月13日 六代目団十郎(22)死す。
1800年 1月 菊麿、大錦『稽古』(村田屋板)刊行。 26歳
菊麿、大錦『松葉屋内歌之助』(鶴屋金助板)刊行。
菊麿、大錦『浅草観音奉拭額之図、扇屋内滝川』刊行。
2月23日 吉原大火、深川に仮宅。
1801 1月 歌麿、『教訓親の目鑑』刊行。 27歳
菊麿、噺本『落咄笑嘉登』(銀馬作)刊行。
歌麿と共に栃木に行く。
1802 1月 菊麿、黄表紙『讐敵夜居鷹』(一九作)『艶次郎二代目通人寝言』(一九作)刊行。 28歳
歌麿、艶本『道行恋濃婦登佐男』、『葉男婦舞喜』(一九作)、『美津埜葉那』、『小町引』を刊行。
歌麿、黄表紙『耳学問』3冊(一九作)刊行。
一九、滑稽本『膝栗毛』を刊行。売れっ子になる。
歌麿(50)、千代(22)と再婚し、馬喰町3丁目に移る。
菊麿を喜久麿に改名し、歌麿の家を出て独立。
1803 1月 喜久麿、大錦『新吉原万屋八郎兵衛格子先』刊行。 29歳
喜久麿、大錦『当時全盛達芸集』(丸屋板)刊行。
喜久麿、黄表紙『賎富一代早替』(栄邑堂作)刊行。
秀麿、黄表紙『臍沸西遊記』(馬琴作)刊行。
歌麿、艶本『会本執心久楽』『絵本笑上戸』を刊行。
1804 1月 歌麿、絵本『青楼年中行事』色摺半紙本2冊(一九作、上総屋板)刊行。 30歳
喜久麿、黄表紙『教訓相撲取艸』(一九作)刊行。
喜久麿、滑稽本『附文案文』(一九作、駿河屋板)刊行。
喜久麿、大錦『志喜初の図、三浦屋内高尾座舗の躰』(蔦重板)
喜久麿、大錦『四季咲遊君生花、松葉屋内市川』(丸文板)
3月末 喜久麿を月麿に改名する。
月麿、大錦『扇屋内艶粧』(岩戸屋板)刊行。
月麿、大錦『丁字屋内唐歌、錦尾』(岩戸屋板)刊行。
5月 歌麿(52)、月麿、勝川春亭(35)、同春英(43)、歌川豊国(36)、一九(40)ら、手鎖50日に処せられる。
1805 1月 月麿、黄表紙『滑稽しっこなし』(一九作、山口屋板)刊行。 31歳
月麿、黄表紙『操染心雛形』(一九作)刊行。
月麿、黄表紙『落話叶福助』刊行。
月麿、黄表紙『復讐阿部花街』(一九作)刊行。
1806 月麿、読本『浪花鳥梅』(一九作)刊行。 32歳
3月4日 江戸大火。京伝、一九、罹災する。
6月 歌麿、大錦3枚続『扇屋張見世』の改印を受ける。
9月20日 歌麿(54)死す。二世春町、二世歌麿を名乗る。
1029 五代目団十郎(66)死す。
1113 江戸大火。中村、市村座焼ける。
1807 1月 月麿、大錦『定家卿五色和歌』5枚揃を刊行。 33歳
月麿、黄表紙『欲皮千枚帳』(一九作、錦耕堂板)
艶本、前肩雲輔作『道中千話栗毛』刊行。
8月19日 永代橋落ちる。
9月15日 神田明神祭礼。
9月20日 歌麿の一年忌。
1808 1月 月麿、合巻『復仇奥州瓶割坂』(一九作)刊行。 34歳
6月 月麿、大錦3枚続『上州草津温泉略図、旅宿の体』の改印を受ける。
1809 1月1日 江戸大火。 35歳
月麿、黄表紙『化物尽』『鄙舎者富田無礼話』(東里山人作)刊行。
式麿、黄表紙『奇語業平塚由来』刊行。
三馬、滑稽本『浮世風呂』前編、刊行。
1810 1月 月麿、滑稽本『江の島土産』(一九作)刊行。 36歳
月麿、滑稽本『続膝栗毛』初編(一九作)刊行。
1811 1月 月麿、滑稽本『六阿弥陀詣』初編(一九作)刊行。 37歳

月麿、合巻『駿州霊蛇唐衣』(柴舟庵一双作)刊行。

1812 1月 月麿、滑稽本『続膝栗毛』3編(一九作)刊行。 38歳
1813 1月 月麿、滑稽本『続膝栗毛』4編(一九作)刊行。 39歳
月麿、合巻『奴五斗米名誉滝水』(五返舎半九作)刊行。
1814 1月 月麿、滑稽本『続膝栗毛』5編(一九作)刊行。 40歳
1815 1月 月麿、滑稽本『続膝栗毛』6編(一九作)刊行。 41歳
1816 1月 月麿、滑稽本『続膝栗毛』7、8編(一九作)刊行。 42歳
1817 1月 月麿、合巻『化物大福餅』(五返舎半九作)刊行。 43歳
1820 1月 一九、人情本『清談峯初花』初編(鶴屋金助板)刊行。 46歳
1830 死す。 56歳
1831 8月7日 一九(67)死す。




上州草津温泉略図、喜多川月麿筆上州草津温泉略図、喜多川月麿筆上州草津温泉略図、喜多川月麿筆


上州草津温泉略図、喜多川月麿筆

上図は草津温泉の旅館『日新館』のお食事処に飾ってある三枚続きの浮世絵です。煙草盆に『湯安』、水桶に『湯本』と書いてあり、湯本安兵衛の宿屋の内部を描いたものとわかります。




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