酔雲庵

無住心剣流・針ヶ谷夕雲

井野酔雲







十七




 木陰に座り込み、五郎右衛門は木剣を作っていた。昨日、また、折ってしまい、何本も作っておいた木剣が、とうとう、なくなってしまった。お鶴から教わった唄を口ずさみながら木を削っていた。

 突然、照れ笑いをすると空を見上げた。

 昨夜、満月がよく出ていたのに、今日は一雨来そうな、うっとおしい空模様だった。流れて行く雲を眺めると舌打ちをして、また、木剣を作り始めた。

 わしが彫刻に熱中している時、それは、お鶴が笛を吹いている時と同じじゃな。

 (くう)じゃ。

 剣も空。剣だけじゃなく、常住座臥(じょうじゅうざが)、これ、すべて空。

 人間も空。花も空。

 敵もなく、我もなし。

 敵も殺さず、我も殺さず。敵を生かし、我も生かす。これ活人剣(かつにんけん)なり。

 お鶴が言うように馬鹿になりきればいいんじゃ。喧嘩になったら逃げればいい。唄でも歌いながら逃げればいい。なにも一々強がってみせる必要などない。人がどう思おうと気にせず、生きて行けばいいんじゃ。しかし、わしにそんな生き方ができるか。馬鹿になりきれるか。お鶴のように、明けっ広げになれるか。

 これは剣の修行より難しそうじゃな。まあ、この先、お鶴と付き合って行けば何とかなるじゃろう。

 お鶴は川に洗濯に行ったが、どうせ、また、魚と遊んでいるのじゃろう。勝手に魚に、お亀さんなんて名前を付けて、今頃、馬鹿な話でもしてるんじゃろう。

 ねえ、お亀さん、今度、あたしんちにいらっしゃいよ。御馳走してあげるわよ。

 あら、お鶴さん、あんたのいい人、連れて来るんじゃなかったの。

 それが駄目なのよ。うちの人、堅物なのよ‥‥‥なんて話してるんじゃろ。

 あれは本物の馬鹿じゃ‥‥‥うむ。間違いなく、本物の馬鹿じゃ。

 五郎右衛門は一人でニヤニヤしながら木剣を彫っていた。

「キャー、あなた!」

 突然、お鶴の叫び声が聞こえた。

 五郎右衛門は慌てて、小川の方に走った。

 お鶴は洗濯物を真っ赤に染めて、小川の中に倒れていた。側には、戦場から抜け出して来たような武士が血の付いた太刀を引っ下げたまま立っていた。ボロボロになった(よろい)を身に付け、目付きが異様に光っている。

 何じゃ、こいつは、と思いながら五郎右衛門はお鶴を抱き起こした。

「おい、しっかりしろ」

「あなた‥‥‥」

 お鶴は苦しそうな顔をして、五郎右衛門にしがみついて来た。

 お鶴の左肩が割れていた。パックリと割れて血が溢れ出していた。左手が今にも、もげそうにぶら下がっている。

 五郎右衛門は慌てて、割れた肩をつなげようと、お鶴の体を強く抱き締めた。

「一体、どうしたんじゃ」

 五郎右衛門は、うなだれているお鶴の頭を持ち上げた。お鶴の暖かい血が五郎右衛門の体を濡らしていた。早く、血を止めなくてはと焦ったが、血はドクドクと流れていた。

「おぬしも裏切りおったな」と鎧武者(よろいむしゃ)が五郎右衛門の後ろで、訳のわからない事を言った。

 五郎右衛門はその時、あの野郎がお鶴を斬ったんだと気づいた。

 あの野郎を斬らなくてはならん‥‥‥と思ったが、お鶴を放っておく事はできなかった。

「お鶴、しっかりするんじゃ」と五郎右衛門は叫んだ。

 お鶴は五郎右衛門を見つめ、何かを言おうとしていたが言葉にならなかった。

「その女はわしらを裏切りおった。おぬしも仲間じゃな。お前らのお陰で、わしらは挟み打ちに会ったんじゃ。殺してやる!」

 鎧武者は太刀を振り上げ、五郎右衛門に斬り付けて来た。

「あなた!」とお鶴が必死に叫んだ。

 五郎右衛門は彫り掛けの木剣をつかむと素早く振り返った。

 あっと言う間だった。五郎右衛門の木剣は鎧武者の喉を突き通していた。五郎右衛門は木剣から手を離し、鎧武者から太刀を奪い取ると遠くに投げ捨てた。鎧武者は木剣を喉に貫かれたまま音を立てて倒れた。

 五郎右衛門はお鶴を抱き上げた。

「お鶴、しっかりしろ。死ぬんじゃねえぞ」

 お鶴はかすかにうなづいた。右手を伸ばし、五郎右衛門の肩をつかんだ。

「あなた‥‥‥お願い‥‥‥二度と、人を殺さないで‥‥‥」

「死ぬなよ。死ぬんじゃねえぞ」

「ね‥‥‥あなた‥‥‥約束してね‥‥‥」

「わかった。二度と人は斬らん。しっかりしろ!」

「あなた‥‥‥五郎右衛門様‥‥‥」

「お鶴!」

「ありがとう‥‥‥」

 お鶴は力尽きて、息絶えた。

「お鶴!」と五郎右衛門は叫んだ。

 目から涙が溢れ出して来た。お鶴を抱き締め、いつまでもいつまでも泣いていた。




 お鶴が死んでから、五郎右衛門は剣を取ろうとはしなかった。

 五郎右衛門はお鶴を、お鶴が気に入っていた岩屋の上に(ほうむ)った。そして、墓の前に座り込んだまま、何日も何日も動こうとしなかった。

 人の気配を感じ、振り返ると和尚が立っていた。

「この馬鹿もん! いつまでも、そんな所に座っていてどうするんじゃ。情けない奴じゃのう。お鶴が墓の下で笑ってるぞ。お鶴の死を無駄にするな。お鶴を殺したあの男は気違いだったそうじゃ。沼田の城下で暴れて、六人を殺し、この山に逃げ来んだんじゃ。山狩りをしたらしいがの、捕まらなかったそうじゃ。運が悪かったとしか言いようがない。酒を持って来た。今晩、二人で飲め」

 和尚はそれだけ言うと帰って行った。




 五郎右衛門はお鶴の墓を相手に酒を飲んでいた。酔いが回り始めて来た頃、お鶴は墓の中から現れた。

「元気出しなさいよ、五右衛門ちゃん」とお鶴は陽気に笑った。

「お鶴、やっぱり、出て来てくれたのう」と五郎右衛門はお鶴の手を取った。

「出て来ると思った?」

「ああ。ろくに別れも告げずに行っちまったからの」

「御免ね」とお鶴は酒を注いでくれた。

「あの世は面白いか」

「うん。どこでも同じよ。楽しくやってるわ」

「相変わらず、あの調子か」

「そう、あの調子で遊んでるの。ねえ、あなた、今日限りで、あたしの事は忘れてね。あなたにはやるべき事があるわ。それをちゃんとやらなくちゃ。いつまでも、あたしの事を思って、くよくよしてたら、あたし、あなたの事、嫌いになっちゃうわ。ね、お願いよ」

「ああ」

「でも、絶対に、あたしの事、忘れちゃ、いやよ。わかる? あたしの事は忘れなくちゃ駄目だけど、決して、忘れちゃ、いやよ」

「わしにも、ようやく、そういう事がわかりかけて来た」

「じゃあ、今晩はお別れの酒盃(さかづき)ね。あたし、もう二度と、あなたの前には現れないわ。その代わり、あたしはあなたの刀の中にいると思ってね」

「わしの刀の中にか」

 お鶴はうなづいた。

「あなたの刀は人を斬るために使ってはいけないわ。仁王様の刀と同じよ。人の心の中の悪を断ち斬るのよ。そして、世の中のために使ってね。もし、あなたが、その事を忘れて、人を斬るために刀を抜いたら、あたし、その刀を折っちゃうわ。そして、あなたは死ぬのよ。でも、そんな死に方をした、あなたなんかに、あたし、会いたくない。相打ちも駄目よ。自分を殺して相手も殺す。一見、正しいように思えるけど、よくない事だわ。死んだ二人はいいかもしれないけど、必ず、悲しむ人たちがいるはずだわ。あたしが死んで、あなたが悲しんだように、きっと、誰かが悲しむのよ。だから、人を殺しては駄目。御免ね、あたしらしくないわね、こんなお説教なんかして‥‥‥あなたなら、ちゃんとわかってくれるわよね。だって、あたしが惚れたんだもの。五郎右衛門様‥‥‥」

「お鶴‥‥‥」

「あたし、もう、しゃべる事、何もなくなっちゃった」

「何もしゃべらなくてもいいさ。一緒に酒を飲もう」

「うん」

 二人は無言で酒を酌み交わした。不思議な程、お互いの気持ちは通じ合っていた。

「お前を殺した、あの鎧武者は気違いだったそうじゃ」

「聞いたわ。関ヶ原の合戦の時、味方に裏切られて、あの人のいた部隊が全滅したんですって。あの人だけが生き残ったんだけど、逆に裏切り者扱いをされて、家族は殺され、関東に逃げて来たのよ。その後、沼田の真田家に仕えたんだけど、また、仲間に裏切られて、とうとう狂ってしまったらしいわ。戦があの人を狂わせてしまったのよ。あの人だけじゃないわ。大勢の人が戦で人生を狂わせてしまったの。戦のない世の中を作らなければいけないわ」

「そうじゃな‥‥‥戦のない世の中をな」

 最後にお鶴は横笛を吹いてくれた。

 夜のしじまに優しい笛の音が流れた。




 五郎右衛門は目を覚ました。

 夜が明けようとしていた。

 東の空が明るくなっていた。

 お鶴はもういなかった。お鶴が座っていた所に、小さな草が生えていた。

 一輪の小さな花が、今にも咲きそうだった。

 つぼみがほころび始めている。五郎右衛門は、その花をじっと見つめていた。花は少しづつ、少しづつ、ほころび、ピンという音を立てて力強く開いた。可憐で、綺麗で、可愛い、その小さな花は、お鶴そっくりだった。

 五郎右衛門は、その白い華奢(きゃしゃ)な花びらに触れようと右手を伸ばした。そして、触れようとした時、花の中から一滴のしずくが、五郎右衛門の手のひらにこぼれ落ちた。

 五郎右衛門は、その時、何かが、パッとはじけたような気がした。

 もう一度、花を見つめた。

 花はそこに咲いていた。何も言わず、ただ、無心に咲いていた。

 五郎右衛門は刀を取ると、素早く一振りしてみた。

「これじゃ! これじゃ!」

 五郎右衛門はもう一度、刀を振り下ろしてみた。

「これじゃ! お鶴、やっとわかったぞ。活人剣‥‥‥そして、お前が言う仁王様の剣‥‥‥」

 五郎右衛門は刀を(さや)に納めようとした。そして、気が付いた。刀の(つば)もとに鶴の彫刻が彫ってあった。鶴が気持ち良さそうに空を飛んでいる。いつか、お鶴と一緒に見た夕雲の姿だった。それだけではなかった。その刀には刃が付いていなかった。綺麗に刃びきしてあった。

「お鶴め、やりやがったな‥‥‥」と五郎右衛門は笑った。そして、大きくうなづくと、「これで、いいんじゃ」と言った。

「今のわしには刀の刃なんて必要ない。お鶴、ありがとうよ。お前は死んでまでも遊んでいやがる」

 五郎右衛門は花を見た。

 何となく、その花が笑ったような気がした。




 五郎右衛門は和尚と立ち合っていた。

 和尚はいつものように杖を突いたまま突っ立ち、五郎右衛門は腰に刀を差したまま突っ立っていた。

 二人とも、ただ、ぼうっと立っているだけのように見えるが、和尚は五郎右衛門の心境を読み取っていた。

「できたようじゃな」と顎髭を撫でながら和尚は言った。

 五郎右衛門はうなづいた。

「『相抜け』とでも申そうか。相手を生かし、己も生かす。何事にも囚われず自由自在。名付けて、無住心剣」

「ムジュウシンケン?」

 和尚は杖で、土の上に『無住心剣』と書いた。

「お鶴の剣じゃな」

「無住心剣か‥‥‥」

「お鶴もきっと喜んどるじゃろ。あの女の事じゃから、お釈迦様相手に、おぬしの自慢でもしてるかもしれんのう‥‥‥さて、おぬし、これからどうする」

「はい。この無住心剣の使い道を捜しに行きます」

「そうか、うむ」

「とりあえずは江戸に帰り、それから、(みん)の国(中国)に渡ってみようかと思っています」

「明の国か、それもいいじゃろう。おぬしの無住心剣、どこに行こうと大丈夫じゃ。明に行って、もっと色んな人間を見て来るがいい」

「はい」




およそ太刀を取りて敵に向かわば
            別の事は更に無く
その間遠くば太刀の当たる所まで行くべし
            行き付けたらば打つべし
その間近くばそのまま打つべし
            何の思惟(しい)も入るべからず


  かけたる事なき大空
       されど
       そこに
      何やら動くものあり
           進むべき道を進みゆく


         無住心剣流 針ケ谷五郎右衛門



 五郎右衛門は紙にそう書くと丸めて、お鶴の像の前に置いた。

 三ケ月余り、世話になった岩屋に別れを告げると、お鶴の墓の前に座った。

 墓に酒を飲ませ、自分も飲むと、

 ♪空飛ぶ気楽な鳥見てさえも、あたしゃ悲しくなるばかり〜

 と小声で歌った。

 可憐に咲いている小さな花をちょこんとさわると両手を合わせた。

 五郎右衛門は軽い足取りで山を下りて行った。




 晩年近く、五郎右衛門は江戸に無住心剣流の道場を開き、多くの門弟を育てた。その門弟の数、二千四、五百にも及び、無住心剣流は一世を風靡(ふうび)した。

 同じ頃、お鶴の仇である松林左馬助も夢想願流の道場を開いた。

 五郎右衛門と左馬助が試合をしたかどうかはさだかではない。

 五郎右衛門が晩年、夕雲(せきうん)と号したのに対し、左馬助は無雲(むうん)と号した。

 お鶴という一人の女を愛した、同い年の二人の武芸者は、お互いに相手を意識していた事は確かだろう。










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