酔雲庵

時は今‥‥石川五右衛門伝

井野酔雲





夕立




 カンカン照りの物凄い暑さだった。

 堺に向かったマリアと勘八は、その日の昼頃、高槻に着いた。

「たまらんのう」と勘八は汗でビッショリになった手拭いを絞ると、頭の上に載せた。

 マリアの洒落たハンカチもビショビショだった。菅笠を被っていたが、この猛暑には耐えられないようだった。溜め息をつきながら、恨めしそうに太陽を見上げた。

 高山右近の城下、高槻はキリシタンの都だった。城下に住む者はほとんどがキリシタンで、あちこちに教会堂が建ち、南蛮人も多く、まるで、異国に来たような雰囲気だった。

 久し振りに帰って来たマリアは何を見ても懐かしがり、暑さも忘れて、楽しそうに勘八に色々と説明してくれた。

 高槻ではマリアは有名だった。

 教会堂に顔を出す度に、マリア様が帰って来たと皆から持て囃された。そして、父の事を聞かれる度に、悲しい顔をして、父の死を告げなければならなかった。この城下で数々の教会堂や宣教師たちの屋敷を建てた善次郎の突然の死は信者たちを驚かせ、悲しませた。すぐに、善次郎のためのお祈りがマリアを中心に始まり、勘八も付き合わされた。

 一度目は勘八も神妙にお祈りに参加したが、それが二度、三度となると付き合ってはいられなかった。結局、その日の午後はお祈り三昧(ざんまい)で日が暮れた。

 マリアの祖母はキリシタンの尼僧だった。教会堂に仕えているため、自分の家を持っていなかった。マリアと勘八は教会堂の隣にある信者たちのための宿泊施設に泊めてもらった。

 勘八は初めて、マリアと二人きりの夜を過ごせると楽しみにしていたが、その宿は男と女の部屋は別々だった。勘八は河内の国(大阪府)からやって来たという熱心な信者たちと相部屋になり、色々と質問されて困った。マリアから、この宿はキリシタン以外は泊めないから信者の振りをしてくれと言われていた。勘八はマリアから聞いた話をもとに何とかつじつまを合わせていたが、疲れていると言って早めに横になってしまった。しかし、暑苦しくて、なかなか寝付けなかった。

 次の朝、お祈りに参加した後、河内の信者たちは京都に向かったので、勘八はようやく解放された。マリアを見つけ、早く、堺に行こうと言うと、「ちょっと待って、オスピタルを見に行くの」と勘八の袖を引っ張った。

「オスピタルって何だ?」

「オスピタルには病人がいるのよ。お父様は安土にオスピタルを建てるはずだったの。でも、建てる前に殺されちゃった。お父様が何をしようとしてたのか、あたし、どうしても知りたいの」

「オスピタルに寄ったら、堺に行くんだな?」

「うん」

 オスピタルは城下のはずれにあった。建物は民家をそのまま利用したもので、室内には寝たきりの病人が大勢いて、若い娘たちが面倒を見ていた。

 南蛮人の医者に連れられて、マリアと勘八は病人たちを見て回った。(わし)鼻の南蛮人は片言の日本語をしゃべり、安土にも是非、オスピタルを建てて、貧しい者たちを救ってほしいと言った。

 彼の話によると、オスピタルに収容されているのは、ほとんどが乞食だという。身寄りもなく、河原や寺社の軒下で、ただ、死ぬのを待っている者たちを収容して面倒を見ているという。

 マリアは医者の話を聞いて感動していた。その無償の奉仕こそ、デウス様の教えだと一人、うなづいていたが、勘八には理解できなかった。

 乞食なんかの世話をして、一体、何のためになるんだと思ったが、一生懸命に世話をしている娘たちの姿は心を打つものがあった。特に離れに収容されている癩病(らいびょう)(ハンセン病)患者たちの世話をしている娘には驚いた。顔がただれ、髪が抜け、手足の指がない病人たちの体を丁寧に拭いてやっていた。勘八は正視に耐えられなかったが、マリアは病人を眺めながら、医者の話を真剣に聞いていた。

 オスピタルを後にしたマリアは父の意志を継ぎ、安土にも絶対にオスピタルを建てると熱い口調で勘八に語った。

「確かに、オスピタルは必要かもしれない。しかし、乞食なんかの面倒を見たってしょうがねえだろ。奴らを助けたからって何の得にもなりゃしねえ」

「損得のためにやるんじゃないの。デウス様のもとでは人は皆、平等なのよ。いくら、貧しくてもデウス様は決して、見捨てたりはしないのよ」

「俺には分からん」

「我落多屋さんだって、貧しい人たちのために商売してるんでしょ?」

「そりゃそうだが‥‥‥」

「もしかしたら、夢遊様なら協力してくれるかもしれないネ」

「安土にオスピタルを建てるのにか?」

「そう。どう思う?」

「大旦那様の考える事は、俺なんかに分からねえ」

「あたしが頼んでみるよ」

 マリアは上機嫌でオスピタル作りの計画を立てていた。

「ところで、ジュリアはどうしたんだ? 高槻にいなかったじゃねえか」

「そうなのよ。あたしもおかしいと思ったの。お婆様に聞いたら、新しく来るパードレ様をお迎えに堺に行ったって言ったよ。向こうで会えるかもしれない」

「お前にそっくりなのか?」

「そうネ。瓜二つよ」

「どこで見分けるんだ?」

「目と髪の色がちょっと違うの。あたしの方が赤いのよ」

「へえ、後はそっくりなのか?」

「考え方も似てるよ。あたしが思った事はジュリアも思うの。一々、口で言わなくても、目を見れば、考えてる事が分かるのよ」

「へえ、信じられんな」

「でも、本当よ」

「男の好みも同じなのか?」

「それは別みたい。同じ事を考えるのに、なぜか、色々と好みは違うのよ」

「そいつはよかったな。一人の男を好きになって喧嘩しなくてもいいからな」

「そうネ。何かを取りっこして喧嘩する事はないよネ」

「考え方が同じなら、喧嘩する事なんかねえだろ?」

「ところがあるのよ。考え方が同じと言っても、何かをやろうとする時、同じ事を考えるんだけど、そのやり方は違うのよ。例えばネ、あたしが誰か男の人を好きになるとジュリアも誰かを好きになるんだけど、まったく違う人なの。そして、あたしが別れるとあの子も別れるのよ」

「へえ、面白えな。今、お前は好きな男がいるのか?」

「いないよ」

「それじゃア、ジュリアにもいねえという事だな?」

「そうネ‥‥‥あなたはどうなの?」

「俺はダメだ。年中、安土、京都、堺と行ったり来たりしてるからな。なかなか、若い娘とめぐり会う機会はねえわ」

「そう‥‥‥」

 高槻を出たのが遅かったため、堺まで行けなかった。その日も暑く、マリアの足取りは重かった。夕方近くに空模様がおかしくなり、二人は池田丹後守(たんごのかみ)の城下、八尾の旅籠屋(はたごや)に泊まる事にした。

 丹後守もキリシタンで、城下に教会堂があったが、マリアの知人はいなかった。高槻のように信者たちの宿もなく、勘八に誘われるまま、マリアは旅籠屋の暖簾をくぐった。

 部屋に案内され、二人きりになると、マリアは急に黙り込んでしまった。勘八は何とかして、マリアを笑わそうと試みたが警戒を強めるばかりだった。

 突然、雨が降り出し、雷も鳴り出した。

「これで、ちったあ涼しくなるな」と勘八は勢いよく降る雨を眺めた。

 マリアも雨を眺めていたが、何も言わなかった。雷鳴が響くとビクッとして、部屋の隅に固くなったまま動かなかった。仕方なく、勘八はマリアの興味を引くため、石川五右衛門の事を話題にした。

「うちの大旦那様だかな、本当は五右衛門の居場所を知ってるかもしれねえ」

 マリアはようやく顔を上げて、勘八を見た。

「本当なの?」

「確信はねえが、そんな気がするんだ。俺たち下っ端の者は取り引きの事なんか、よく分かんねえけど、五右衛門ほどのお得意さんを大旦那様ともあろう人が、どこにいるのか分からねえというのは、どうも信じられねえ」

「そうよネ。あたしも夢遊様は何かを隠してると思う。嘘ばっかり、あたしに言うのよ」

「大旦那様の言う事は冗談ばっかだ。ただ、大旦那様もお前が何かを隠してるって言ってたぜ。何か隠してるのか?」

 マリアは首を振って、「何も隠してないよ」と言ったが、浮かない顔をしていた。

 その夜、勘八はマリアをものにしようとたくらんでいたが、どうしても、そんな雰囲気にはならなかった。焦ってもしょうがないと諦め、マリアに背を向けて横になった。マリアも安心したのか、勘八と離れて横になった。

 どしゃ降りはいつまで経ってもやまなかった。いくらか涼しくなったが、勘八は眠る事ができずに寝返りを打った。

「勘八さん、起きてる?」とマリアが声を掛けて来た。

 勘八は目を開けるとマリアを見た。

 マリアは横になったまま、勘八を見ていた。

「あたしネ、夢遊様の言った通り、隠し事をしてたの」

「やはりな。親父さんの死についてだな?」

「エッ、お父様の事は何も隠してないモン。あなたに言った通りよ」

「それじゃア、ジュリアの事か?」

「違う」とマリアは上体を起こした。

「じゃア、何を隠してるんだ?」と勘八も起き上がった。

 マリアは枕元に置いた荷物の中から、紐で縛った紙の束を出して、勘八に渡した。

「何だ、これは?」

「お父様が死ぬ前、あたしに預けたの。多分、お父様が作った教会の図面だと思うんだけど、どうして、死ぬ前にわざわざ、あたしに預けたのか分かんない。今、思うと、お父様は殺される事を知ってたのかもしれない」

 勘八は灯台に火をともすとマリアを見て、「開けてもいいか?」と聞いた。

 マリアはうなづいた。

「親父さんを殺した奴の手掛かりがあるかもしれねえ」

 勘八は紐を解き、一番上の紙を広げて見た。

 マリアの言った通り、それは安土のセミナリオの図面だった。次々に開いて見たが、各地に建てた教会堂や宣教師たちの屋敷の図面ばかりだった。生前、善次郎が建てた建物、すべての図面があるのだろうと思った。

「これを誰かに渡してくれとは言わなかったのか?」

 マリアは首を振った。「ただ、保管しておいてくれと」

「そうか‥‥‥お前の親父さんの仕事の後を継ぐ者はいるのか?」

「いるよ。お父様のお弟子さん。安土のセミナリオを作った後、お父様より先に高槻に帰って仕事をしてるの」

「そいつに渡したかったんじゃねえのか?」

「あたしもそう思った。でも、五右衛門様がお父様の仇討ちを引き受けてくれたら、まず初めに五右衛門様に見せた方がいいと思ったの。これを五右衛門様に見せろとは言わなかったけど、わしにもしもの事があったら、五右衛門様の所へ行けって言ってたのよ」

「ほう、それで五右衛門を捜してるのか。何で、俺に見せたんだ?」

「五右衛門様を捜すには、やっぱり、夢遊様のお力を借りるしかないと考えたの。それで、あなたに見せる事にしたの」

「成程‥‥‥しかし、これじゃア、親父さんを殺した奴を見つける手掛かりにはならんな」

「でも、あたしの隠し事はなくなったモン。後は夢遊様があたしに隠し事を話す番よ」

「どうなるか分からんが、一応、大旦那様に見せた方がいいだろうな‥‥‥待てよ、何だ、これは?」

「どれ?」とマリアは勘八が見ている図面を覗き込んだ。

 その図面は他の物とは違い、何かの略図だった。同じような図面が五枚あり、一枚目には三つの図が描いてあり、それぞれ、四、五、六と番号がふってある。二枚目は三、三枚目は二、四枚目は一、五枚目は地と書いてあり、それぞれ、違った図が描いてあった。

 勘八はその五枚を並べて比べて見た。

「教会堂じゃないみたい」とマリアが言った。

 一枚目の三つの図は何だか分からなかった。四と書いてある図は変則的な長方形で、中央辺りに階段らしき物が描いてあり、端の方に『キン』と書いてある。五の図は八角形が二重に描いてあり、やはり、階段がある。六の図は正方形が二重に描いてあり、中央に階段があった。

 二枚目から四枚目までは、屋敷の平面図らしかった。所々に『何々の間』と書いてあり、(たたみ)の数らしい数字が書かれてあった。

 五枚目も屋敷の平面図らしいが、部屋数が少なく、二ケ所に『クラ』と書かれてあり、左下にあるクラの所に×印が書いてあった。

「かなり大きな屋敷だな」と四枚目を見ながら勘八は言った。

「親父さんが建てた屋敷じゃねえのか?」

「こんなにお部屋のいっぱいあるお屋敷なんて知らないよ。階段があるって事は二階があるんでしょ? セミナリオも三階建てで、二階にはいっぱいお部屋があったけど、こんなにも複雑じゃないよ」

「そうか‥‥‥この数字は一体、何だ? みんな、番号がふってあるけど、何を意味するんだ?」

「お父様はセミナリオの図面を描いた時、一階の図に一、二階の図に二って書いてたよ」

「すると、この図は六階建てってわけか? 馬鹿言うな、この世にそんなでっけえ建物があるわけねえだろ」と勘八は言ったが、ハッとしてマリアの顔を見つめた。

 マリアも何かひらめいたらしく、驚いた顔をして勘八を見つめた。そして、二人は同時に、「安土の天主!」と叫んだが、その声は大きな雷鳴に消されてしまった。

 マリアは悲鳴を上げて、思わず勘八に抱き着いた。震えているマリアの体を勘八は優しく抱き締めた。

 雷鳴が消えると、マリアは恥ずかしそうに勘八から離れた。

 勘八はマリアに何かを言おうとしたが、何を言ったらいいのか分からず、「これ、親父さんが描いたんだろ?」とマリアに聞いた。

 マリアはうなづくと、図面に目をやった。

 二人は改めて図面に見入った。六階の正方形と五階の八角形は安土の天主以外の何物でもなかった。

 安土の天主は外見は五層だったが、二層目の八角形の下に屋根裏部屋があり、五層目の下の石垣内部が地下蔵になっていた。

「こいつはえれえ事だ。こんな図面を描いたら、殺されるのが当然だわ」と勘八は眉を寄せて、マリアを見た。

 マリアは勘八から離れて、かしこまっていた。

「知らなかった。お父様が安土のお城の図面を描いたなんて‥‥‥」

「親父さんは天主を建てる時、そこで働いてたのか?」

「働いてなんかいないよ。その頃、高槻にいたモン。あたしたちが安土に行った時はもう、お城は建ってたのよ」

「それじゃア、どうして、こんな図面が描けるんだ?」

「お城でお仕事をしてた時、お城の中を見せて貰ったんじゃないの?」

「それしか考えられねえな。それにしても、どうして、こんな図を描いたんだろう?」

「さあ‥‥‥」

「こんな物を持ってたら、お前も命を狙われるかもしれんぞ。もしかしたら、逢坂山の山伏はこいつを狙ってたのかもしれん」

「まさか‥‥‥だって、あの後、現れないじゃない。それに、あたしがこれを持ってる事、知ってるはずないモン」

「だといいんだがな。しかし、危険だ。こいつが殺された原因だとすると、親父さんを殺した奴はこいつを取り戻そうとするはずだ。お前たちが安土から消えた事を知れば追って来るに違えねえ。お前にしろ、ジュリアにしろ目立つからな。早い所、堺に行った方がいい。明日は早立ちだ」

 勘八は危険な図面を早くしまわせ、明かりを消すと部屋の外を窺い、異常のない事を確かめるとマリアを眠らせた。

 夕立もようやく去り、雨も小降りになっていた。勘八も横になったが、いつ、何者かが襲って来るかもしれないと思うと眠る事はできなかった。幸い、曲者(くせもの)は現れず、一安心して夜明けを迎えた。

 強い日差しの中、勘八は眠い目をこすりながら、マリアを守って堺へと向かった。

 堺の港は摂津(せっつ)の国と和泉(いずみ)の国の境にあった。織田信長の代官、松井友閑(ゆうかん)の監督下にあったが、会合(えごう)衆と呼ばれる三十六人の有力商人たちに自治は任されていた。

 商人たちの町として活気に満ち、港には朝鮮や琉球(沖縄)、マラッカ(マレーシア)から来た異国の船が浮かび、異国の商人たちも多く暮らしていた。

 勘八とマリアの二人は東から堺に入り、大小路(おおしょうじ)と呼ばれる大通りを港へと歩いていた。

 大小路には有力商人たちの大きな屋敷がずらりと並び、その建物は皆、華麗だった。それぞれの建物が個性を競い、銭に糸目を付けずに建てられた豪邸ばかりだった。

「スッゴイ、この町は他の町とは全然違う雰囲気ネ」とマリアがキョロキョロしながら言った。

大尽(だいじん)が多いからな。よその大尽とは(けた)が全然、違うわ」

「そうネ‥‥‥あたし、五歳まで、ここにいたんだけど、あまり覚えてない」

「お前の親父はここの教会堂も建てたのか?」

「建てたと思うけど、よく分かんない」

「行って見るか? 見れば思い出すかもしれねえ」

 マリアは勘八を見ながら、うなづいた。

 昨夜、安土城の図面を見せてから、勘八は急に頼もしくなったとマリアは感じていた。マリアの身に危険が迫っていると勘八はマリアを守るために必死になって気配りをしている。逢坂山で山伏に襲われた後、京都に入る時も、勘八はマリアの事を守っていたが、あの時はまだ、勘八の事をあまり知らなかったので何とも思わなかったが、半月余りも一緒にいると、少しずつ勘八に惹かれて行く自分を感じていた。

 大通りから右手に曲がり、しばらく行くと『日比屋』と看板のある屋敷に出た。その屋敷の裏に教会堂はあった。この一画だけがキリシタン一色に染まり、大勢の信者たちが集まっていた。

 マリアが教会堂を眺めていると、「善次郎さんのお嬢さんじゃありませんか?」とイルマン(修道士)らしい日本人が声を掛けて来た。

 マリアがポカンとしていると、「高槻でお世話になった惣助ですよ」と言った。

 マリアは思い出したらしく、再会を喜んでいた。惣助によって日比屋の主人、了慶(りょうけい)を紹介され、マリアは歓迎された。

 善次郎の死を告げると了慶は悲しみ、信者たちを集めてお祈りを捧げた。長いお祈りの間も、勘八はマリアの側を離れずに回りに気を配っていた。

 お祈りが終わり、教会堂とは大小路を挟んで反対側にある中浜町の我落多屋に着いた時には、もう日が暮れかかっていた。

 堺の我落多屋の主人の宗雪(そうせつ)は京都の宗仁と同じように頭を丸めていたが、顔の下半分はひげにおおわれていた。何となく、海坊主みたいだとマリアは思った。一見すると怖い顔だが、太い眉の下にある小さな目は優しそうな感じがした。マリアから石川五右衛門を捜している事を聞くと小さな目をパチクリさせて首を振った。

「去年の今頃だったら、この辺りにいたかもしれんがのう。今、どこにいるのかまったく分からんぞ」

「エッ、五右衛門様がこの辺りにいたの?」

 マリアは宗雪の言葉に驚き、思わず、隣に座っている勘八の手を握った。

「うむ。去年、石山本願寺が織田殿に敗れて、上人(しょうにん)様は紀州の雑賀(さいか)(和歌山市)に引き上げて行った。その時、本願寺は焼け落ちてしまったが、燃える前に五右衛門らによって盗まれた財宝も多かったらしい。その中の幾つかが、この店に流れて来たんじゃ。その後、どこに行ったのか分からん。しかし、五右衛門が西の方で暴れているとすれば、奴の盗んだ物が堺に流れて来る可能性はある。高価な物をさばくには、ここが一番じゃからの」

「盗品は皆、この店に集まって来るの?」

「そうとは限らんが、最近はその傾向が高くなって来たな。この店も裏の世界で有名になったという事かのう。盗品の中でも値打ち物と言えば、やはり、お茶道具じゃ。初めの頃、天王寺(てんのうじ)屋や万代(もず)屋などの豪商のもとへ、それらのお茶道具は流れていたが、盗品として手に入れた物は堂々とお茶会で使う事はできんのじゃ。どういう手順で手に入れたにしろ、盗品を持ってるとなると老舗(しにせ)の傷になってしまうからの。例えば、天王寺屋に盗品のお茶道具が流れて来たとする。天王寺屋の主人、宗及(そうぎゅう)殿はそのお茶道具をどうしても手に入れたいと考えるが、直接、買い取る事をしないで、盗品を持って来た者をこの店に連れて来るんじゃ。そして、わしがその品を買い取り、わしが買い取った物にいくらか色を付けて、天王寺屋が引き取るんじゃ。それで、天王寺屋は我落多屋から買ったとして、堂々とそのお茶道具をお茶会で披露できるというわけじゃ。我落多屋は老舗でもないし、元々、ガラクタを買い取っている店じゃ。価値のある盗品が紛れ込んでいたとしても誰も怪しまんからな。天王寺屋だけじゃない。老舗のほとんどが、そうやって盗品の取り引きをしている。そのうち、盗っ人たちの方も、老舗に行く事なく、ここに持って来るようになったというわけじゃ」

「五右衛門様もこのお店に来た事ある?」

「あるかもしれんが、本名を名乗るわけじゃないので分からんのう。わしらは持って来た品物の目利き(鑑定)はするが、持って来た人間の詮索はせんからの。身分の高い者が来ても貧しい者が来ても、同じ応対をして品物を目利きするのが我落多屋のやり方なんじゃ」

「それじゃア、五右衛門様が今、どこにいるかなんて分かんないのネ?」

「残念じゃがな」

 その夜、マリアは五右衛門が越前の朝倉家から盗んだという茶碗を見せて貰った。いくつもの箱と豪華な袋にくるまれた茶碗はそれ程、高価な物に見えなかったが、夢遊の宝物だという。

 茶の湯の開祖と言われる村田珠光(じゅこう)が所持していた青磁(せいじ)茶碗の一つで、連歌師の牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)によって『夢遊』と命名されていた。夢遊はこの茶碗が気に入ると共に名前も気に入って、自ら、夢遊と号していた。その茶碗は天王寺屋宗及が一千貫文(かんもん)で売ってくれと言って来たが、夢遊は断っていた。

「これが一千貫文?」とマリアは目を丸くし、慌てて、手を引っ込めた。

 一千貫文といえば、米にして、およそ一千(ごく)だった。こんな茶碗一つがそんなにも価値があるとは、とても信じられなかった。

「天王寺屋の爺様がな、珠光殿の弟子だっそうじゃ。しかも、爺様は連歌もやっていて肖柏殿の弟子でもあったんじゃ。爺様のお師匠である二人にちなむ、この茶碗がどうしても欲しいらしいが、大旦那様は絶対に売らんと言っておったわ」

「凄いネ。そのお茶碗を売れば、オスピタルなんてすぐに建つよ」

「なに、オスピタル?」

「マリアの夢なんだ」と勘八は言ったが、宗雪には何の事だか分からないようだった。

 マリアは焦らず、五右衛門が現れるのをジッと待つ事にした。勘八は相変わらず、マリアの側を離れずに身辺を守っていたが、怪しい者が近づいて来る事はなかった。

 堺に来て三日目の朝、教会堂でお祈りを済ませた後、マリアは海が見たいと言い出し、勘八を連れて港へ行った。

 港では威勢のいい人足たちが大声で怒鳴りながら、船からの荷を降ろしていた。

「ねえ、五右衛門様は一体、どこに行っちゃったの?」とマリアは水平線を見つめながらつぶやいた。「毎日、お祈りしてるのに、五右衛門様は出て来てくれないよ」

「石川五右衛門が本当に親父さんの仇を討ってくれると信じてるのか?」

「信じてる。絶対に五右衛門様はお父様の仇を討ってくれるモン」

「そうか‥‥‥そう信じていれば、絶対に現れるさ」

「そうかしら‥‥‥ネエ、安土のお城の図面の事、宗雪様には黙ってるの?」

「いや、その事は俺が話した。旦那様が安土に使いを出すって言ってたから、そのうち、返事が来るだろう」

「でも、夢遊様も五右衛門様の居場所は分からないんでしょ?」

「大旦那様の事だから、本気になって捜せば見つかる可能性はある。俺はずっと考えてたんだが、お前の親父さんはどうして、安土の天主の図面なんか描いたんだろ?」

「さあ‥‥‥あのお城は素晴らしい建物だから、何かの参考にしようと思ったんじゃない」

「かもしれん。でも、何かあったら、五右衛門の所に行けって言ったんだろ?」

「ええ」

「もしかしたら、五右衛門に安土の城に忍び込んで貰いたかったんじゃねえのか?」

「まさか‥‥‥」

「だって、四階の所に『キン』て書いてあったろ。あれはあそこに金貨があるって事を意味してるんじゃねえのか?」

「お父様がそんな事、考えるわけないよ」

 マリアはうつむいてしまった。

「そうだよな。考え過ぎだな、悪かった」と勘八は謝った。

「いいのよ」

「でもな、お前はあの図面を五右衛門に見せるんだろ? そうなると、当然、五右衛門は安土の城に忍び込むだろうな」

「お父様の仇さえ討ってくれれば、五右衛門様がお城に忍び込もうと何をしようとあたしは構わないよ」

「そうだな‥‥‥ところで、ジュリアはどこ行っちまったんだ? ここにいるはずじゃねえのか?」

「行き違いになったみたい」

「そうか‥‥‥お前、まだ、何かを隠してねえか?」

「隠してなんかないよ。あたしを信じて」

「俺は信じるがな‥‥‥」

「今のあたし、本当に頼れるのはあなただけなの」とマリアは勘八の目を見つめながら、勘八の手を握った。

「うん」と勘八もマリアの手を握り締めた。

 二人の頭上をカモメが飛び回っていた。

 マリアが首を長くして待っていた石川五右衛門の一味がやって来たのは、以外にも早く、その日の午後だった。その時、マリアも勘八と一緒に店番をしていたが、まさか、その客が五右衛門一味だとは分からなかった。なんと、その客はマリアと大して年の違わない若い娘だった。

 娘は初めて我落多屋を訪ねた時のマリアのようにキョロキョロしながら入って来た。

「いらっしゃいませ」とマリアは愛想よく迎えた。

 娘はマリアを見て、かすかに笑うと寄って来て、手に持った包みを広げた。

「これなんですけど、買っていただけます?」

 包みの中は木箱に入ったお茶入れだった。とても、マリアや勘八に目利きできる代物ではなかった。勘八は番頭の弥助を呼んで来たが弥助にも手に負えず、娘は弥助に連れられて、客間に通された。

「かなりの値打ち物らしいな」と勘八はマリアに言った。

「そうネ。でも、どうして、あんな娘がそんな高価なお茶入れなんか持ってるの?」

「おかしいな‥‥‥まさか、あの娘が盗っ人じゃあるまい」

「まさか‥‥‥」

 しばらくして、弥助が戻って来て、二人を呼んだ。

 マリアが首をかしげていると、「あの娘は石川五右衛門の手下じゃ」と言った。

 マリアも勘八も驚き、開いた口がふさがらなかった。

 客間に行くと主人の宗雪と娘は奥の南蛮机に向かい合って座っていた。

 この部屋は何もかもが南蛮風の豪華な部屋だった。マリアは初めて、この部屋を見た時、さすが、堺だと呆れた。ガラクタだらけの店の奥に、こんな部屋があるなんてキツネにでも騙されているのかと思った程、贅沢な部屋だった。フカフカした大きな絨毯が敷いてあって、南蛮の風景や人物を描いた絵がいくつも飾ってあり、南蛮の酒や楽器、帽子など、珍しい物が色々と並べてあった。

「やはり、あなたがマリアだったのネ。すぐに分かったわ」と南蛮椅子に浅く腰掛けた娘は言った。

「あたし、つたっていうの。よろしくネ」

 娘はマリアを見て笑った。

「どうして、あたしの事、知ってるの?」

 マリアには何が何だか分からなかった。

「あなたがお頭を捜してるのは知ってるわ。あたしはお頭から言われて、ここに来たの」

「本当に五右衛門様の手下なの?」

「信じないの?」

「信じられない」

「そうネ、無理ないわネ。別にあたしが五右衛門様の手下だって証明する事はできないけど、あなた次第よ。あなたが信じなければしょうがないわ。お頭を捜してるのはあなたなんだから。お頭としてはあなたが来ようと来るまいとどっちでもいいのよ」

「分かったよ‥‥‥あなたを信じる」

「そう、よかった」

 おつたは安心したように笑った。その笑顔はどう見ても普通の娘のようだった。

「おつたさんはな、お前さんを五右衛門の所に連れて行ってやるそうじゃ。どうする?」と宗雪はマリアに聞いた。

 マリアは勘八を見た。

 勘八はうなづいた。

「五右衛門様は今、どこにいるの?」

「安土の近くよ」

「エッ、安土の近く? そんな所にいたの?」

「あなたは運がいいのよ。たまたま、帰って来て、あなたの事を知ったのよ」

「どうやって、あたしの事を知ったの?」

「安土にいた者から、あなたのお父様が殺された事を知ったわ。その後、お頭はあなたたちの事を心配して捜させたの。そしたら、あなたがお頭の事を捜してる事が分かったのよ」

「どうして、あたしのいる所が分かったの?」

「キリシタンを捜すには南蛮寺に行けば分かるわ。あなたは京都の南蛮寺に現れた。南蛮寺の近くには我落多屋さんがあるわ。お頭はあなたのお父様が我落多屋さんと親しい事を知ってるのよ。我落多屋さんに顔を出したら、あなたがしばらく滞在していた事が分かったわ。それと、お頭を捜している事もネ。その後はあなたを追って、高槻に行き、堺に来たというわけよ」

「そうだったの‥‥‥お父様と我落多屋さんの事を知ってるんなら本物ネ」

「信じてくれるのネ?」

 マリアはうなづいた。

「よかったな」と宗雪は笑った。

「はい。こんな早く、見つかるなんて思ってなかった‥‥‥アノ、このお茶入れは五右衛門様が盗んだ物?」

「そうよ。でも、大した物じゃないのよ。値打ちのある物なんか、あたしなんかに持たせてくれないわ。一度、高価なお茶碗を割っちゃった事があるのよ」

 おつたは舌を出して笑った。





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