酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート




太田備中守(道灌)の略歴





1432年 相模国太田にて、太田資清の長男として生まれる。幼名は鶴千代。 1歳
1439年 閏2月 足利持氏、自害する。 8歳
1440年 鎌倉五山の一つ建長寺に入り学問を学ぶ。 9歳
1441年 嘉吉の変。将軍義教、赤松氏に殺される。 10歳
1442年 学問を治め、建長寺を出る。 11歳
1446年 元服、源六郎資長を名乗る。 15歳
この頃、足利学校にて軍学を学ぶ。
1449年 1月 足利成氏を京から迎え、関東公方とする。管領は山内上杉憲忠(1433−54)。 18歳
持朝(1418−1467)隠居し道朝と号し、顕房(1435−1455)、扇谷上杉家を継ぐ。
山内上杉家の家宰長尾景仲、扇谷上杉家の家宰太田資清の二人が補佐する。
1452年 1月 この頃、品川に館を築いて移る。 21歳
1453年 左衛門大夫に任じられ、備中守従五位下に進む。 22歳
1454年 12月 27日 足利成氏、関東管領山内上杉憲忠(22)を殺害。房顕(1435−66)、管領となる。
1455年 1月 資清、顕房(21)の死により隠居し道真入道を号し、資長に家督を譲る。 24歳
資長、扇谷上杉政真(1450−1473)の家宰となる。政真の後見に道朝。
道真は入間郡越生の自得軒に隠退し、歌の道を楽しむ。
6月 16日 今川範忠、鎌倉に入る。足利成氏、下総古河に拠る(古河公方)。
12月 資長、成氏の兵と相模藤沢で交戦する。
1456年 扇谷上杉氏の命で、江戸城築城を開始する。 25歳
1457年 4月 8日 江戸城完成する。岩槻、河越両城も父と共に築城。 26歳
《江戸城の中に静勝軒という高楼を建て、そこを居室とする》
10月 成氏、古河城を修めて、これに移転する。
12月 19日 義政、弟の政知を関東に下す(堀越公方)。
1458年 7月 29日 幕府、信濃小笠原光康に上野岩松尚純を援助し、成氏を討伐するよう命じる。 27歳
1459年 10月 14日 山内房顕ら、成氏と武蔵国太田庄で交戦し、犬懸上杉教房戦死する。 28歳
15日 越後守護上杉房定、成氏と上野国で交戦。
1460年 10月 21日 幕府、関東、奥羽の諸将に成氏の討伐を命ずる。 29歳
1461年 10月 23日 政知の執事犬懸上杉教朝、突然自害し、その子、政憲跡を継ぐ。
12月 19日 幕府、駿河の今川義忠に足利政知の援助を命じる。 30歳
1462年 栄意坊と出会い、意気投合し、江戸城に呼ぶ。 31歳
1463年 8月 山内上杉家の家宰長尾景仲(1388-,76)死す。嫡男景信(1413-,73)が継ぐ。 32歳
11月 幕府、今川義忠に成氏討伐を命ずるが、義忠動かず。
1464年 資長、上洛し将軍義政に謁す。 33歳
1466年 2月 山内上杉房顕、五十子の陣中で没す(32)。顕定(1454−1510)、管領を継ぐ。 35歳
閏2月 山内上杉憲実(1410-,57)死す。
6月 3日 幕府、関東奥羽の諸将に討伐を命ずる。
1467年 9月 6日 扇谷上杉持朝死す(52)。 36歳
1469年 道真、河越にて、宗砌、心敬らと千句の連歌を賦す。 38歳
1471年 長男、源六郎(右衛門尉資康、−1513.9)生まれる。 40歳
3月 成氏、伊豆国三島に出兵し、政知と交戦する。上杉顕定の将兵ら政知を助け、成氏の軍を破る。
5月 23日 扇谷上杉政真の将、太田資忠(資長弟)、上野館林城を攻略。
6月 24日 上杉顕定の武将長尾景信、成氏を古河城に破る。成氏、千葉孝胤を頼る。
1472年 2月 3日 成氏、結城氏広の助けで、古河城を奪回する。 41歳
1473 6月 山内上杉顕定の執事長尾景信(1413−,61)死す。 42歳
顕定、弟景忠に跡を継がせる。子の景春、顕定に背き、成氏に味方する。
11月 24日 上杉政真(24)討ち死にする。政真の叔父定正が扇谷上杉家を継ぐ。
1474 4月 相模の草原にて、早雲と出会う。 43歳
6月 17日 資長、心敬を招き、江戸城にて、歌合わせを開催する。
1475年 4月 16日 心敬没す(70)。 44歳
1476年 2月 9日 今川義忠、流れ矢にて死す。 45歳
6月 今川氏の内訌鎮定のため、資長、上杉政憲と共に駿河に出陣。
6月 上杉顕定の家宰、長尾景春(1443−1514)、武蔵国鉢形に拠って顕定にそむき、五十子の陣営を襲撃する。
8月 資長、京都五山の詩僧、竜統、霊彦らに江戸城静勝軒の記を、得公らに江亭記を作らせる。
11月 13日 室町第火災に遭い、典籍ことごとく焼失する。
1477年 1月 18日 景春、上杉顕定、定正らを五十子に襲撃し、上杉軍は上野国に走る。 46歳
3月 18日 溝呂木合戦。長尾景春与党、溝呂木氏を討つ(城攻)。溝呂木城を落とす。
18日 小磯合戦。長尾景春与党、越後五郎四郎を討つ(城攻)。小磯城を落とす。
3月 小沢合戦。景春与党、金子掃部助を討つ(城攻)。
4月 10日 勝原合戦。景春与党、矢野兵庫助を討ち取る(野戦)。
12日 平塚合戦。景春与党、豊嶋平右衛門尉泰明(泰経の弟)を討ち取る(城攻、自身出撃)。
13日 江古田、沼袋合戦。景春与党、豊嶋勘解由左衛門泰経らを討つ(野戦、自身出撃)。
18日 小沢合戦。景春与党、金子掃部助を討つ(城攻)。
28日 石神井合戦。景春与党、豊島泰経を討ち取る(城攻、自身出撃)。
5月 14日 用土原合戦。長尾景春を討つ(野戦)。景春、鉢形城に逃げる。
7月 成氏、景春を支援するため、上野滝に出陣。顕定、定正、白井に退陣する。
10月 2日 荒巻合戦。長尾景春を討つ(野戦、自身出撃)。
11月 14日 塩売原合戦。長尾景春を討つ(野戦、自身出撃)。
1478年 1月 5日 成氏、顕定らと和睦し、武蔵国成田に退く。 47歳
24日 定正、道灌、河越に帰る。
25日 平塚合戦。豊嶋泰経らを討つ(城攻、自身出撃)。
27日 丸子合戦。豊嶋、矢野らを討つ(城攻、自身出撃)。
28日 小机合戦。豊島、矢野らを討つ(城攻、自身出撃)。
2月 入道して道灌と号す。




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