酔雲庵

摩利支天の風〜若き日の北条幻庵

井野酔雲

創作ノート




江戸城下の図




江戸城下の図






江戸城の年表



1457年 4月 太田道灌、江戸城を築く。
1470年 連歌師宗祇、江戸城に滞在する。
1474年 6月 道灌、二十四番歌合を催す。
1476年 3月 茶人、伏見屋銭泡、江戸城に滞在する。
1480年 6月 長尾伊玄、古河に逃げる。
1485年 10月 漆桶万里、家族を連れて、江戸城に来る。
1486年 7月 26日 道灌(55)、殺される。曽我豊後守、江戸城主となる。
道灌の嫡男、資康、家族と数人の家臣を連れて江戸城を去る。
8月 扇谷上杉定正、道灌の収集した書物や茶道具らを江戸城から運び出す。
1487年 11月 山内上杉顕定と扇谷上杉定正、敵対する。資康、山内方となる。定正、糟屋から河越に移る。
1488年 8月 万里、家族を連れて、江戸城を去る。
1492年 2月 道灌の父、太田道真(82)、越生にて死す。
1493年 定正、伊勢早雲と結ぶ。10月、早雲、山内上杉氏の伊豆に攻め入る。
1494年 8月 26日 扇谷上杉家の重臣、大森氏頼(77)死す。
10月 5日 扇谷上杉定正(52)死す。朝良が継ぐ。
1497年 9月 30日 古河公方足利成氏(64)死す。政氏が継ぐ。
1502年 連歌師の宗祇と宗長、江戸城に来る。
1504年 8月 山内上杉顕定、河越城の扇谷上杉朝良を攻める。
9月 伊勢早雲と今川氏親、朝良に合力する。
1505年 1月 顕定、朝良の河越城を囲む。
3月 山内上杉顕定と扇谷上杉朝良、和睦する。
朝良は隠居して建芳と号し、太田資康と共に江戸城に入る。
河越城には朝良の甥、朝興と重臣、曽我兵庫頭が守る。
朝興、山内方の娘を妻とする。
1507年 8月 越後守護上杉房能、守護代長尾為景に殺される。
1509年 7月 山内上杉顕定、越後に出陣する。
1510年 6月 顕定、越後にて戦死する。曽我兵庫頭も戦死する。曽我豊後守が継ぐ。
建芳(朝良)、管領を狙って活動を開始し、河越城に移る。
1511年 12月 建芳、早雲と和睦する。
1512年 4月 足利高基、政氏を追って古河公方となる。
6月 3日 建芳の義弟、上杉憲房、鉢形城の顕実を追って管領となる。
太田資康、河越に出陣する。岡崎城からも援軍が武蔵に出陣する。
8月 9日 早雲、岡崎城を攻め落とす。三浦道寸、新井城に逃げる。
10月 早雲、玉縄城を築城する。
1513年 9月 太田資康、三浦郡にて早雲に敗れて戦死する。三浦郡の大明寺に葬られる。
1514年 8月 長尾伊玄(72)死す。
1516年 7月 早雲に攻められ、三浦氏滅亡する。早雲、相模国を平定する。
12月 足利政氏、岩付城に逃げて来る。岩付城主は太田道永。
1517年 10月 足利義明、小弓城を攻め取り、小弓公方と称す。
1518年 4月 21日 上杉建芳(49)死す。朝興、江戸城に移る。
河越城には曽我兵庫頭(前豊後守、1478−,41)
1519年 8月 15日 早雲(88)死す。氏綱が継ぐ。
1520年 道灌の弟、叔悦禅懌(1450−,71)、鎌倉円覚寺第百四十九世住持になる。
1522年 1月 伊勢氏綱、本拠地を韮山から小田原に移す。
1月 16日 岩付城主、太田道永(63)死す。美濃守資頼(道可)が継ぐ。
1524年 1月 伊勢氏綱、江戸城を落とす。朝興、河越に逃げる。朝興、憲房と結び、氏綱に敵対する。
氏綱は江戸城根城に富永四郎左衛門政直を、中城に太田源六郎資高を、外城に遠山隼人祐を配置する。
氏綱、伊勢姓を北条姓に改める。
1525年 2月 6日 北条氏綱、岩付城を攻め落とす。顕実の執事だった長尾顕方、北条氏に属す。
3月 氏綱、下総葛西城を攻める。
3月 25日 管領上杉憲房(59)死す。養子の憲寛(高基の子)が継ぐ。
8月 22日 朝興(38)、白子原(和光市)にて、北条軍を破る。
12月 両上杉氏、武田怒鑑(小弓公方)と結ぶ。
1526年 6月 朝興、北条方の武蔵蕨城を攻略する。
12月 里見実堯、三浦半島を攻める。
1528年 1月 管領の家宰、長尾景長(66)死す。
1531年 7月 足利政氏(66)死す。9月、太田資頼、岩付城を取り戻す。
10月 憲寛に代わって憲政が管領となる。
1532年 12月 朝興、建芳の遺児藤王丸(17)を殺す。
1533年 2月 氏綱、鶴岡八幡宮の再建を始める。
 
1590年 7月 北条氏、豊臣秀吉に滅ぼされる。
8月 徳川家康、江戸城に入る。




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