酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





4.お北と伊三郎




 貞利はまだ帰っていなかった。

 さっきの娘たちはいなかったが、三人の弟子たちは貞利の絵を手本にして、真剣に絵を描いていた。

 久次郎は弟子たちから話を聞きながら、貞利の帰りを待った。

 弟子たちの話によると、いなくなったお関は仲良しのお粂とお奈々を連れて、時々、貞利の家に遊びに来ていたらしい。お北の弟、孝吉も時々、遊びに来ていたので、ここでお関たちと出会って、口説き始めたようだ。弟子たちは孝吉が三人を口説いているのを目撃している。

「最初に目をつけたのはお関さんです」と一番弟子の平作が言った。「でも、お関さんは好きな人がいるみたいで、相手にしなかったようです。その後、お粂さんを口説いたんです。本当のとこはわかりませんが、お粂さんをものにしたって自慢げに話してました。でも、去年の暮れには振られたみたいで、今度は、お奈々さんを口説き始めたんです。その後、どうなったのかは知りません」

「お奈々とはうまく行ってるようだ」と久次郎は教えてやった。

「お奈々さんがあんな男と‥‥‥」平作は少し不満そうな表情を見せた。「あんないい加減な男のどこがいいんだか、お奈々さんもどうかしてる」

「おめえ、もしかしたら、お奈々が好きなんじゃねえのか」と久次郎がニヤニヤしながら聞くと、

「いえ、そんな、違いますよ」と平作は向きになって首を振ったが、顔を赤く染めていた。

「何も照れる事アねえやな。お奈々にしろ、お関、お粂といい女子(おなご)が三人も出入りしてりゃア惚れるんも無理アねえ。お奈々は色白で可愛くて、体つきもいいし、文句のつけようがねえ女子だ。男なら誰でも、あんな女子を抱いてみてえと思うはずだ。なあ、おめえもそう思うだんべえ」久次郎は二番弟子の政吉に聞いた。

「はい」と政吉は素直にうなづいた。「あんな人が抱けりゃアもう最高ですよ。でも、俺はお粂さんの方が好きです」

「ほう、おめえはお粂か。お粂は料理屋の娘たア思えねえ程、しとやかな娘だ。ありゃアいいかみさんになるぜ。ただな、残念ながら、お粂にゃア惚れた男がいる。境の研師(とぎし)の音吉だ。こいつも遊び人で何人もの女子を泣かして来たが、どうやら、お粂と所帯(しょてえ)を持つ気になったようだ」

「そうなんですか。お粂さんにそんな人がいるんですか‥‥‥」政吉はがっかりしてうなだれた。

「おい、おめえは誰が目当てなんだ」久次郎は三番弟子の庄次に聞いた。

 庄次はお政の弟だった。子供の頃から絵ばかり描いていた庄次の絵を貞利に見せて、弟子にしてやってくれと頼んだのは久次郎だった。貞利の目にかなって弟子になり、去年の八月より毎日、境から平塚に通っていた。

「みんな綺麗ですけど、俺より年上なんで」と庄次は言った。

「そうか、おめえはまだ十七だっけ。十七といやアおゆみとおしんと同い年だんべ」

 庄次はうなづいた後、恥ずかしそうに、「俺はずっと、村田屋のおしんちゃんが好きだったんです」と告白した。「でも、おしんちゃんはうちの先生が好きらしくて、俺も先生に負けねえくれえの絵師になろうと思って」

「おしんが先生の事を好きだったんは前から知ってたが、未だに先生にほの字なのか」

「らしいです。ここに来る事はないんですけど、先生に惚れ込んでます」

「そうか。おしんも姉ちゃんたちに負けねえ、いい女になったが、ちょっとおとなしすぎるな。おゆみの度胸のよさが少しでもあればなア」

「冗談じゃないですよ」と庄次は口をとがらせた。「あんなあばずれと一緒にしないでください。おしんちゃんは今のままでいいんです」

「まあ、頑張れや。おしんが年増(としま)になる(めえ)に、先生を追い越さなくちゃアならねえぞ」

 貞利は日暮れ近くに帰って来た。久次郎がいるのを見て、少し驚いたが、「やあ、久し振りだなア」と機嫌よく笑った。

 足を洗って、座敷に上がって来ると弟子たちを帰らせた。遅くまで留守番させて悪かった。明日は昼頃、来ればいいと言っていた。

 弟子が帰った後、貞利は簡単な酒の用意をして、客間の方に久次郎を誘った。

「先生、そろそろ、嫁さんをもらった方がいいんじゃねえんですかい」と久次郎が言うと、

「そればっかしは難しいな」と貞利は照れ臭そうに笑った。

「そんな事アねえでしょう。相変わらず、娘たちが遊びに来てるようじゃねえですか」

「遊びには来てるが、かみさんになれそうなのは、なかなか、いねえ。絵の手本になるのは一杯(いっぺえ)いるがな」

「絵の手本じゃア、かみさんにはなれねえか」

「弟子が三人もいるからな、奴らの面倒を見んのは大変(てえへん)だろう」

「今はどうしてんです、飯の支度とかは」

「弁当を持って来てもらってるよ。たまには、俺の分まで持って来てくれる。俺の方が弟子の世話になってるような塩梅(あんべえ)だ。あの三人もよく逃げ出さねえと感心する。奴らは毎朝、決まった時刻にやって来るが、俺ときたら奴らがやって来ても、前の日が遅えと平気で寝てるからな。あいつらは勝手に絵を描いてるよ。一番弟子の平作がよくできていて、二人の面倒を見てくれるんで助かる。実際(じっせえ)、俺はまだ弟子なんか持つ身分じゃねえんだ」

「そんな事アねえでしょう」と久次郎は酒を一口飲むと、「ところで、玉村に行っていたとか」と話題を変えた、

角万(かくばん)屋の親分さんに呼ばれて行って来たんだが、下手人はまだわからねえそうだ」

「下手人は旅の行商人だって聞きましたけど、本当なんですか」

「やはり、偽者だった。奴は俺の本を見てやったに違えねえ。となると、やはり、この近辺の者ってえ事になる。あの本は江戸の方にも何冊か行ってるが、わざわざ、江戸から出て来た者があんな事をするとは思えねえ。下手人は去年の春から何度も女郎屋に上がって、充分に下見をしてから決行したんだ。『(みなと)屋』のお八重を選んだんは、恨みがあるからじゃなく、一番やり易いと判断したからのようだ」

「てえ事ア下手人は誰でもいいから、バラバラにしてみたかったって言うんですか」

「あの本を見て、自分もやってみてえと思ったんだろう」

「気違えだな」

「いや、そうとも言えねえよ。あれが飛ぶように売れたってえのは、残酷な物を見てえっていう願望を誰もが持ってる(あか)しだ。それを一歩進めりゃア実際にやってみてえと思うようになる。世の中が物騒になって、人の心もだんだんと(すさ)んで来たようだ」

「確かに最近、一揆(いっき)だの打ち壊しだのと世間が騒がしくなって来やがった。変な野郎が現れんのも無理ねえかもしれねえ」

「ああ」と言って、貞利は酒を飲んだ。首を振って、「まさか、俺の本を真似る奴が出て来るたア思ってもいなかったが‥‥‥まったく、困ったもんだ」と苦笑した。

「下手人は捕まりそうなんですか」

「玉村の親分さんは俺の本を買った者の中に下手人が必ずいると人相書を持って、絵草紙屋を当たったんだが見つからなかったそうだ。そうなると、直接買ったんじゃなくて、買った者から譲ってもらったか、借りて見たという事になる。捜し出すのも大変だな。一応、子分たちに俺の本を持ってる者たちを当たらせちゃアいるが、親分も困ってるようだ。俺は下手人の立場になって考えてみたらどうかって言ってやったよ。奴は近江から来た呉服屋の番頭に扮して、何度も玉村に来ている。当然、顔も見られて人相書も書かれた。それでも平気でいるってえ事は、支度だけじゃなくて、顔も変えたんじゃねえかと考えられる」

「顔を変える? そんな芸当が実際にできるんですか」

「俺は下手人を見た者から話を聞いて、奴の顔を絵にしてみた。それを見るとよくわかる。頬っぺたが妙に膨らんで、(まゆ)の上にやけに目立つホクロがあって、無精髭が伸び、月代(さかやき)も伸びている。きっと、口の中に何かを含んで、ホクロは勿論、偽物だ。髭も月代も綺麗に剃っちまえば、まるっきりの別人になっちまうだろう。そいつをよく知ってる者が見りゃア簡単にばれちまうが、知らねえ者ならわかりゃアしねえ」

「成程」と久次郎はうなづいた。下手人が顔を変えていたなんて考えもしない事だった。

「そうなると人相書は役に立たねえ。どうやって見つけんです」

「もう一度、俺の本を買った者たちを調べるんだ。あんな事をする奴はきっと、俺の描いた本を全部、持ってるに違えねえ。それを調べりゃア、そん中にきっと下手人はいる」

「そうですか。下手人の立場に立って考えてみるか‥‥‥いい事を聞きました。実は、先生、境でも今、事件が起きてるんですよ」

「何だと。境でまたバラバラ殺人が?」と貞利は酒を飲んでいた手を止めて、久次郎を見つめた。

「いえ、違いますよ」と久次郎は手を振った。「ただ、娘が一人、行方知れずになっただけです」

「誰がいなくなったんだ」

「お関です。『橘屋』のお関が昨日の昼過ぎに出てったまま、帰って来ねえんですよ」

「お関が‥‥‥一体、どうしたんだ」

 久次郎は今までわかった事すべてを貞利に説明した。

「お北がお関を連れ出した? そんな馬鹿な」

 貞利はそんな事はありえないという顔をして久次郎を見ていた。

「もし、その女がお北だとしたら、目的は伊三郎の仇討ちに決まってます。うちに角次郎って奴がいるんですが、お関は角次といい仲なんです。お北はまず手初めとして、お関を殺すかもしれません」

「そんな‥‥‥今頃になって、お北が島村の親分の仇を討つなんて信じられん」

「普通なら信じられません。しかし、お北があの後、うちの親分を捜すために長旅を続けてたとしたら、今の百々一家の有り様を見て、復讐の鬼になったと考える事もできます」

「確かに、お北は旅に出たようだ。実家に帰って、どこかに嫁にでも行ったんじゃねえかと思ってたんだが、弟の孝吉が帰って来て実家に行ったら、お北はいなかった。このうちを出てから実家にも帰らねえで旅に出たらしいって、そん時、初めて知ったんだ」

「うちの親分を捜しに旅に出たに違えありません。しかし、見つける事アできなかった。最近、舞い戻って来て、親分が帰ってるのを知って、仇討ちを始めたんかもしれません」

「しかしなア、お北が帰って来りゃア孝吉の奴が知らせてくれると思うが‥‥‥」

「昼前に孝吉と会いました。孝吉はお北が帰って来た事を知りませんでした。隠してるのかもしれねえが」

「お北が帰って来たのか」と貞利は独り言のようにつぶやいた。

「まだ、お北とは決まっちゃアいませんが‥‥‥孝吉から先生とお北の仲も聞きました」

 貞利は驚いたように顔を上げた。

「先生とお北の仲が伊三郎にばれて、とんだ事になったそうですね」

「いや。あれは、ほんの気の迷いだった。お北が親分が相手にしてくれなくて淋しいと、うちに遊びに来るようになって、お互えに間違えを起こしちまったんだ」

「伊三郎はお北を縄で縛らせて、それを先生に描かせたそうじゃねえですか」

「ああ、そんな事もあったな」と言って、貞利は酒を一口飲んだ。しばらく黙っていたが、久次郎の視線に気づくと苦笑した。

「描きたかアなかったが仕方なかった。あん時は本気で、親分に殺されるかもしれねえって震えてたよ。お北も泣きわめいて謝ったが、親分は許さねえ。お北が泣き叫ぶのをニヤニヤしながら見ていた。ところがだ、お北がだんだんと変わって行ったんだ。信じられねえ事だが、痛え目に会って喜ぶようになったんだ」

「何ですって」と今度は久次郎が酒を飲んでいた手を止めて、貞利の顔を見つめた。

「不思議な光景だった。お北の悲鳴がだんだんとよがり声に変わってったんだ。苦痛が快感に変わってったんだよ。そんな話を江戸で聞いた事はあったが、()の当たりにするのは初めてだった。お北が苦しみながらも喜んでる姿を見た時、とうとう狂っちまったと思ったよ。ところが、そうじゃアなかったんだ。お北は苦しい目に会えば会う程、快感を覚えるようになって、逆に、親分の方はお北を責める事で快感を覚えるようになっちまった。それから、二人の異常な関係は親分が死ぬまで続いた。親分に責められて、お北の体は年中、アザだらけだった。ああなると、もう異常そのものだ。親分が殺されて、このうちに逃げて来た時、お北は俺に親分のようにやってくれってせがんだんだ。俺にはそんな変態じみた真似はできねえ。俺が相手にしなかったんで、お北は出てったんだよ」

「へえ‥‥‥」と言ったまま、久次郎は言葉を失った。貞利が言ったお北と伊三郎の関係が久次郎には信じられなかった。

 貞利は酒を飲むと口を少し歪め、また話し続けた。

「お北は親分に心底、惚れていた。自分を見捨てて、若い娘に夢中になってるのが悔しくて、あんな芝居(しべえ)をしたのかもしれん。親分を引き留めたくて、初めのうちは痛えのを我慢してたのが、だんだんと快感になってったのかもしれん‥‥‥俺にはよくわからねえが、ああいう世界に入っちまうと、もう普通のやり方じゃア満足できねえそうだ。だんだんと過激になって、もし、親分が死ななかったら、お北は親分に責め殺されちまっただろう」

「お北の事も驚きだが、伊三郎がそんな変態だったとは知らなかった」

「親分だって、だんだんとその世界に入ってったんだ。親分の用心棒に永井兵庫ってえのがいて、そいつが(なさけ)知らずの残酷な男だった。奴に影響されて、親分もその世界に足を踏み入れちまったんだ。誰でも心の隅に残酷な事をしてみてえと思ってるもんだ。男なら誰でも、一度は強淫(ごういん)(強姦)てえもんをやってみてえと思う。いい女を無理やり手籠(てご)めにしてみてえと思うはずだ。強淫を扱った艶本が売れるのは、誰もがやりてえと思ってる事を絵にしたから見てえと思うんだ。普通の奴は色んな事を考えて、実際にそんな事はしねえ。絵を見るだけで我慢しちまう。しかし、一旦、その味を知っちまえば、もう、後戻りはできねえそうだ。島村の親分は自分で強淫したりはしねえ。そういう事を永井兵庫や子分たちにやらせて、自分は見てるだけだった。見てるだけで満足してたんだ。ところが、自分の手で、お北を責めてるうちにとうとう、その世界に入っちまった。世間体を人一倍気にする親分は決して、人前じゃアそんな残酷な面を見せたりしねえが、お北と二人だけ、あるいは、その事を知ってる俺の前では本性を現した。親分にとってお北は絶対に必要な女になったんだ。お北にとっても親分は絶対に必要な男だったんだよ」

 久次郎は酒を飲むと、フーッと溜め息をついた。

「伊三郎がいなくなりゃア、お北は当然、仇討ちをするってえ事ですか」

「親分に代わる男が見つかりゃア、そんな事はしねえだろうが、見つからなけりゃア、する可能性はある」

「謎の女がお北だとしたら、お関をどうするつもりなんだんべえ」

「わからねえが、痛え目に会わせて、自分と同じように痛みを覚えなけりゃア快感を得られねえ体にしようとするかもしれねえ。そうなりゃア、お関は角次さんじゃア我慢できねえ体になって、二人は別れる事となるだろう」

「殺す事はありませんか」

「いつまで責めても喜ばなかったら、殺しちまうかもしれねえ」

「くそっ、気違え沙汰だ」久次郎はお北がお関を縄で縛って痛めつけている場面を想像して首を振った。「早えうちに見つけなくちゃアならねえ。お北が帰って来たとして、隠れるような場所を知りませんか」

「さあ、うちに帰るんが普通だと思うけどな。島村の親分が生きてりゃア隠れる場所もいくらでもあったろうが、今となっちゃア隠れるとこなんてねえだろう」

「伊三郎の子分だった者で、お北と親しかった者はいませんか」

「子分たちは親分を恐れて、お北にはあまり近づかなかったようだ」

「そうですか‥‥‥」

「うちに帰らねえとすりゃア、どこかの宿屋にでもいるんじゃねえのか」

「だんべえな。境にはいそうもねえから、柴か木崎あたりに隠れてるんかもしれねえ」

「とにかく、明日、俺も境に行ってみよう」と貞利は言った。「お関とその謎の女を絵に描いて捜し回りゃア何か手掛かりがつかめるだろう」

「そうしてもらえりゃア助かります」久次郎は嬉しそうに貞利に酒を注いだ。

「何としてでも、二年前の悲劇のようにならねえように食い止めなけりゃアならねえ」と貞利は力強く言った。

 久次郎は貞利と明日会う約束をして、貞利の家を後にした。

 星もない真っ暗な道を提灯をぶら下げて、伊三郎とお北の奇妙な関係の事を考えながら、久次郎は百々村へと帰った。






嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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