酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





8.深谷のお美代




 朝早く、久次郎と貞利は橘屋に向かっていた。

 空はどんよりと曇って、今にも雨が降りそうだ。昨日の事件の後で、町もいつもの活気はない。何となく、ひっそりと静まり返っている。

 貞利の姿を見つけて、村田屋のおしんが挨拶をしながらやって来た。二年前は遠くから見ているだけだったが、おしんも十七になり、いくらか積極的になったようだ。

「先生、昨夜(ゆうべ)はこちらにお泊まりだったんですか」

「百々村の親分とこにお世話になったんだよ。まったく、ひでえ事をしやがる。玉村の事件も解決しねえうちに、お関ちゃんまでもがあんな事に‥‥‥」

 久次郎はおしんの気持ちを知っているので、無理に追い返しはしなかった。おしんは貞利に、恐ろしいから早く、下手人を捕まえてくださいと言っていた。

 おゆみが寝ぼけた顔してやって来た。

「おめえ、やけに早起きじゃねえか」と久次郎は冷やかした。

「昨日、あんな騒ぎがあったから、おりんさんのお店は休みだし、馬鹿安(ばかやす)相手に花札やってたけど、つまんないから早寝しちまったんさ。ねえ、どこのどいつだい、お関をバラバラにしたんは」

「それをこれから先生と捜しに行くとこだ」

「あたしにも何か、やらせておくれよ」

「駄目だ。おめえはおとなしくしてろ」

「つまんないよ。ねえ、あたしの見張り、替えてくれない。馬鹿安はもう飽きたよ」

「ああ、考えとくよ」

「あたし、忠次親分がいいな」

「馬鹿言ってんじゃねえ」

 おゆみが出て来たら、おしんは帰ってしまった。代わりに、久次郎の知らない娘たちが貞利を囲んでキャーキャー言っていた。

 橘屋の前に来ると、久次郎は娘たちを追い払い、貞利を守るようにして橘屋に入った。

 番頭の忠太が目をしょぼしょぼさせながら出て来て、頭を下げた。

「とんだ事になっちまった。改めて、みんなから話を聞きてえんだが、旦那と女将はいるかい」

「はい。お待ちください」と忠太は目をこすりながら奥の方に向かった。

「今朝早く、梅吉と角次を追いかけさせたから、そのうち帰って来るだんべえ」久次郎が声を掛けると忠太は振り返って丁寧に頭を下げた。

 貞利と久次郎は中庭に面した部屋に通されて、お関の両親と会った。お悔やみの挨拶の後、改めて、恨みを持っている者はいないかと聞いた。

 母親は、何でこんな事になる前に娘を見つけてくれなかったんだと取り乱して、久次郎に詰め寄った。久次郎は下手人は必ず捕まえるからと謝るしかなかった。

 父親は母親を下がらせると、娘を殺される程の恨みを持つような奴はいない。きっと、気違えの仕業に違いないと言った。

「下手人は深谷に逃げたようだが、深谷に誰か知り合いとかいませんか」と貞利が聞くと、父親はハッとしたような顔をして、貞利と久次郎を見た。

「実は、妹の熊の別れた亭主が深谷で旅籠屋をやってんです。飯盛女のいる旅籠屋で『小藤屋』ってえんですが、その亭主ってえのが博奕好きの女好きで、熊の奴は愛想を尽かして別れたんです。その亭主が関をさらって女郎にでもしたのかと疑って、調べてみましたが、関はそこにはいませんでした」

「どうして、そんな大事(でえじ)な事を隠してたんです」久次郎が問い詰めるように聞いた。

 父親は気の抜けたような溜め息をつき、首を振ると、「関は嫁入り前の娘です」と言って目頭を押さえた。「変な噂が立てば、せっかく小町になれたのに傷が付いてしまいます」

「しかし、その亭主が下手人かもしれねえぞ」

「まさか、関を女郎にする事があっても殺すなんて‥‥‥」

「とくかく、その旅籠屋を調べる値打ちはありそうだな」と貞利が言った。

 久次郎は貞利にうなづき、「誰が深谷まで行って調べたんです」と父親に聞いた。

「番頭の忠太です。あいつは熊が深谷にいた頃、そこで番頭をやってまして、熊を頼って、ここに来たんです。何か間違いを起こしたらしくて向こうをやめさせられたんだけど、真面目で働き者のいい奴ですよ」

「間違えってえのは?」

「詳しい事は知りませんが、女郎と駆け落ちをしようとして捕まったらしいです。きっと、魔が差したんだんべえ」

「そうか‥‥‥しかし、そんな奴が調べに行ったんじゃア、よく調べられなかったんじゃアねえですか」

「いえ。向こうにいる友達に探ってもらったと言ってました」

 忠太を呼んで詳しく聞くと、旅籠屋の隅から隅まで捜し回ったが、お関はいなかった。その旅籠屋はそれ程、大きくなく、飯盛女は五人しか置いていない。お熊と別れたらすぐ、亭主は江戸から流れて来た芸人を連れ込んで、その女が女将面(おかみづら)して旅籠屋を仕切っているという。

「その女ってえのはどんな奴だ」久次郎が(はや)る気持ちを押さえて聞いた。

「えーと、年の頃は二十の半ば位で、ほっそりとした気の強そうな女です」

「成程」と久次郎は貞利と顔を見合わせた。貞利も満足そうにうなづいた。

 さっそく、その旅籠屋に直行しようとした時、邪魔が入った。木島村の助次郎だった。お(かみ)の御用だと言いながら、久次郎たちが聞いた事と同じ事を聞き、父親は久次郎と貞利を見ながら同じ事を繰り返した。

 久次郎は貞利と一緒に深谷に行こうとしたが、「おめえらにも話がある。ちょっと待ってろ」と助次郎に止められた。

 父親と忠太、出戻りのお熊から話を聞き終わると助次郎は久次郎と貞利の方に顔を向けて、お関を捜していたらしいが、わかった事をすべて教えろと偉そうに言った。貞利は深谷に行く道々、話すから、早く深谷に行った方がいいと言った。助次郎も納得して、貞利を連れて深谷に向かった。

 久次郎も一緒に行こうとすると、「おめえにゃア用はねえ。他の娘がさらわれねえようにしっかり見張ってろ」と久次郎の胸を十手で小突いた。

 助次郎の子分たちがニヤニヤしながら、久次郎を睨んでいた。

「くそったれが」と悪態をついて、助次郎たちを見送っていると忠太が声を掛けて来た。

「何でえ」と振り向くと、忠太は久次郎を裏庭の方に誘った。

「あのう、調べてもらいてえ事があるんです」と忠太は困ったような顔をして言った。

「何を調べるんだ」と久次郎は聞いた。

「深谷にいる女なんです」

「何だと。小藤屋の女将の他にも怪しい女がいるのか」

「怪しいというか、何というか‥‥‥」

 忠太には深谷に深い仲の女がいた。小料理屋の娘でお美代といい、器量よしだが縁遠く、忠太が知り合った頃は二十歳を過ぎていたのに嫁いでいなかった。忠太は時々、その店に通っているうちに、お美代といい仲になった。なぜか、お美代は親の目を気にして店内ではあまり話もせず、こっそりと忠太に(ふみ)を渡して、二人は隠れるように宿場外れで逢い引きを重ねた。しかし、二月もすると二人の仲が親にばれ、忠太は店の出入りを禁止された。

 お美代は忠太より年上だったが、忠太は本気で惚れてしまった。その後も小藤屋の小僧を使って文のやり取りを続け、親に内緒で密かに逢い引きを重ねた。二人が親密になって半年程経ったある日、お美代が急に凶暴になって忠太に飛び掛かって来た。気違いのような目付きをして、訳のわからない事を口走りながら、忠太の顔を引っ掻いたり、たたいたり、蹴飛ばしたり、あまりにも突然の事だったので、どうしたらいいのかわからず、忠太はお美代を置いて、その場から逃げ出した。

 翌日、店を覗いてみると、お美代は普段と変わらずに働いていた。お美代に会って聞いてみると、その時の事は何も覚えていない。しかし、お美代も自分が突然、凶暴になるという事は親から聞いて知っていて、そんな自分を嫌わないでくれと言った。

 忠太は可哀想に思い、お美代と別れずにそのまま付き合いを続けた。二度目までは何とか我慢したが、三度目に凶暴になったお美代を見た時、忠太は別れようと決心して、だんだんとお美代を避けるようになった。お美代も忠太の気持ちを察したのか、忠太が逃げようとすればする程、逃がすまいと執拗(しつよう)に忠太に付きまとって来た。凶暴になった時など、不気味に笑いながら、あたしを見捨てたら殺してやると本気で忠太の首を絞めようとする。忠太は恐れて、お美代から逃げるために境にやって来たという。

「おめえがこっちに来たんは、女郎と駆け落ちしようとしたからじゃねえのか」と久次郎は聞いた。

「いえ、違います」と忠太は否定した。「あれはただ手引きをしてやっただけで、あん時、首になって、深谷から出ようって決心したんです」

「そいつはいつの事だ」

「去年の五月です」

「その後、その女はどうなったんだ」

「十月頃、親と一緒に随憲(ずいけん)先生に診てもらいに来ました。そして、うちに泊まったんです」

「ここに泊まったんか」

「はい」

「それで、どうした? 凶暴になったのか」

「いえ。凶暴にはなりませんでした。もう治ったのかと思える位、静かでした。発作が起きなければ本当にいい女なんです。一晩、泊まっただけで帰って行きました」

「おめえんとこに忍んで来たんじゃねえのか」

「はい、来ました。凶暴になるんじゃねえかと恐れましたが大丈夫でした」

「いい思いをしたわけだな」

「はい‥‥‥あたしを見捨てないでくれって泣かれました。もう生きてはいけないと言いました。そして、お嬢さんの事を綺麗な娘さんねと言ったんです。そん時、一瞬でしたが、ぞっとする位、恐ろしい顔になったような気がしたんです」

「その後、その女はここに来たのか」

 忠太は首を振った。「一度も来ません。でも、お嬢さんがあんな目に会って、もしや、お美代の仕業じゃないかと思うようになったんです」

「ここに泊まったんなら、女中たちは、その女を知ってるだんべ。あん時の女が、お美代だったか聞いてみたのか」

「聞いてみましたけど、よくわからないって言うんです。お美代はここに泊まった時、ほとんど部屋から出なかったんで、よく覚えてないようです」

「そうか‥‥‥しかし、何で、今頃になって言うんだ。まったく遅すぎるぜ」

「すみません。でも、凶暴な時ならともかく、普段は本当に普通の女なんです。あんな事をするなんて‥‥‥」

「深谷に行った時、その女も調べたのか」

「いいえ、行けませんでした。友達に頼もうと思ったけど、お美代の秘密を言うのが可哀想な気がして言えませんでした」

「そうか‥‥‥」

「お願いします。お美代を調べてください。お美代がやったのかと思うと、お嬢さんに申し訳なくて‥‥‥」

「もし、その女が下手人だったら、おめえの命もねえって事だな」

「そんな‥‥‥」忠太は真っ青な顔をして俯いていた。

「おめえ、今から出られるか」

「はい、今日は休みになったんで‥‥‥」

「よし、俺と一緒に深谷に行くんだ」

 久次郎は忠太を連れて、助次郎たちを追うように深谷宿へと向かった。平塚の立場に馬子のお万が暇そうにしていたので、お万も連れて行く事にした。忠太の言う女が下手人かどうか、お万が見れば一目でわかるだろう。

 今にも降って来そうな曇り空を見上げながら、三人は深谷へと急いだ。

 お関の叔母、お熊が嫁いだという旅籠屋の『小藤屋』は仲町の外れにあった。その少し東に、お美代のいる小料理屋がある。

 小藤屋には貞利が助次郎と一緒にいるはずなので、久次郎たちはまず、小料理屋へ向かった。近くの木陰から覗くと、昼前なので店内には客の姿はなく、お美代の姿もなかった。

 久次郎とお万は嫌がる忠太を引きずって店の中に入った。

「いらっしゃい」と若い女が奥から出て来て、忠太の顔を見ると、「あら、忠太さんじゃない」と嬉しそうな笑顔を見せた。

 忠太の言った通り、なかなかの別嬪(べっぴん)だ。これだけの器量よしで、二十歳を過ぎても嫁にも行かないというのは、確かに訳ありに違いない。久次郎はお万の顔を見た。お万は首を振った。それを見て、忠太もホッとしたらしかった。

「今日はお休みなの」とお美代が忠太に聞いた。

「いや、ちょっと用があって‥‥‥」と忠太は口ごもった。

「そう」と言ってから、お美代は久次郎たちの方を見て、「何にしますか」と聞いた。

 注文を聞くと、お美代は下がった。下がる時、寂しそうな顔をして、忠太の方を振り返った。

「いい人じゃない」とお万が言った。

「おめえには勿体(もってえ)ねえ程の女だぜ」と久次郎も言った。

「でも‥‥‥」

「今でも、おめえに未練があるような面をしてたぜ」

「あんた、男なら、もっとしっかりしなさいよ」とお万が忠太の肩をたたいた。「あんたの言うように、あの人が凶暴になるって言ったって、ほんの一瞬の事なんでしょ。その位、我慢しなさい」

「そんな事、言ったって‥‥‥」と忠太は俯く。

「あの顔は何もかも諦め切った顔だぜ。おめえに逃げられて、もう一生、嫁には行くめえと決めたに違えねえ」

「そうよ。可哀想だわ」

「おめえにしたって、いつまでも逃げてるわけにも行くめえ。ここらでけじめを付けた方がいいんじゃねえのか」

「けじめ?」と忠太は顔を上げて久次郎を見た。

「そうさ」と久次郎はうなづいた。「縁を切りたけりゃ、それでもいい。はっきりとそう言ってやる事だ。そうでもしねえ事には、おめえはこの先、ずっと、あの女の事で悩む事になるんじゃアねえのかい」

「はい、確かに‥‥‥」忠太は唇を噛み締めて、お美代がいるお勝手の方を見つめた。

 少し早い昼飯を食べると久次郎とお万は忠太を置いて店を出た。

 小藤屋に行って、女将を呼んでもらうと、女将は不機嫌な顔をして出て来た。久次郎とお万の顔を見て、不思議そうな顔をした。

 年格好は謎の女にそっくりで、江戸生まれだけあって、どことなく(あか)抜けている。期待を込めて、久次郎はお万を見たが、お万は首を振った。境から御用聞きが来なかったかと聞くと、また不機嫌な顔に戻った。

「うちん中をさんざ引っ掻き回して、今さっき出てったとこさ。まったく、頭に来るよ。人を何だと思ってんだい」

「おっと、待った」と久次郎は手を上げた。「俺たちは奴の同類じゃねえぜ。あんな奴に今度の事件を任せちゃおけねえって乗り出して来たんだ。奴の代わりに謝っておくよ」

 女将は何だかわからないという顔をしていた。

 久次郎とお万は小藤屋を出た。

「怪しい女は二人もいたが、どっちも白たア無駄足だったな」久次郎は苦笑した。

「それより、あの番頭さん、どうしたかしら」とお万は小料理屋の方を見た。

「奴を覗いてから帰るか」

 二人はまた、お美代の店に戻った。

 丁度、昼飯時で店は忙しそうだった。店内を覗いたが忠太の姿は見えない。先に帰ったのかなと思っていると、お美代が店から出て来た。お美代は久次郎とお万に頭を下げると、「忠太さん、戻って来るって言ってくれました」と目を潤ませながら言った。

「そうか。奴は逃げなかったか」久次郎はお万と顔を見合わせて笑った。

 お美代も嬉しそうにうなづいた。「ありがとうございました」

「よかったな。客が待ってるようだぜ」

「あっ、すいません」

 忠太は今、店を手伝っているので、うちの方に上がって待っていてくれと言ったが、久次郎たちは遠慮して、その場で別れた。

「よかったわね」とお万は嬉しそうに笑った。

「ああ。しかし、お関の下手人の方はさっぱりわからなくなっちまった。やはり、ここにゃアいねえのかもしれねえ」

「そうよねえ。人を殺してバラバラにするような人が、ここに来たからって、ここに住んでるわけないよね」

「もう一度、考え直した方がよさそうだな」

 二人が帰ろうとした時、助次郎と出会った。子分たちは謎の女を捜し回っているらしく、一緒にいるのは貞利だけだった。

「来るなと言ったのに来やがったか。まあ、いい。お万を連れて来たのは上出来だ」助次郎はそう言うと、強引にお万を連れて小藤屋に向かった。

「何も出て来なかった」と貞利が小藤屋の方を示しながら首を振った。

「さっき、確かめました」と久次郎は貞利に言って、振り返ったお万に手を振った。

「そうか、あの女将じゃなかったか‥‥‥」

「何かわかりましたか」

「駄目だ。俺が睨んだ所、下手人はここにはいねえ。奴は化けるのがうめえから、別の格好に着替(きげ)えて本庄の方まで行ったんかもしれねえな」

「本庄ですか」と久次郎は首を傾げた。

「例えばだ。俺は今日一日、木島の親分に付き合う羽目になりそうだ。久次さんは境に戻って、もう一度、聞き込みをしてみてくれ。橘屋のように新しいネタが得られるかもしれねえ」

「わかりました」

「俺も日暮れ前には境に戻る」

「それじゃア、おりんさんの店で待ってます」

 うなづくと貞利は助次郎たちを追って、小藤屋の方に向かった。

 久次郎は一人、北へと帰った。






嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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