酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





6.お千香としんさん




 お通がバラバラにされ、孝吉が一刀のもとに斬られた、あの日から八日後の昼過ぎ、お奈々は独りで平塚に行って貞利を訪ねた。

 相変わらず、雨が降っていた。

 貞利は『天女の舞』の構想を練っていた。上巻は玉村宿のおさと、中巻は平塚のお万、下巻は境宿のおゆみと三人の天女は決まった。おさとは玉村小町と噂されている小料理屋の娘で、一目見て、この娘は絵になる、まさしく天女のようだと思った。題材は決まったが、どのような内容にしたらいいのか貞利は悩んでいた。ありきたりの艶本では皆の期待を裏切ってしまう。皆の興味を引くような素晴らしい内容にしなくてはならない。しかし、実在の娘を描くからには嘘を描くわけにも行かない。十三歳の時に番頭に手籠めにされて、何人もの男遍歴のあるおゆみは何とかなりそうだが、お万とおさとは実際に男漁りをしているわけではないし、手籠めにされたわけでもない。どんな絵にしたらいいのか、いい考えは浮かばなかった。

 三人の弟子たちは真剣な顔をして、お姫様のように着飾ってはいても、着物の(すそ)を乱して太ももまでもあらわになっているお万の姿を描いていた。お奈々がやって来るとみんな、筆を止めて、お奈々を見た。

「すいません。先生にお願いがあるんです」お奈々は貞利を見つめて小声で言った。

「どうしたんだ」と貞利は聞いた後、お奈々の顔を見て、ただ事ではない事を悟って、「まあ、上がんなさい」と言った。

 ちょっと一服するかと貞利はお奈々を客間の方に案内した。二人だけになるとお奈々は貞利をじっと見つめ、「先生、助けてください」と両手を合わせた。その顔はすっかりやつれて、何かに脅えているようだった。

「何があったんだ」と貞利は優しく聞いた。

「孝吉さんが毎晩、夢に出て来るんです。助けてくれ、お通を殺したんは俺じゃない、違うんだって‥‥‥お願いです、孝吉さんを助けてください。孝吉さんはお通ちゃんを殺してなんかいないんです」

「そう言われてもな、そいつは難しいよ」と貞利は首を振った。「孝吉んちの蔵ん中にお通のバラバラ死体があったんだからな。孝吉以外の者があんな所で殺しをするとは思えねえんだよ」

「いいえ、誰かが孝吉さんに罪を着せるために、お通ちゃんの死体を運んだんです」

「誰がそんな事をわざわざするんだ」

「わかりません。でも、孝吉さんがあんな事をするはずないんです。できるはずもないんです」

「できるはずもねえ?」

「はい」とお奈々はうなづいた。「あの日、あたし、孝吉さんがお通ちゃんと会う事を知って、お通ちゃんより先に孝吉さんちに行って、孝吉さんを誘い出したんです。お通ちゃんが孝吉さんちに行った時、孝吉さんはうちにいなかったはずなんです」

「なに、それは本当なのか」

「本当です。孝吉さんは困ってたようだけど、あたしだって必死でした。孝吉さんをずっと夕方まで帰しませんでした。でも、あたしが孝吉さんを連れ出したせいであんな事になってしまったなんて‥‥‥」お奈々の目から涙が流れた。

「成程、そうだったのか‥‥‥そうなると考え直さなくちゃならんな」貞利は(あご)を撫でながら外の雨を眺め、お奈々に視線を戻すと、「その事を誰かに話したのか」と聞いた。

 お奈々は涙を拭いて、うなづいた。「久次さんに話しました」

「そしたら?」

「信じてくれません。孝吉さんがお通ちゃんだけじゃなくて、お関ちゃんまで殺したって言うんです。孝吉さんを(かば)う気持ちはわかるけど嘘を言っても駄目だって言うんです」

「久次さんがそう言ったのか」

「お関ちゃんを殺した下手人は先生と一緒にあらゆる手を使って捜し回った。孝吉さんが下手人じゃなかったら、残るは徳次郎だけど、徳次郎は江戸に行ってしまって、いない。仙太郎はすでに捕まってるし、疑わしい者はもう誰もいないんだって言われました」

「確かにそうだ。孝吉じゃなかったら、他に下手人らしい者は見あたらねえ。しかし、おめえさんが孝吉と一緒にいたとなると、もう一度、やり直さなくてはならんな」

「調べ直してくれますか。ありがとうございます」お奈々はホッとしたように貞利を見て、「お願いします」と頭を下げた。

「孝吉が下手人じゃねえとすりゃア本物の下手人がまだいるって事になる。もしかしたら、徳次郎なのかもしれん。とにかく、本物を見つけなけりゃア大変な事んなる。そうだ、早えうちに何とかしなくちゃならねえ」

「すぐに調べてください」

「うむ‥‥‥やはり、久次さんと相談した方がいいな。ついでだから境まで送って行こう」

 貞利は弟子たちに留守を頼むと、お奈々を連れて家を出た。

 雨の中、八木沼村(南米岡)まで来ると貞利は、この近くに借りている蔵があるから、ちょっとそこに寄って行くと言った。

「蔵ですか」とお奈々は不思議そうに聞いた。

「ああ、うちにも蔵はあるんだけどな、あの蔵はどうも絵の色が変色しちまうんだ。こっちは大丈夫なんで貴重な絵はこっちに保存してるんだよ。久次さんに頼まれてた絵があるから、それを持って行こうと思ってね。役者絵とか色んな絵があるから見て行けばいい」

 脇道に入って桑畑の中を行くと、しばらくして竹(やぶ)に囲まれた大きな蔵があった。

 貞利は鍵を開け、重そうな戸を開けた。中は真っ暗で何も見えない。貞利が先に入り、やがて、明かりを付けるとお奈々も入った。

「わあ、素敵」とお奈々が言った。

「湿気は絵によくねえから閉めるよ」と貞利が言って戸を閉めた。

 密かに貞利とお奈々を追って来た五人の百姓がいた。笠と(みの)を付け、野良着を着込んで、(つえ)のような棒を持っている。

 円蔵、久次郎、角次郎、秀吉、鹿安の五人だった。

「兄貴、この蔵は一体、何なんでえ」と角次郎が久次郎に聞いた。

「知らねえ。先生からこんな蔵の事なんか聞いた事もねえ」

「お奈々の奴、素敵って言ってましたぜ」

「そう言ってたな。しかし、この蔵で誰かを殺したに違えねえぜ」

「軍師、踏み込んでって取っ捕めえた方がいいんじゃねえですか。お奈々が()られちめえますぜ」秀吉が腰を浮かせながら円蔵を見た。

「いや、すぐには殺さねえさ」と円蔵は厳しい顔付きで言った。「奴が出て来るまで待つんだ。下手に騒ぐと自害しちまうかもしれねえ。そうなったら、本当の事がわからなくなっちまう」




 久次郎はお紺と『美女六斬』を眺めながら酒を飲んだ次の日、大つび絵に描かれたホクロのあるつびが誰のか気になって調べた。お万かお北のだったら何の問題もないが、もし、あれがお常のだったとしたら、とんでもない事になりそうだった。

 音吉に聞けばお常のつびはわかるだろうと行ってみたが留守だった。桐屋に行って、お粂に聞くと、音吉は仕事で伊勢崎に行って夕方まで帰って来ないと言う。

 桐屋を出た久次郎は通りの向かいにある髪結床『尾張屋』を見た。勇吉が暇そうに雨を眺めていた。勇吉もお常と関係のあった男だった。久次郎は尾張屋に入って店の中を見回した。かみさんのお菊はいない。客もいなかった。

「ちょっと、おめえに聞きてえんだがな」と久次郎は勇吉に言った。

「はい。何でしょうか」と勇吉は愛想笑いを浮かべた。

大事(でえじ)な事だ。正直に答えてくれ」久次郎が真面目な顔して聞くと、勇吉は不安そうに、「はい」と答えた。

「お常のべべっちょだが、おめえ、見たな」

「何ですって」勇吉は突然、そんな事を聞かれて目を丸くした。

「見たかどうか聞きてえんだ」

「見たかもしれねえけど、そんなのもう忘れましたよ」

「おめえ、『美女六斬』を持ってるか」

「いえ、持ってませんけど」

「見た事はあるな」

 勇吉はうなづいた。

「あの本にお常のべべっちょが描いてあるだんべえ。あれはお常のか」

「そうなんじゃねえんですか」

「先生がお常のを見て描いたのか」

「えっ‥‥‥そうか、あの絵を描いたんはお常が死んだ後でしたね。そこまで気づきませんでした。そうか、あれはお常のじゃねえのか‥‥‥先生が想像して描いたんですか」

「かもしれねえ。お常のべべっちょにホクロとかなかったか」

「さあ、そこまで真剣に見てねえですよ」

「そうか‥‥‥すまなかったな」

「今頃、そんな事を聞いてどうかしたんですか」

「いや。ちょっと気になってな、先生に聞こうと思ったんだが、その前におめえに聞いてみようと思っただけだ。気にすんな。ところで、お菊のべべっちょは具合いいか」

「ええ、まあ」

「いい、嫁さんをもらったな」

 勇吉と別れた久次郎は五月屋に顔を出して、庄次がいるか聞いてみた。貞利の家に行った後で留守だった。平塚まで行って、貞利に聞こうと思ったが、その前に、貞利の事を調べてみようと思った。

 貞利から江戸の話や絵の話はよく聞くが、家族の事や江戸に行く前の事は聞いた事がない。特に家族の事はあまり話したがらなかった。噂ではかなり金持ちの伜だという。お紺が貞利は変態なのかもしれないと言った時、そんな事はないと否定したが、何となく気になった。貞利の過去に何かあるのかもしれないと島村に向かった。

 中島から渡し舟に乗って島村に渡り、貞利の家を聞くとすぐにわかった。噂通り、大きな屋敷だった。直接、主人を訪ねる前に近所の者たちから、それとなく、貞利の事を聞いてみた。

 貞利は子供の頃から絵が上手で、島村で有名な絵師、金井烏洲(うじゅう)から絵を習った。江戸に行ったのは継母(ままはは)とうまく行かなくて出て行ったのだが、返って、それがよかった。あんな偉い浮世絵師になって帰って来るなんて、村の自慢だと皆、言っていた。

 継母がいるので貞利は島村に帰らないのかと思ったら、継母はすでに亡くなったという。継母の弟が船頭をしているというので、会ってみる事にした。

 継母の弟、房吉(ふさきち)は予想外の事を話してくれた。貞利が江戸に行ったのは継母とうまく行かなかったからではなく、逆に、いい仲になってしまったからだという。

 房吉の姉、お千香(ちか)が貞利の父の後妻に入ったのは二十歳の時だった。父親が四十六歳、貞利は十四歳だった。お千香は二十六歳も年上の父親より、六歳年下の貞利を好きになってしまった。貞利もお千香に夢中になり、家の者に隠れて、二人は密会を重ねた。やがて、お千香は妊娠し、お香代という女の子を産んだ。お香代は貞利の子供だった。それを聞かされた貞利は悩み、お千香から逃げるように江戸に行った。

 貞利が江戸に行ってしまった後、お千香は悩み続けた。父親も薄々、貞利との関係に気づいているようだと、弟の房吉にすべてを打ち明け、自害しようとしたという。房吉は何とか姉を思い止どまらせたが、それから二年後、お千香は二度目の出産に失敗して亡くなった。

 貞利は江戸に七年いた。帰って来ても島村には住まず、木崎に行き、やがて、平塚に落ち着いた。

 貞利と継母との関係はわかった。しかし、貞利が変態だという(あか)しは何もなかった。母親を早く亡くして、継母と関係を持ったのは異常だが、貞利が若い娘よりも年上の女が好きらしいという事がわかっただけだった。貞利の実家に行こうと思ったが、そんな秘密を教えてくれるとは思えないのでやめる事にした。

 渡し場の近くにあった小料理屋で昼飯を食べ、帰ろうとした時、久次郎の目の前を三味線の箱を抱えた下女(げじょ)を連れた若い娘が通った。年の頃は十三、四で、その顔が何となく、どこかで見たような気がした。

「お香代ちゃん、お稽古かい」と小料理屋の女が娘に声を掛けた。

 お香代と呼ばれた娘は笑って、頭を下げると通り過ぎた。

「今のは平塚の先生の妹さんかい」久次郎はすぐさま、女に聞いた。

「ええ、そうですよ。利助さんの妹さんです。利助さんも他人ばかり描いてないで、妹さんを描けばいいのにね。あの娘は島村一、可愛いですよ。あたしはよく知らないけど、ほら、境の小町だったお常さんていただろう。あの娘にそっくりだって噂でしたよ。お常さんがあんな事になって、しばらく、うちから出なかったんだけどね、最近はまた、明るくなってよかったよ」

 久次郎は思い出した。確かに、あの顔はお常そっくりだった。

「あの娘がお常そっくりだってえ事は、あの娘の母さんもお常そっくりだったのか」

「さあ、あたしはそのお常さんてえのを知らないけど、あの娘はお母さんにそっくりだよ」

 久次郎は再び、船頭の房吉に会いに行った。

 房吉は昼飯時なので家に帰っていた。房吉に会って、お千香がお常と瓜二つだった事を確認しようと思ったが、その必要はなかった。部屋の中に貞利が描いたお常の絵が飾ってあった。

「これはお千香さんだな」と聞くと、房吉はうなづいた。

「姉じゃアねえが、そっくりなもんで‥‥‥利助さんも、この人に会った時はさぞ、驚いた事だんべえ。利助さんもかなり悩んでたようだからな」

「そうか‥‥‥ちょっと聞きてえんだが、しんさんてえのを聞いた事ねえかい」

「しんさんですか‥‥‥懐かしいなア」そう言って、房吉は目を細めた。

「やっぱり、知ってんのか」久次郎は(はや)る気持ちを押さえて、房吉の答えを待った。

「あれは姉が好きだった菊五郎が演じた役名なんでさア。実際(じっせえ)に江戸の芝居(しべえ)を見たわけじゃアねえが、どっかで役者絵を手に入れたんだんべえ。その絵が利助さんに似てるってえんで、誰にもわからねえように、利助さんの事をしんさんて呼んでたんでさア。もう昔の事なんで、よく覚えてねえが、何とか屋新兵衛とかいう役だったと思います」

「新兵衛のしんさんか‥‥‥ありがとうごぜえました。これで、すべてがわかりましたよ」

 久次郎は平塚には行かず、まっすぐ境に戻った。新八の絵草紙屋と通りを挟んで正面にある豆腐屋に行き、お通が殺された八日、新八がいたかどうかを確かめた。

 豆腐屋の娘、おきみは、「最近、店を休んだ事がないので、いたと思いますけど」と言った。新八のかみさんは今、実家に帰っている。店番するのは新八しかいない。店を開けっ放しで、お通を殺しに平塚まで行ったとは思えないので、新八は白だと確認された。

 その後、絵草紙屋に行って、新八から子供の頃の貞利の話を聞いた。

 貞利は金持ちの伜、新八は貧しい農家の産まれで、近所だったので、幼い頃、遊んだ事はあったが、貞利が金井烏洲から絵を習うようになってからは、ほとんど付き合いがなかったらしい。村の噂で、貞利が継母と何かがあったらしいとは聞いているが、詳しくは知らなかった。ただ、継母がお常に似ている事は知っていた。

「あいつの継母ってなア、船頭の娘でな、嫁に行く前の事アよく知ってるんだ」と新八は言った。「お千香さんといやア、島村小町って噂される程の別嬪(べっぴん)だった。縁談はいくつもあったと思うんだが、まさか、あいつの親父んとこに嫁に行くたア驚いた。銭がからんでたようだが、そのへんのとこはよく知らねえ。あいつが平塚に越して来た時、俺は同郷のよしみで、奴んちによく遊びに行った。そこで初めてお常と会ったんだ。俺はすぐにお千香さんを思い出したよ。瓜二つと言っていいほど似てたんだ。その事をあいつに言ったら、ちょっと似てるかもしれねえなアって平気な顔して言ってたが、あいつだって初めてお常を見た時にゃア驚いたはずだぜ」

 頭の中を整理するため、久次郎は大黒屋に行き、ちびちび酒を飲みながら庄次が帰るのを待った。

 日暮れ前に庄次は帰って来た。大黒屋に呼び込むと、お万のつびの事を聞いた。

「ホクロなんかありませんよ」と庄次ははっきりと言った。

「確かだな」

「ええ、よく見て写しましたから」

「おめえ、今、その絵を持ってるか」

 庄次は描いた絵を見せてくれた。

 ホクロがないだけでなく、陰毛の形も違っていた。『美女六斬』の大つび絵よりも、お万の方が毛深いようだ。

「おめえ、随分、でっかく描いたな。本物もこんなでっけえのか」

「まさか。大つび絵のつもりで描いたんです」

「そうか。お万もいい道具を持ってるじゃねえか。おめえ、これを描きながら、おっ立ってたんじゃアねえのか」

 顔を赤くしながら、庄次はうなづいた。「もう興奮して、絵を描くどころじゃありませんでした。でも、兄弟子たちが落ち着いて描いてるんで、俺も必死に押さえて描きました」

「飛びつきたくなったんべえ」

「そりゃアもう。お万さんやおゆみの裸を拝めるなんて俺は幸せです。久次さんのお陰で先生の弟子になれて本当に感謝してますよ」

「そうか、そいつアよかったな」

 久次郎は庄次と別れ、音吉の家に向かった。お万のではないという事は、お北かお常のどちらかだった。

 音吉は帰っていた。お粂がもういて、音吉の世話を焼いている。お粂の前で聞く話ではないので、音吉を連れ出して、おりんの店に行った。

 音吉ははっきりと覚えていた。

 二人が仲がよかった頃、お常が家を抜け出して音吉の家に来たのはほとんど昼間だった。じっくりと眺めたわけではないが、ホクロがあった事は覚えている。『美女六斬』の大つび絵を見た時、音吉にはそれがお常の物だとすぐにわかった。それを見て、お常が貞利とできていたんだろうと思ったという。

 百々村に行った久次郎は円蔵と文蔵に貞利の事を話した。二人とも腰を抜かす程、驚いた。さっそく、貞利を捕まえる作戦を練った。

 もう、すでに、お常殺しも、お関殺しも、お通殺しも下手人が捕まっている。決定的な証拠がなければ捕まえる事はできない。そこで、お奈々を(おとり)にする事に決まった。

 久次郎はお奈々と会い、一応、調べてみたが、孝吉以外に怪しい者はいねえ。俺も暇じゃねえから平塚の先生に頼んでみろと言った。先生も忙しい身だから、ただ、孝吉がやったんじゃねえと言い張っても腰を上げねえだんべえ。お通が殺された日、お奈々がずっと孝吉と一緒にいたと言えば腰を上げるに違えねえから、そう言って頼めばいいと言った。

 お奈々はうなづいて、さっそく、平塚に向かった。その後をこっそりと追って、久次郎たちは八木沼村の蔵まで来たのだった。




 五人は冷たい雨の中、桑畑に隠れて、じっと待っていた。

 半時(はんとき)程して、ようやく、蔵の戸が開いた。風呂敷(ふろしき)包みを抱えたお奈々が一人で出て来て、戸を閉め、鍵を掛けた。

「お奈々だ」と秀吉が腰を浮かせた。

「ありゃア、お奈々じゃねえ」久次郎が秀吉を押さえた。

「先生が化けてんのか」

「静かにしろ」

 お奈々は傘をさすと竹薮の陰から回りを見回して、道に出て来た。

「よし、取っ捕めえろ」と円蔵が言うと五人は一斉に飛び出し、お奈々を捕まえた。

 お奈々は暴れ回ったが、相手が五人ではどうしようもない。泥だらけになって捕まり、頭巾が剥がされた。

 (つぶ)し島田の美人が現れた。勿論、お奈々ではないが、どう見ても男とは思えない粋な女だった。

「先生ですね」久次郎が言うと、女は力なく、うなづいた。

「何となく、やな予感がしてたんだ。真っすぐ、お奈々を送るつもりだったんだが‥‥‥畜生(ちくしょう)、しくじっちまった」

 貞利から鍵を受け取り、とりあえず、蔵の中に入った。

 あちこちに置いてあるロウソクに照らされた蔵の中は外見からは想像もできない程、豪華な屋敷のようだった。入口の所だけが土間で、左側に板の間があり、右側は囲炉裏のある四畳半の座敷になっている。座敷には床の間と違い棚もついていた。さらに、奥にも座敷があるようだが暗くて見えない。

 板の間に裸にされたお奈々がいた。両手両足を縄で縛られ、四隅にある柱にくくられ、大の字のなってもがいている。お奈々の白い体はローソクの光に妖艶(ようえん)と輝き、まるで、別世界にいるようだ。こんな光景を()の当たりにしたら、正気の人間でも狂ってしまいそうだった。

 ふと、久次郎は『嗚呼美女六斬』のお常が縛られている場面を思い出して、ゾッとなった。平塚の空き家で、馬吉がお常を縛った姿と今のお奈々の姿は全く同じだった。幸い、お奈々にはまだ傷はない。久次郎と鹿安はお奈々の縄を解いて猿轡(さるぐつわ)をはずした。お奈々は恥ずかしそうに膝を抱えて丸くなった。

「大丈夫か」と久次郎が聞くとお奈々はうなづいたが、恐怖に脅え、目は虚ろで歯をガクガク震わせていた。

 貞利が抱えていた風呂敷包みの中に、貞利の着物があったので、それをお奈々に渡し、貞利を縄で縛り上げた。

「おい、この蔵は一体(いってえ)、何なんだ」円蔵が貞利を土間に座らせて聞いた。

「島村の親分が逢い引きに使ってた蔵だ。親分が亡くなった後、お北に言われて、俺が買い取ったんだ」

「伊三郎がここで女と楽しんでたってえわけか」円蔵は蔵の中を見回してから、吐き捨てるように、「結構な事だな」と言った。

「ここで、小町たちを殺したのか」と久次郎は聞いた。

 貞利はうなづいた。

「兄貴、すげえぜ」と鹿安が叫んだ。

 振り返ると鹿安はロウソクを持って、奥の座敷を覗き込んでいた。

 久次郎が行ってみると、奥の座敷には吉原の花魁(おいらん)が使うような豪華な三枚布団が敷いてあった。部屋の隅には鏡台(きょうだい)長持(ながもち)があり、衣桁(いこう)には花柄の振り袖が掛かっている。長持の中を調べてみると女物の着物ばかりが何枚も入っていた。

「軍師、大変(てえへん)だ!」今度は秀吉が表の座敷で騒いだ。「小指がいっぺえある」

 行ってみると、違い棚の上に小さな(きり)の箱に入った小指がいくつも並んでいた。それぞれ、名前が書いてある。お常から始まって、お北、お幸、お松、お時、お関、おゆみ、お通と八人もの小指があった。

「おゆみの小指が何であるんだ」と鹿安がおゆみの箱を持って、貞利に詰め寄った。

「おゆみは江戸に行ったんじゃねえのか」と久次郎も貞利の胸倉をつかんだ。

「お通が亡くなる四日ばかり前に亡くなった」と貞利は平然として言った。

「亡くなっただと、てめえが殺したんだんべえ。この気違えが」

「くそっ! おゆみをよくも殺したな、畜生、殺してやる」鹿安は泣き叫びながら、貞利に殴り掛かった。

 (かつら)が飛び、貞利の口から血が流れ出た。

 円蔵に命じられて、秀吉と角次郎が鹿安を押さえた。

「先生、初めから話してもらおうじゃねえか。どうして、先生がこんな事をやっちまったんでえ」

 円蔵は貞利の体を起こした。貞利は口の中の血を吐き出すと、「どうしてわかった」と久次郎に聞いた。

「大つび絵のホクロだ」と久次郎は答えた。

「そうか、ホクロに気づいたのか‥‥‥あれは失敗(しっぺえ)だった。つい、お常のぼぼ(女陰)を描いちまった‥‥‥もう、お千香の事も知ってんだな」

 久次郎はうなづいた。

「お千香が親父の後妻になったんは俺が十四の時だった。母親というよりは姉といった感じだった。その頃、俺は烏洲先生から絵を習ってて、見る物すべてを絵に描こうと張り切っていた。当然、お千香の絵も描いた。描いたと言っても働いてる姿をこっそり描いてたんだ。それが見つかって、お千香は踊ってる姿を描いてくれと言ってきた。俺は喜んで引き受けた。その後、何度か、お千香の絵を描いた。

 ある日、俺が烏洲先生んとこから帰って来ると、うちにはお千香しかいなかった。親父も兄貴も出掛けていて留守だった。お千香はいつものように絵を描いてくれと俺の部屋にやって来た。その日は暑い日で、お千香は暑い暑いと言いながら、だんだんと(えり)を広げたり、(すそ)を開いたりしてきたんだ。俺には我慢できなかった‥‥‥俺は継母を抱いちまったんだ。抱いたというよりは手籠(てご)めにされたようなもんだった。

 とんでもねえ事をしちまったと俺は後悔した。しかし、お千香は何でもねえような顔をしている。もう二度とお千香には近づくめえと決心したが無駄だった。お千香に誘われると断れねえんだ。俺は何度も過ちを犯した。そして、お千香は子供を産んだ。こっそり、俺の子供だと言われた時はもう、死のうかと思う程、苦しんだ。その後も、お千香は俺を追い回して、拒絶すると親父にすべてをばらしちまうと脅した。俺はお千香の成すがままにされるしかなかった。俺はお千香のおもちゃのような存在になっちまったんだ。時には縛られて手籠めにされた事もある。俺はお千香から逃げる決心をして江戸に行ったんだ。

 お千香から逃げた俺だったが、江戸に行っても、お千香を忘れる事はできなかった。岡場所に行っても、知らねえうちに、お千香に似てる女を捜してたんだ。会えねえとなると、余計に、お千香への思いが(つの)った。江戸に出て、三年半経った頃、お千香が出産に失敗して亡くなった事を聞いた。俺は毎日、酒浸りになった。こんな事になるんなら、お千香を連れて逃げればよかったと悔やんだ。絵なんか全然、手につかず、破門されそうにもなった‥‥‥お千香の(まぼろし)から立ち直るのに一年余りも掛かった。その後の俺は絵に熱中して、朝から晩まで一日中、絵の事ばかりを考えていた。ようやく、合巻(ごうかん)の挿絵や錦絵を描く事も許され、大して売れなかったが艶本も売り出した。

 兄弟子と大喧嘩したのを機に、俺は故郷に帰ろうと決心して戻って来たんだ。島村には帰らなかった。九歳になった妹、実は俺とお千香の子なんだが、顔を見るんが辛かったんだ。木崎に落ち着き、女郎たちを描いて、その絵を売ってはその日暮らしをしていた。木崎の親分に認められて、錦絵と艶本を出す事ができた。その後、島村の親分にも随分と世話になった。

 こっちに戻って来て、一年位経った頃、俺はお常と会っちまったんだ。ほんとに驚いた。お常はお千香にそっくりだったんだ。お千香じゃねえ、別人だと自分に言い聞かせても無駄だった。立ち直ったはずなのに、お常と出会ってから、また、お千香に悩まされるようになっちまった。

 俺が木崎から平塚に移るとお常は友達と一緒に度々(たびたび)、遊びに来るようになった。俺はこっそり、お常に声を掛けた。お常は喜んで、一人でやって来た。俺はお常を抱いた。お常は友達にも内緒で度々やって来た。お千香から逃げてしまった事もあって、俺はどうしても、お常を独り占めしたかったんだ。俺はお常を蔵に閉じ込めた。ここじゃねえ。平塚のうちの裏にある蔵だ」

「何だと!」と久次郎が声を上げた。「それじゃア、俺がお常の事を聞きに行った時、お常は裏の蔵にいたってえのか」

 貞利はうなづいた。

「お常を閉じ込めた俺はお常の着物を来て、中瀬に行き、例の掘っ建て小屋で着替えたんだ。その頃、俺は『利根川八景』を描いていた。着替えた俺は川の水で顔を洗って中瀬の藤十の家に行き、妾の絵を描いた。夕方に帰って来て蔵の中のお常を抱いた。でも、蔵に閉じ込められていたお常は恐怖に脅え、うちに帰してくれと泣きわめいた。俺はお常を黙らせるために、竹の棒で打ったりした。あの蔵は島村の親分がお北を責めるために建てたんで、様々な責め道具があった。その頃、親分はこっちの蔵を利用してたんで、あの蔵は使ってなかったんだ。俺んちは娘たちの出入りが激しかったんで、親分としても使いづらかったようだ‥‥‥俺もお常を責めてるうちに、だんだんと、その世界に入っちまった。お常の苦しむ顔を見るのが快感になって行ったんだ。そして、俺は苦しみ歪む顔に女の本当の美しさを見つけた。俺はお常が苦しむ顔を何枚も描いた。死ぬ瞬間の顔は何とも言えねえ程、美しかった‥‥‥お常は傷だらけになって死んだ。死体は庭に埋めちまうつもりだった。お常の死体の上に桜の木を植えてやろうと思ったんだ。でも、ふと、ひらめいた。丁度、次に描く艶本のネタに窮してた時だったんで、バラバラにして境に捨てりゃア話題になって、いいのが描けるに違えねえってな。お常の事を艶本に描きゃア、お常も喜んでくれるに違えねえと思った。俺は市のある日を選んで、早朝、野良着を来て荷車を引いて境に行き、あちこちに捨てて帰って来た」

「お常を()ったのは、やっぱり、先生だったのか」と久次郎は貞利を見下ろしながら言った。「どうして、小指を切ったんだ」

「お常が自分のものだという証しに取っておいたんだ」

「お千香が先生の事をしんさんと呼んでたのは、お千香の弟から聞いた。その事をお常にも話したのか」

「ああ、話した。お常も喜んで、俺の事をそう呼んだ」

「どうして、中瀬のしんさんなんだ」

「お常がしんさんてえのをお菊たちに言っちまったからだ。島村のしんさんとか、平塚のしんさんとか言われたら、危険だと思って、中瀬のしんさんて呼ぶように言ったんだ。お常はその通りに言ってくれた。お陰で俺は疑われずにすんだ」

「馬吉ははなっから下手人にするつもりだったのか」

「そんな事は考えなかった。馬吉がお常の(くし)を持ってたんで、何とか下手人にしちまったんだ。絵を描くために俺はあちこちウロウロしてたんで、平塚の外れにある空き家の事は知っていた。そこにお常の(かんざし)を投げといて、見つけた振りをしたんだ」

「お北はどうして殺したんだ」と円蔵がお北の小指を貞利に見せながら聞いた。

「お北は島村の親分が死んだ後、島村一家が争いを始め、身の危険を感じて、俺んちに逃げて来た。お北は俺に親分のように責めてくれとせがんだ。俺はお北を責めて楽しんだ。お常を殺してからというもの、俺は普通のやり方じゃア、まったく役立たずになっちまった。お常とお千香の(たた)りかもしれん。お万の裸を見ても、女郎の裸を見ても駄目なんだ。女の苦しんだ顔や血を見ねえとできなくなっちまったんだ。そんな俺にお北は丁度いい相手だった。毎晩、俺たちはここで変態じみた事に熱中して燃えた。お北が島村の親分の(かたき)を討つ、お町さんを殺すと言わなけりゃ、俺たちはうまく行ってたんだ。島村の親分がいなくなり、俺は忠次親分に後ろ盾になってもらうおうと思っていた。それなのに、お北はお町さんを殺すと言い張る。俺はお北をこの蔵に閉じ込め、さっきのお奈々のように縛って毎晩、責めて楽しんだ。お北も喜んでいたが、とうとう死んじまった。死体はバラバラにして竹薮ん中に埋めた」

「小指を切ってか」と円蔵が聞いた。

「小指を切って、死んだ時の絵も描いた」と貞利はニヤッと笑った。

「お幸ってえのは誰なんだ」と円蔵が聞いた。

「平塚から中瀬に逃げて行った彦六の妾だ。彦六が平塚にいた頃、何度か絵を描いた事があった。彦六が自分の子分たちに殺されたと俺んちに逃げて来た。見つかったら殺されるって脅えてたんで、ここに連れて来て、お北のように責めた。お幸もいい女だったが、喜ぶ事もなく、あっけなく死んじまった」

 彦六の妾のお幸は久次郎も何度か見た事があった。確かに、彦六には勿体ねえ程のいい女だった。

「お松は?」と円蔵が聞いた。

「世良田の娘だ」

「行方知れずになったってえ、あの娘か」

「そうだ。絵を描いてくれって一人でやって来たんだ。お幸が死んでから、一月と経っちゃアいなかった。派手好きな可愛い娘だった。お幸を責め過ぎたんで、お松はじっくりと楽しみながら責めたよ」

「お時ってえのは誰だ」

「栃木の娘だ。『美人例幣使』に描いた娘で、家出して来たと言って、俺んちに来た。あちこちで俺んちの場所を聞いたんで、やべえと思って、ここに閉じ込めた後、お時の格好をして高崎まで行った。しかし、誰も捜しにゃア来なかった」

「今度もお奈々の格好してたが、どこに行くつもりだったんだ」と久次郎が聞いた。

「お奈々は頭がいかれて利根川に身投げしたって装うつもりだったのよ。利根川べりをウロウロしてからどこかで着替えて、お奈々の着物を利根川に捨てようと思ったんだ。下流で着物が見つかれば、死体が見つからなくても身投げしたって事になるからな」

「着物を捨てて、ここに戻って来て、お奈々をいたぶるつもりだったんだな」

「いや、着替えてから久次さんちに行くつもりだったのさ。お奈々は気がふれてるから何をするかわからねえ。気をつけた方がいいって言いにな。それからさ、お奈々をたっぷりと可愛がるんは」貞利は久次郎を見ながらニヤニヤ笑った。

「気がふれてんのはてめえの方だ」久次郎は(こぶし)を握り締めたが、必死に我慢した。

「お関はどうやって連れ出したんだ」と角次郎が聞いた。

「お北の着物を着て、角次さんが待ってると言って、ここに連れて来た。その後、お北の着物を着て中島に行ったり、お関の着物を着て木崎に行ったりしてごまかした」

「俺が先生と一緒に、あちこち捜し回ってた時、お関はここにいたって事だな」と久次郎が言った。

「ああ。俺は毎晩、ここに通って来て、お関を可愛がった。残念ながら、お関もお北のようには喜ばなかった。それでも、あの娘はいい体をしてるから責め甲斐(げえ)はあったよ。仙太郎の奴が俺の本の真似をしてくれたんで、お関の死体を境にばらまいた方が面白え事になりそうだって思ってな、七小町のうちに送ったんだ。荷造りした死体は夜のうちに平塚に運んで、胴体は利根川に流し、他の物は立場の側に隠しておいた。次の日、お北の着物を来て立場に行って、境に届けてくれと頼んだが、そこにお万がいたんで作戦が狂っちまった。謎の女はお北にしておくつもりだったのに、お万はお北を知っている。そこで、とっさに考え、橘屋の出戻りが深谷に嫁いでた事を思い出して、深谷まで行ったんだ。仙太郎の奴がお関殺しも自分がやったと自白してくれたんで助かった」

「畜生! 何で、お関を殺したんだ」角次郎が貞利の胸倉をつかんだ。

「おめえがもうすぐ帰って来るってえ噂を聞いたからだ。俺も我慢できなかったんだ。誰かを傷つけずにはいられなかったんだ」

「この気違え野郎!」角次郎が貞利を思いきりなぐった。

 縛られたまま貞利の体は吹っ飛んだ。円蔵と久次郎が角次郎を押さえた。

「まだ、聞く事があるんだ。半殺しにするのは、すべてを聞いてからにしろ」

 円蔵は貞利を座らせると顔の血を拭いてやった。唇が切れ、(まぶた)が腫れ、粋な美女が台なしになった。

「おゆみはどうやったんだ」と久次郎が聞いた。

「おゆみは突然、旅支度でやって来た。もう我慢できねえから、とにかく、江戸まで連れてってくれと言った。俺はうなづいて、江戸に行く前にいいもんを見せてやろうと言って、ここに連れて来た。おゆみはここが気に入った。あの娘は変わっていて、俺が(むち)打ったり、傷つけたりすると喜んだ。お北と同じような女だったんだ。おゆみは江戸に行くのをやめて、ここで暮らした。手紙を書いたのもここだ。俺はおゆみの手紙を持って深谷まで行き、境に行く商人に手紙を頼んだ。俺とおゆみは毎晩、ここで楽しんだ。おゆみもだんだんと過激になって行き、体中、傷だらけんなって、とうとう死んじまった。あの娘はほんとにいい娘だった」

「何がいい娘だ。この変態野郎! おゆみを返せ、おゆみを返せ」鹿安がおゆみの小指を抱きながら、大声で泣いた。

「お通はどうして殺したんだ。お通を責めたようには思えねえが」

「お通は勿体ねえ事をした。でも、仕方なかった。この蔵の事を孝吉とお通に知られちまったんだ。ここに来る時はいつも夜だった。誰にも見られねえように警戒してたんで誰も知らねえ。ところが、おゆみがここにいた時、俺は昼間、ここに来ちまった。充分に注意してたつもりだったが、孝吉とお通に見られ、後をつけられた。ここに一時ばかりいて出て来たんだが、そん時は孝吉とお通はいなかった。次の日、境に行った時、お通に声を掛けられ、蔵ん中で何をしてたのって聞かれた。お通は何とかごまかせたが、孝吉はお北から聞いてたらしく、伊三郎の蔵の事を知っていた。場所までは知らなかったが、確か、あの辺にあったはずだと言い出した。外見は古い蔵だが、中は素晴らしく豪華だと聞いてるんで、是非、見せてくれと言った。それだけでなく、貸してくれと言い出したんだ。そのうちに見せてやると言ったが見せるわけにゃア行かねえ。

 俺は平塚道から、ここに来る辻の辺りでお通が孝吉んちに行くの待ち伏せして、もうすぐ、孝吉も来るはずだからとここに連れ込んだ。お通は蔵の中を見て喜んだ。奥座敷の三枚布団を見ると、俺に抱いてくれと言って来た。初めての男は先生と決めてたのとお通は可愛い顔して言ったんだ。そんな事を急に言われて、俺はまごついた。抱いてやりてえが、俺にはできねえ。お通は覚悟を決めて、恥じらいながら着物を脱ぎ始めた。俺はお通の願いをかなえてやりたかった。でも、やっぱり駄目だったんだ。俺はお通を抱く振りをして、隠し持っていた匕首(あいくち)で左乳を一突きして殺した。

 最初の予定じゃ、俺はお通の(すき)を見て殺し、お通の死体を孝吉んちに運んで心中に見せかけるつもりだった。着物の上から刺すつもりだったのに、裸の胸に刺しちまった。こうなったら、孝吉も裸にして殺さなけりゃまずいと思ったが、隙を見て殺し、着物を脱がせて布団の中に二人を重ねれば何とかなるだろうと、頬っかぶりして笠をかぶり、お通の死体を荷車に積んで孝吉んちに運んだ。

 孝吉はいなかった。お通が来ると思ってか、うちの戸締まりはしてなかった。とりあえず、お通の死体を蔵の中に隠して、お北の着物を葛籠(つづら)ん中にしまった。部屋に上がり込んで孝吉の帰りを待ったが、いつになっても帰って来ねえ。俺はお通の死体が気になって蔵に戻った。死体を見てるうちに気持ちがおかしくなって、首を切り落とした。死んでからしばらく経ってたのに血がドクドクと流れ出した。俺は興奮して、お通の首なし死体を手籠めにした。気がついた時にゃア、知らねえうちに両手両足を切り離していた。死体をバラバラにしちまったんで、もう、心中に見せかける事はできねえ。俺は蔵に鍵を掛けて、鍵を元の位置に戻し、出直して来る事にして荷車を引いてここに戻った。濡れた着物を着替えて、今度は傘をさして、再び、孝吉んちに向かった。孝吉と会って、油断したとこを殺して自害に見せかけ、俺が発見者になるつもりだった。ところが、途中で不流一家の者たちに追い越され、孝吉んちに押しかけて行くのが見えた。お通を捜しに来た事はわかった。どうなるか様子を見たかったけどやめて、うちに帰った。不流一家の者がお通の死体を見つけりゃア、孝吉を役人に突き出すに違えねえと思ったんだ。もし、見つけなけりゃ、明日の朝、もう一度、出直すつもりだった。そしたら、久次さんがやって来て、孝吉が殺されたと教えてくれた。俺はあの時、心ん中で、こんなにもうまく行くたア、まだまだ、運がついてると大喜びした‥‥‥どうも、調子に乗りすぎたようだな。思うように絵も描けなくなっちまったし、そろそろ、年貢(ねんぐ)の納め時が来たようだ」

 貞利は急に大声で笑い出した。その笑い声に高い声が重なった。

 振り返るとお奈々がケラケラ笑っていた。目付きが異様だった。体に掛けていた着物をヒラリと放り投げると立ち上がり、フラフラした足取りで外に飛び出して行った。

「狂っちめえやがった」

 久次郎たちはお奈々の後を追った。

 素っ裸のお奈々は土砂降りの中、木崎節を唄いながら踊っていた。

   売られ来たのはいといはせねど
        顔も所も知らない方に
             足をからむの手を差し込めの
     五尺体の五寸の中で
          もくりもくりとされるがつらい〜











嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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