酔雲庵


戦国草津温泉記・湯本善太夫

(2007年改訂版)

井野酔雲





ナツメ




 夏の終わりの頃だった。

 瑞光坊(ずいこうぼう)は光泉寺の門前に立つ市からの帰り、湯治客を眺めながら、のんびりと歩いていた。

 草津には様々な客が訪れた。

 きらびやかに着飾った身分の高いお公家(くげ)さんや僧侶。

 偉そうな(ひげ)をたくわえて、槍や薙刀(なぎなた)をかついだ、いかつい顔をした武士。

 旅なれた山伏や遊行聖(ゆぎょうひじり)。山伏は真言(しんごん)を唱え、遊行聖は念仏を唱えながら歩いている。

 あちこちから流れて来る遊女や乞食(こじき)、旅芸人。鮮やかな着物に身を包んだ天女のように美しい遊女もいれば、乞食同然のボロをまとったお化けのような遊女もいる。

 時には武家の奥方が立派な輿(こし)に乗って、大勢の侍女(じじょ)を引き連れてやって来る事もある。

 身分も着ている物も様々だったが、草津に来ると皆、平等になったかのように、裸になって湯に入った。

 広小路には、御座(ござ)の湯、綿(わた)の湯、脚気(かっけ)の湯、滝の湯と四つの湯小屋があるが、ほとんど、回りから丸見えだった。勿論、男女混浴で、皆、草津に来た解放感からか、何の抵抗もなく裸になっている。中には、湯から出て素っ裸のまま、広小路を歩いている者もいるが、誰も気にも止めない。

 草津は不思議な所だった。

 瑞光坊は初めて草津に来た時、裸の人たちを見て驚いたが、それよりも、色々な種類の人がいる事の方がもっと驚きだった。小雨村にいた頃、見た事もない違う種類の人々が草津には大勢いた。噂に聞く都とは、こういう所なのかと驚いていた。

 草津は山の中の小さな村だったが、都とは言えないまでも、一種独特の華やかさを持った町だった。

 いつものように、湯池(湯畑)に湯煙が立ち昇り、硫黄(いおう)の臭いが鼻を突く。

 いつものように、滝の湯には大勢の者が湯を浴びていた。

 道行く男たちが足を止めて、ニヤニヤしながら湯小屋を眺めている。

 毎日、この時刻になると、仕事前の遊女たちが大勢、湯を浴びにやって来ていた。

 遊女たちは見られているのを承知で、キャーキャー言いながら誇らしげに体を見せびらかしている。

 初めて、この光景を目にした時、瑞光坊は驚き、まるで極楽のような所だと、毎日のように眺めに来たものだった。最近はその光景にも慣れ、遊女たちとも顔見知りになったため、わざわざ、眺めに来る事もなくなったが、いつ見ても、いい眺めだと思った。

 瑞光坊が眺めていると遊女の一人が瑞光坊に向かって、「若様!」と叫んで、両手を振った。

 他の遊女たちも、「キャー、若様!」と身を乗り出して手を振っている。

 回りの男たちが、瑞光坊を見ながら(はや)し立てた。

 瑞光坊は軽く手を上げて答えると、その場を離れようとした。

 ところが、瑞光坊の目は遊女たちの後ろで、滝を浴びている一人の少女の裸身に(くぎ)付けになってしまった。この辺りでは見た事もない程、綺麗な娘だった。

 長い黒髪を両手でかき上げながら、湯の滝を浴びている。すらっとした体はまだ幼いが、やけに(まぶ)しく、見ているだけで胸がドキドキして来るのを感じていた。

 遊女たちが何かを言っていたが、そんなのは何も聞こえず、少女をじっと見つめていた。

 突然、少女の姿が見えなくなった。

 瑞光坊は市場で買った野菜も忘れ、やじ馬たちをかき分けて、滝の湯の入り口まで行ってみた。しかし、すでに、その少女の姿はなかった。まだ、近くにいるはずだと、広小路中捜してみたが見つからなかった。

 瑞光坊は肩を落として飄雲庵に帰り、野菜を忘れた事を円覚坊に怒られた。

 次の日から、瑞光坊は毎日のように、その少女を捜し回った。

 地元の者ではない事は確かだった。湯治客に違いない。湯治客なら、どこかの宿に泊まっているはずだ。十二、三歳の少女がそんなにもいるはずはない。きっと見つかるはずだと思ったが、なかなか見つからなかった。裸の姿しか見ていないので、どんな身分の娘か分からない。身分が分かれば、それ相当の宿を捜せばいいが、それが分からないから大変だった。

 この前と同じ時間に滝の湯に行けば会えるだろうと行ってみたが、見つける事はできなかった。遊女たちに聞いても、そんな娘は知らないという。三日間、捜し回って見つからず、もう帰ってしまったのだろうと諦めざるを得なかった。

 あの時の少女の姿が忘れられず、何をやっても身が入らなかった。湯気の中の裸の少女は瑞光坊の頭の中を駈け巡って、時には恥ずかしそうに笑い、時には楽しそうに話しかけて来た。ところが、追いかけようとすると少女は湯気の中に消えてしまう。

 飄雲庵でぼうっとしていた時、叔父のもとから番頭が呼びに来た。立派な太刀(たち)が手に入ったから、瑞光坊にくれると言う。太刀などどうでもよかったが、瑞光坊は番頭と一緒に善太夫の湯宿に向かった。

 善太夫は機嫌よく瑞光坊を迎え、備前物(びぜんもの)の太刀を自慢げに見せたが、瑞光坊はよく見もしないで、ただ、礼を言っただけだった。

「お前ももう一人前じゃ。やがては、わしの跡を継いで、ここの(あるじ)になる。宿屋の主人というのもなかなか大変なもんじゃぞ」顎髭(あごひげ)を撫でながら、善太夫はそう言った。

「まず、お客様を大切にしなければならん。特に、よくお見えになる馴染みのお客様は大切にしなければならん。追い追い、そんなお客様をお前に紹介して行く事となろう。そこで、まず、今日は、そんなお得意様を一人、紹介しておこうと思ってのう。こうして呼んだわけじゃ」

「そのお客様というのはお(さむらい)ですか」と瑞光坊は聞いた。

「いや。侍じゃない。ここのお客様は侍が多いが、侍を相手にするのは難しい。こう(いくさ)が多いと馴染みのお客様だからといって簡単に泊めると、後で面倒になる場合もあるんじゃ」

「どうしてです」

「お屋形(やかた)様(湯本下総守)は今、関東管領(かんれい)山内(やまのうち)上杉殿の被官(ひかん)となっておられる。つい、この間まで、管領殿は古河(こが)公方(くぼう)様や小田原の北条(ほうじょう)殿と手を組んで、扇谷(おおぎがやつ)上杉殿と戦っておられたが、今は扇谷上杉殿と手を結んで、公方様と北条殿を相手に戦っているらしい。以前は公方様の武将や小田原から来られた武将もおられたが、これからは来る事もあるまい。侍を相手に商売するには、常に、その時の戦況を知らなければならん。馴染みじゃからといって、うっかり、敵方の武士を泊めたら、後でお屋形様が困る立場になる事もあるんじゃ。気を付けなきゃならんぞ」

 瑞光坊には、管領だの公方だの扇谷上杉だの小田原の北条だのと言われても、よく分からなかった。ただ、来た者は誰でも泊めていいというわけではないのか、という事が分かっただけだった。

「今日、お前に会わせるのは商人じゃ。商人といっても、そこらの市場で物を売っているような行商人(ぎょうしょうにん)じゃない。武士を相手に、もっと大きな(あきな)いをしているお人じゃ。奴らは鳥目(ちょうもく)(銭)をたんと持っておるからの、大事にせにゃならん。今日のお客様は小野屋殿と言ってのう。伊勢の国(三重県)を本拠にいくつもの船を持って、各地の国々と取り引きをしておられるお方じゃ。まあ、正確に言うと、その小野屋をお継ぎになるお方じゃな。この先、おまえのお得意様になるお方じゃ。挨拶しておいた方がいい」

 瑞光坊は善太夫の後について奥の屋敷に向かった。奥の屋敷に滞在している事からして、余程、大事な客のようだった。

 善太夫の宿は二棟(ふたむね)に分かれていて、手前の屋敷は一般の湯治客を泊め、奥の屋敷には特別な客を泊めていた。手前の屋敷の部屋はすべて板の間だったが、奥の屋敷の部屋はすべて、(たたみ)が敷き詰められてあった。当時、畳を敷き詰めた部屋のある湯宿は善太夫の所だけだった。

 押板(おしいた)(床の間の原形)の上の大きな花入れに様々な花が飾ってある奥の座敷にいたのは、瑞光坊の予想に反して、湯帷子(ゆかたびら)を来た若い男だった。左手を怪我しているのか、白布を巻き付けている。

 瑞光坊は善太夫と共に挨拶をした。

 その男の名は孫太郎といい、戦に巻き込まれて怪我をしたので、治療と休養を兼ねてやって来たのだと言う。年の頃は二十歳前後、目付きが鋭く、商人というよりは武士のような態度だった。

 孫太郎は退屈していたのか、瑞光坊を相手に、やたらとしゃべり始めた。

 善太夫は用があるからと先に引き上げたが、瑞光坊は引き上げるわけにはいかなかった。また、孫太郎の話は面白かった。生まれてから、草津と小雨村しか知らない瑞光坊にとって、様々な土地の話や戦の話は興味深いものだった。

 瑞光坊は時の経つのも忘れ、孫太郎の話に引き付けられていた。そして、孫太郎の話以上に驚いたのが、隣の部屋から顔を出した少女だった。

 その少女こそ、瑞光坊が捜し求めていた、滝の湯で見た少女だった。

 少女は孫太郎の妹で、ナツメという名だった。

 浅葱(あさぎ)色(水色)の着物を着た涼やかなその姿を目の前にして、瑞光坊はまるで、夢でも見ているかのような心地(ここち)だった。

 まさか、ここにいるなんて考えてもみなかった。奥の座敷は侍しか泊まらないものと決め込んでいたので調べなかった。うっかりしていたと悔やんだが、会う事ができて、本当に夢心地だった。

 ナツメは兄の隣に座って、ニコニコしながら瑞光坊を見ていた。瑞光坊はまともにナツメの顔を見る事もできなかった。つい、裸のナツメを想像してしまう。胸がドキドキして、孫太郎が何かを言っていたが、何も聞こえなかった。あの後、どうやって帰って来たのかも覚えていない有り様だった。

 次の日から、瑞光坊は毎日、孫太郎の座敷へ通った。孫太郎も歓迎して瑞光坊を迎えた。孫太郎から色々な話を聞き、珍しい物などを見せてもらって面白かったが、ナツメに声を掛ける事はできなかった。ナツメからも色々な話を聞きたいと思って、浮き浮きしながら出掛けても、ナツメの大きな目に見つめられると、もう何も言えなくなってしまう。どうしてそうなるのか、自分でも不思議な事だったが、どうにもならなかった。

 五日後、孫太郎とナツメは供を引き連れて帰って行った。

「また、いつか会いましょう」

 ナツメが別れの時、笑いながら言った言葉が、いつまでも瑞光坊の耳に付いて離れなかった。




 ナツメと別れた後の瑞光坊は気が抜けたように、毎日、だらだらと過ごしていた。

 寝ても覚めても、ナツメの姿が頭の中にちらついて、何をやっても(うわ)の空だった。

 武術の稽古は毎日やっているが、まったく気が入らない。思い切って、旅に出て、ナツメに会いに行こうかと思ったが、伊勢の国は遠かった。とても一人で行けそうもない。

 円覚坊に伊勢まで連れて行ってくれと頼むと、冬住みの時期になったら、連れて行ってやろうと言った。

「善太夫殿より頼まれている。冬になったら、世間を見せてやってくれとな。十月になったら旅に出る。いくら帰りたいと言っても、春になるまで、草津には帰らんからな」と円覚坊は笑った。

「伊勢にも行くんですか」と瑞光坊は弾んだ声で聞いた。

「おう。お伊勢さんでも熊野権現(くまのごんげん)でも連れて行ってやる。ただし、のんびりとした物見遊山(ものみゆさん)の旅じゃないぞ。勿論、宿屋にも泊まらん。毎日、野宿じゃ。しかも、普通の道は通らん。歩くのは山伏の道じゃ。辛いぞ、覚悟しておけ」

 辛くても何でもよかった。

 ナツメにもう一度会えるのなら、ナツメの笑顔が見られるのなら、何だってやれると思った。

 瑞光坊は十月が来るのを指折り数えて待っていた。

 その年の九月、父のもとに出陣命令が箕輪(みのわ)の長野信濃守(しなののかみ)より届いた。

 武蔵の国の河越(かわごえ)城を北条氏から奪い取るため、管領の上杉氏が戦を始める。上野(こうづけ)の国の武士はすべて、その戦に参加しなければならないという。

 父、下総守は、留守を一族の湯本次郎右衛門に頼んで、兄、太郎左衛門を連れて、戦に出掛けて行った。

 太郎左衛門は瑞光坊より四つ年上の十九歳だったが、新しい(よろい)を身に付けて、父親自慢の駿馬(しゅんめ)にまたがった姿は立派な武将に見えた。瑞光坊は自分も早く、兄のように戦に行きたいとうらやましそうに見送った。

 叔父の善太夫も鎧を身に付けて、父に従った。

「留守を頼むぞ」と薙刀(なぎなた)をかついだ勇ましい姿で、善太夫は馬上から言った。

 瑞光坊は叔父を見上げ、湯宿の主人でも、戦に行ける事を知って嬉しく思った。叔父はどう見ても立派な武将だった。

 叔父を見送りながら、瑞光坊はもっと、強くならなければ、と気持ちを引き締めた。

 家臣たちの多くが戦に行ってしまい、何だか、急に草津が淋しくなったように感じられたが、誰もが、今回の戦はすぐに終わって、年が明ける前に勝利を土産(みやげ)凱旋(がいせん)して来るだろうと信じていた。

 瑞光坊は善太夫の代理として湯宿の留守を守りながら、武芸の修行に励んだ。

 十月になり、河越の戦場より、八万余りの大軍で、北条左衛門大夫綱成(さえもんだゆうつなしげ)の守る河越城を包囲している。敵はわずかの三千余り、河越城が落ちるのも、すでに時間の問題との知らせが届いた。留守を守っている者たちは安心して、草津を引き上げ、冬住みの生活に移った。

 瑞光坊は浮き浮きしながら、円覚坊と一緒に旅に出た。

 小雨村から暮坂(くれさか)峠を越えて中之条に出る。中之条から吾妻(あがつま)川を渡り、榛名(はるな)山を越えて、箕輪の城下に着いた。

 関東管領上杉氏の重臣である長野信濃守業政(なりまさ)の城下だった。瑞光坊が初めて見る都と言えた。

 小高い丘の上に城があり、大通りに面して家々が並んでいる。しかも、山の中で育った瑞光坊には想像もできない程、広々としていた。

 田畑が広がり、その向こうには草原が続いている。その草原を馬に乗って走っている武士の姿が遠くに見えた。こんな広い所を馬に乗って駈けたら、どんなに気持ちいい事だろうと眺めていた。

 町の中に入ると、さらに驚いた。市場には人々が行き交い、珍しい物が色々と並んでいる。着飾った若い娘たちが多いのがやけに目に付いた。

 箕輪の城下には二日間、滞在した。山伏たちの泊まる宿坊に宿を取り、何をしているのか、円覚坊は忙しそうにあっちこっちへと行っていた。瑞光坊はする事もなく、城下をうろうろしていた。

 箕輪から、今度は管領上杉氏の本拠地である平井に向かった。

 平井の城下は、箕輪以上に栄えていた。ただ、箕輪では留守を守っている者たちが、お屋形様が戻って来るまで、何事も起こらないように、しっかりと留守を守ろうという気迫が感じられたが、平井の城下はそんな風ではなかった。管領殿を初め武将たちの多くが合戦をしているというのに、留守を守っている者たちは、のんきに遊んでいるように感じられた。昼間から酔っ払った侍が大通りをフラフラ歩いていたり、遊女屋などが並ぶ一画では、昼夜構わず、大騒ぎをしているようだった。

 平井の城下には三日間滞在した。ここでも、円覚坊は瑞光坊には何も言わず、あっちこっちへと出歩いていた。

「どこに行ってるんです」と瑞光坊が聞くと、ニヤニヤしながら、「女子(おなご)の所じゃ」と言った。

「俺も連れて行け」と言うと、「お前には惚れた女子がおるじゃろ。ほかの女子など抱いたら、その女子が悲しむぞ」と円覚坊は笑った。

「箕輪の時も女子の所に行ってたんですか」

「そうじゃ。色々な情報を集めるには女子の所に行くのが一番じゃ」

「女子の所で、情報がつかめるんですか」

「そうじゃ。ああいう所の女子はよそ者が多い。贔屓(ひいき)目なしに物が見られるんじゃ。それに女子は詮索(せんさく)好きじゃからのう。意外な事を教えてくれる事もあるんじゃ」

「それで、何が分かったんです」

「うむ。分かった事と言えばのう。ここにはいい女子が大勢いるという所かのう。まさに、この世の極楽じゃな」

「ふん、くだらん」

「まあ、最後まで聞け。その女子というのが、どうも、上方(かみがた)から来たらしい」

「上方から、この城下に?」

「そうじゃ。どうも裏があるような気がして探ってみたら、小野屋という商人が(から)んでるようじゃ」

「えっ、小野屋!」と瑞光坊は思わず叫んだ。

 小野屋の名前が、円覚坊の口から出て来るとは夢にも思っていなかった。

「おまえ、小野屋を知ってるのか」円覚坊は不思議そうに瑞光坊を眺めた。

「知ってる‥‥‥小野屋は伊勢の商人です」

「ほう。よく知ってるのう。確かに、小野屋は伊勢の商人じゃ。しかし、北条氏とつながりがある」

「北条というと、今、父上たちが戦をしている相手か」

「そうじゃ。どうも、北条氏が管領殿の武将を骨抜きにするために、この城下に女子を送り込んだらしい。現に、その女子の奪い合いで命を落とした侍もいるそうじゃ」

「小野屋は北条方だったのか‥‥‥」

「おまえ、伊勢に行くと騒いでたが、小野屋と何か関係があるのか」

「いや、関係ない」と瑞光坊は首を振った。たとえ、師匠であっても、敵方の商人の娘に惚れたなどとは言えなかった。

 平井の城下を後にして、二人は今、合戦の行なわれている河越(川越市)に向かった。

 それは物凄い光景だった。

 山の上から、その光景を目にした時、瑞光坊の口からは、ただ、「すげえ!」という言葉しかでなかった。

 敵の河越城は完全に味方の兵に囲まれていた。

 草津にいた時、味方は八万の兵で、三千の敵が守る河越城を囲んでいるとは聞いていた。聞いてはいたが、実際に八万の兵というものが、どんなものか実感はなかった。今、その兵を目の前に見て、凄いという言葉しか出て来なかった。

 いくら、味方が多いからと言っても、河越に行けば、父や兄に会えるだろう。そして、父や兄の活躍した話が聞けると楽しみにしていたが、この八万もの兵を見て、そんな事は不可能だという事が嫌という程分かった。この軍勢の中から、父や兄たち湯本家の武士を捜す事などできるわけがなかった。

「あそこが本陣じゃな」と円覚坊は指を差した。

「あそこに父上や兄上がいるんですか」と瑞光坊は聞いた。

「分からん。しかし、さすが、管領殿じゃ。これだけの兵を集められるとはのう。これだけの兵に囲まれたら、北条方もかなうまい。河越城に籠城(ろうじょう)している兵たちを助ける事もできまいのう」

「この大軍の大将が管領殿なのか」

「そうじゃ。いや、公方様もおられるはずじゃ」

「公方様とか管領殿とかいうのは、どんなお人なんです」

「公方様というのはのう。京におられる将軍様の身内でのう。関東の地を治めるために鎌倉におられた偉いお人じゃ」

「関東の将軍様の事か」

「まあ、そうじゃのう。そして、管領殿というのはの、その公方様を補佐する役目じゃ。関東の武将たちが争い事を始めた時、それをうまく裁いて、争い事が起こらんようにするのが公方様と管領殿なんじゃ。ところが、その公方様と管領殿が争いを始めたもんじゃから、関東の武士たちは二つに別れて、戦に明け暮れてしまったんじゃ。公方様は鎌倉を追い出されて、下総(しもうさ)古河(こが)(茨城県古河市)を本拠地にして、管領殿と戦をしていたんで古河公方様と呼ばれるようになったんじゃ」

「それで、公方様と管領殿は仲直りしたんですか」

「今の所はのう。公方様と管領殿が戦をしている(すき)に、小田原の北条氏が関東に進出して来たんじゃ。そこで、とりあえずは仲直りをして、北条氏を関東の地から追い出そうと、今回の戦が始まったんじゃよ」

「ふーん。それじゃあ、北条氏を追い出したら、公方様と管領殿はまた、戦を始めるんですか」

「多分のう‥‥‥立派な武将が出て来ない限り、戦が終わる事はあるまい」

「立派な武将か‥‥‥それで、この戦はもうすぐ終わるんですか」

「いや、長期戦になるじゃろう」

「これだけの兵がいるのに、どうして、すぐに攻めないんです」

「城攻めというのは容易な事じゃないんじゃ。これだけの兵がいれば、落とせない事もない。しかし、籠城している北条方も死に物狂いに攻めて来る。大勢の犠牲者を出す事になろう。勝つと分かっている戦に犠牲者を出す事もあるまい。管領殿は、敵の兵糧(ひょうろう)が無くなるのを待っているんじゃ。これだけ包囲を固めていれば、敵も城に兵糧を運び込む事はできん。あの城にどれだけの兵糧があるのか知らんが、毎日、三千もの兵が食べれば、見る見る減って行く」

「兵糧が無くなったらどうなる」

「降伏するしかあるまい。城主は切腹じゃろうのう」

「切腹か‥‥‥この戦はいつ頃終わるんです」

「そうじゃのう。来年の春頃までかかるかもしれん」

「来年の春まで、父上たちは、ここにいるのか」

「そういう事じゃ。戦の途中で抜け出す事はできんからのう」

「春まで、何をやってるんです」

「毎日、あの城を(にら)んでいるんじゃよ」

「へえ‥‥‥戦というものも大変なんだな」

「ああ。戦うばかりが戦じゃない。じっと待つ事も戦なんじゃ」

 河越の合戦場から離れ、二人の山伏は北条氏の本拠地小田原へと向かった。

 戦に勝つには、敵をよく知る事だと円覚坊は言った。敵地に行って、捕まりはしないかと瑞光坊は心配したが、山伏は大丈夫だと言う。山伏も戦に参加する事はあるが、武士とは違って自由に国々を行き来できる。それに、円覚坊は草津に住んでいるが、元々は信濃の国、飯縄(いいづな)山の山伏だった。相模の国(神奈川県)には飯縄山の信者が多く、宿坊があちこちにあって、知っている者も多いと言う。勿論、小田原にも飯縄山の山伏の拠点があった。

 小田原に来て、驚いたのは海というものだった。話に聞いた事はあっても、これ程までに大きいとは思ってもみなかった。

 海の大きさに比べたら、河越を囲んでいた八万もの大軍でさえ、ちっぽけなものに見えてしまう程だった。しかも、沖には大きな船が帆を広げて、いくつも浮かび、荷物を積んだ小船が行き来している。

 世の中は広い‥‥‥

 あんな草津の山の中にいたんじゃ駄目だ、と瑞光坊は改めて実感していた。

 小田原の城下も大きくて賑やかだった。管領殿の平井の城下よりも、ずっと栄えているようだった。松原明神の門前の市場には新鮮な海産物を初めとして、武具、茶道具、着物、焼物、書物、珍しい異国の品々までも、ない物はないという程並んでいる。唐人(とうじん)町と名付けられた町もあって、顔付きも服装も違い、言葉までも違う人々が暮らしていた。

 北条のお屋形様というのが、どんな男なのか知らないが、これだけの城下を持っているからには、立派な人物に違いないと感じた。少なくとも平井の城下の主、管領殿よりは立派な人物のように思えた。

 瑞光坊と円覚坊の二人は小田原で新年を迎えた。

 小田原に滞在して分かった事は、管領殿は駿河(静岡県)の今川義元(よしもと)と手を結んで、北条氏を挟み撃ちにしているらしいという事だった。北条のお屋形様の相模守氏康(さがみのかみうじやす)は今、駿河に出陣中で、河越城の救援には行けないらしかった。

 小田原に滞在中、瑞光坊は大通りに面して建つ『小野屋』という看板のある屋敷を見付けた。いくつもの蔵が並び、大きな屋敷だった。

 小田原の城下にこれだけの屋敷を持っているという事は、円覚坊のいう通り、小野屋は北条方の商人に違いなかった。叔父、善太夫はこの事を知っているのだろうかと不安を感じたが、それよりも、もしかしたら、ここにあのナツメがいるかもしれないと思うと、そんな事はどうでもよかった。

 瑞光坊は勇気を出して、暖簾(のれん)をくぐって訪ねてみた。

 ナツメの事を聞くのは照れ臭かったので、孫太郎の事を聞くと、孫太郎は今、伊勢の方に帰っているとの事だった。妹さんも一緒ですかと聞くと、そうだと言う。どなたですかと聞かれたので、以前、お世話になったと適当にごまかして屋敷を後にした。敵国である上野の国から来たとは言えなかった。

 小田原から箱根を越えて伊豆の国に入り、駿河の富士山を眺めながら、遠江(とおとうみ)の国(静岡県西部)、三河の国(愛知県中東部)を通り、尾張(おわり)の国(愛知県西部)の熱田から船に乗って、伊勢の国(三重県北部)に入った。

 伊勢の安濃津(あのうつ)(津市)にある『小野屋』に寄ってみたが、ナツメはいなかった。

 孫太郎もナツメも関東から、まだ戻って来ないという。

 瑞光坊が、小田原にはいなかったと言うと、小野屋の出店は各地にあるので、駿河、あるいは尾張あたりで商売をしているのだろうと言った。

 はるばると伊勢までやって来たのに、ナツメには会えなかった。

 瑞光坊は気落ちして、旅を続ける気もなくなってしまった。

「もう、草津に帰りましょう」と言うと、円覚坊は首を振った。「残念じゃな。惚れた女子には会えなかったらしいのう」

「女子は関係ない」と瑞光坊は否定したが、その口調は弱々しかった。

「そう、がっかりするな。縁があれば、そのうち、どこかで会えるじゃろう」

「縁があれば‥‥‥」

「滝の湯で出会い、善太夫殿の湯宿で再会した。縁があれば、また会えるさ」

「なければ、もう、会えないんですか」

「なければ会えんのう。会えなければ諦めるしかあるまい。他にもいい女子が現れるさ」

「いやだ。ナツメじゃなきゃいやだ」

「ほう。その女子の名はナツメというのか。名前からして、夏にならんと会えんかもしれんのう」

「もう、いい」と瑞光坊は(ふすま)(掛け布団)を被って、ふて寝をした。

 お伊勢さんにナツメとの再会を祈願(きがん)して、山伏の本場である吉野の蔵王(ざおう)堂に向かった。

 瑞光坊の足取りは重かったが、円覚坊は歩調を緩める事なく、険しい山道を平地のごとく、さっさと歩いて行った。瑞光坊は汗びっしょりになって、必死で後を追いかけた。

 吉野から北上して、奈良の都を見て、京の都に入った。

 京都には半月も滞在したが、毎日が驚きの連続だった。さすがに、将軍様と天子(てんし)様のおられる都だと感心せずにはいられなかった。

 隙間もない程に家々が建ち並び、余りにも多くの人々が暮らしている。将軍様の住む御所を初めとして、幕府の重臣たちの屋敷の立派さといったら、まるで、極楽浄土の建物のように豪華だった。贅沢の限りを尽くしている者たちがいるかと思えば、(かも)川の河原には、みすぼらしい掘立て小屋がいくつも並んで、各地から流れて来た乞食たちが大勢みじめに暮らしていた。貧富の差はどこにでもあるが、京都では極端すぎるような気がした。ただ、その河原には様々な芸人たちもいて、毎日がお祭り騒ぎのようだった。

 瑞光坊は京の都で、円覚坊から様々な遊びを教わった。

 半月はあっと言う間に過ぎ、夢の中の出来事のようだった。

 京都を後にした二人は琵琶湖を眺めながら北上し、越前(えちぜん)の国(福井県)、加賀(かが)の国(石川県)、越中(えっちゅう)の国(富山県)を抜け、信濃の国に入って飯縄山に寄り、善光寺参りをして、草津に帰って来たのは四月の初めの事だった。

 ナツメには会えなかったが、旅をして本当によかったと瑞光坊は思った。

 今回の旅で色々な物を見て、色々な事を経験して、半年前の自分とは考え方も物の見方もまったく変わったと自覚していた。

 自分の小ささを(いや)という程、感じられた旅だった。

 何か大きな事をしたい‥‥‥漠然(ばくぜん)とそう思っていた。





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