酔雲庵


酔中花

井野酔雲





30




 スピーカーから流れるモーツァルト‥‥‥

 ラーラと久美子はレストランのテーブルに座っている。

 ウェイトレスがワインを持って来て、栓を抜き、二つのグラスに注いで去って行った。

「乾杯!」とラーラ。

 ワインを飲む二人。

「おいしい」と久美子。

「この国の人はお酒が大好きなの。その中でも特にお酒好きの人が作ってるから、うまいのができるのよ」

「うん、うまいわ。でも、その作ってる人、アル中にならないの?」

「アル中になったら、お酒、作れないでしょ。お酒を飲むのも好きだけど、うまいお酒を作るのは、それ以上に好きなのよ」

 ウェイトレスが次々に豪勢な料理を持って来る。

「わあ、凄い。ねえ、これ、みんな、ただなの?」

「そうよ。ここの主人はね、うまい物を人に食べさせるのが好きなのよ」

「でも、こんな凄い料理、ただで貰ったら、何だか悪いような気がするわ」

「いいのよ。喜んで食べてあげれば」

「よし、食べよう」

 二人は料理に食らいつく。

「うまい‥‥‥おいしい‥‥‥」と言いながら久美子は食べる。

「今日のは特別だわ、最高ね」とラーラ。



 食後酒を飲んでいる二人。

「もう、おなか、いっぱい‥‥‥」と久美子は腹を押さえた。

「うん、食べ過ぎた感じね‥‥‥おじさん、おばさん、とてもおいしかったよ」とラーラは調理場に向かって言った。

「そうか、いっぱい食べたかい?」とおやじさんの返事が来る。

「うん、ありがとう」

「いや、また、おいで」

「御馳走様でした」と久美子も言う。

「ねえ、お姉さん、人間の世界って面白い?」

「面白くないわよ。みんな、こせこせとしてるわ。朝から晩まで、お金の勘定よ」

「ふうん。でも面白そうだわ。あたし、人間界に行こうかなって思ってるの」

「やめた方がいいわ。ここの方がずっと楽しいじゃない」

「平和すぎるのよ、ここは」

「一度、向こうで過ごしてみるといいわ。つまらない所だから」

「あたしもそうしたいけど、そうは行かないの。一度、ここから出ちゃうと二度と戻って来られなくなるのよ」

「だって、あなた、地上から戻って来たじゃない」

「あたしはガイドさんなの。今日も人殺しを一人、人間界に連れてった帰りに、お姉さんに出会ったの。でも、仕事だから帰って来られるけど、あたしがもし、向こうでしばらく遊んでいたら、もう帰って来られなくなるわ」

「へえ、あなたが人殺しを人間の所まで連れて行くの」

「そうよ。こんな仕事をしてなかったら、あたしだって、人間界に行きたいなんて考えもしなかったわ。でも、何回と行ったり来たりしてるうちに、何となく、あっちの方があたしに合ってるような気がして来たのよ」

「ふうん‥‥‥でも、あなた、好きでガイドさんになったんでしょ」

「そうよ。みんなは人間界っていうと気違いの集まりだとか、悪人ばかりだとかって言うけど、あたしは何となく興味があったのね。それでガイドになったんだけど、一度、あっちの世界を知っちゃうと、ますます、あっちに住みたくなるの。あたしの運命なのかしら‥‥‥人間になるのが」

「あなたなら、人間の世界に行っても大丈夫だと思うけど、一体、何するの? ここと違って、お金を稼がないと食べて行けないわよ」

「それは簡単よ。お金なんか、この体があれば、たっぷりと稼げるって聞いたわ」

「そりゃ、そうだけど。確かに、体があれば稼げるけど、あんた、自分の体を売るの?」

「うん。あたし、アレ、好きだもん。男の人を喜ばせてあげて、あたしもいい気持ちになって、お金、貰えるなんて最高じゃない」

「こんちわ」と赤ら顔の男が酒樽を抱えて店内に入って来た。酒造りの名人、六さんである。

 調理場から、太ったおかみさんと主人が出て来る。

「やあ、六さん、御苦労さん」と主人は六さんを迎えた。

「新しいのができたらしいね」

「ああ、今度のは最高だぜ」と六さんは胸を張った。「胃袋がとろける程の代物だぜ」

「おっちゃん」とラーラが声を掛けた。「さっきのワインもうまかったよ。今度のは何?」

「今度のは泡盛だ。おめえら娘っ子にはちょっと強すぎるな」

「ちょっと飲ませてよ」とラーラはせがむ。

「飲むか? 腰が抜けても知らねえぜ。旦那、ちょっとコップ、貸してくんな」

 ウェイトレスがみんなのコップを持って来る。

 コップに泡盛を注ぐ六さん。

「さあ、飲んでくれ」

「いただこうか」と主人が言った。

 みんなは泡盛を飲む。

「かあ、強い!」とラーラは眉を寄せた。

「うん、こいつはうめえや」と主人はうなづいた。

 満足そうに、みんなの顔を見ている六さん。

「ありがとうよ、六さん」とおかみさんはニコニコしながら言った。

「いや、いや、みんなが俺の酒を飲んで、いい気持ちになってくれりゃあ、俺は嬉しいんすよ」

 幸せそうな六さんの顔を見ている久美子。




忠孝5年古酒 南蛮荒焼一升甕




31




 街の中を歩いているラーラと久美子。

 両側には店が並んでいる。どの店も手作りの物しか置いてない。

「ねえ、あれ、みんな、ただなの?」と久美子は聞いた。

「そうよ」

「信じられないわ」

「欲しい物があったら、どんどん貰いなさいよ。店の人も喜んでくれるわ」

「そうね‥‥‥」

 店を覗きながら歩く久美子。

 筆が置いてある店がある。

「ここの筆は最高よ。貰って行ったら」とラーラは言った。

「どうぞ、お好きなのを選んで下さい」と店の人も言った。

「そうね」と久美子は筆を手に取って見る。そして、書道用の太筆を一本、選んだ。

「これ、いただいていいかしら?」

「どうぞ、どうぞ」と店の人は喜んで言った。

「どうもありがとう」と言って久美子は去ろうとするが、「あっ、そうだ」と言って引き返す。スケッチブックの中から一枚の風景画を切って店の人に渡した。

「お礼に、これ貰って下さい」

「ほう」と言って店の人は久美子の絵を見た。「絵画きさんでしたか‥‥‥それでは、この筆を使って下さい」と奥の方から木箱に入った筆を出して来た。

「これはわたしの自慢の筆です。ぜひ、これで絵を描いて下さい」

「えっ、いいんですか? こんな素晴らしい筆を‥‥‥」

「ええ、あなたに貰っていただきたいんですよ。これだけの絵を描くあなたに使って貰えるなら、わたしもその筆を作った甲斐があるってものですよ」

「ほんとにどうもありがとうございました」

「こちらこそ、この絵は大切にしますよ」と店の人は心から喜んで、久美子の絵を大事そうに奥の方に持って行った。

「よかったわね」とラーラは笑った。

「うん‥‥‥」と久美子はなぜか感動していた。

「見て、あれも凄いでしょ」とラーラは大理石の彫刻がずらりと並んでいる店を指さした。

「うん‥‥‥」

 店に並べてある作品に驚きながら見て歩く久美子。

「みんな凄いわね。これ全部、手作りなんでしょ」

「そうよ」

「素敵だわ。何にもわずらわされないで、自分の好きな事だけやっていればいいなんて‥‥」

「でもね、なかなか大変なのよ。みんな初めから、ああいう事をやってたんじゃないわ。色々な事をやってみて、やっと、自分が本当にやりたいっていうものを捜し出したのよ」

「でも、食べ物の心配しなくていいんだから、楽じゃない」

「そりゃあ、食べ物も着る物もみんな、ただよ。レストランに行けば、たとえ、自分が何もしないでブラブラしてても、喜んで、うまい物を食べさせてくれるわ。でも、それが毎日、続いてごらんなさい。とても耐えられないわ。自分も何かをしなくちゃって気になるのよ。そして、何かを始めたら、もう真剣よ。自分との戦いなのよ。自分が納得するまで続けて行くの」

「そうね。あたしもさっき感じたわ。こんないい筆を貰っちゃって、もっと、いい絵を描かなくちゃってね」

「そうでしょ」

 街はずれまで来る二人。

 田園が広がっている。

「どこ行くの?」

「保育園」

「保育園?」





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