酔雲庵


侠客国定忠次一代記

井野酔雲






9 てめえら、さっさと出て行きやがれ




 日光の円蔵の思惑通り、忠次が百々一家の跡目を継いだという事はあっと言う間に各地に知れ渡った。円蔵が福田屋栄次郎に頼み、大前田村の要吉親分を招待したお陰で、要吉親分のもとに出入りする旅人(たびにん)たちによって忠次の噂は各国の親分衆の間に広まって行った。

 弟の栄五郎が各国を旅しながら名を売っているので、要吉の所には各国から旅人が集まって来た。要吉もまた、やって来た旅人の面倒をよく見たので、大前田一家の評判は高く、遠方の親分衆にも知られていた。

 十七の時、人を殺して、玉村の佐重郎と栄五郎が動いた事で上州内に知れ渡った忠次の名は、百々一家の二代目を継いだ事で、渡世人たちの間では、上州以外の国にも知れ渡るようになって行った。

 百々一家の親分になった忠次だったが、子分衆は少なかった。

 三ツ木の文蔵、保泉(ほずみ)の久次郎、山王道(さんのうどう)の民五郎、茂呂(もろ)の孫蔵、八寸(はちす)の才市の五人と三下奴が保泉の宇之吉と上中(かみなか)の清蔵の二人、客人の円蔵を入れても、たったの八人だけだった。

 伊三郎と戦うには、まず、頭数を揃えなければならない。忠次は田部井(ためがい)村に行き、国定村の清五郎、曲沢(まがりさわ)村の富五郎、五目牛(ごめうし)村の千代松、田部井村の又八、国定村の次郎の五人を子分に迎えた。嘉藤太(かとうた)も子分になると言ったが、(めかけ)にしたお町の兄を子分にするわけにもいかず、兄弟分の盃を交わすに留まった。

 頭数も十五人となり、伊三郎に殴り込みを掛けようとみんなの意気は上がった。しかし、円蔵に止められた。

「戦を甘く見ちゃアいけねえよ。ただ、殴り込みを掛けりゃいいってもんじゃねえ。戦をおっ始めるからには絶対に勝たなくちゃなんねえ」

「へっ、伊三郎なんか、ぶった斬ってやるぜ」

 文蔵は自慢の手裏剣を続けざまに柱に投げつけた。文蔵が腹を立てる度に手裏剣を投げるので、その柱は穴だらけになっていた。

 円蔵は柱に刺さった手裏剣を眺めたが、顔色も変えずに、

「伊三郎を斬って、ただで済むと思ってんのか?」と文蔵に聞いた。

「なあに、伊三郎が死にゃア島村一家もおしめえよ。百々一家がそっくり、奴のシマを貰ってやるぜ」

「甘え、甘え。そんなこっちゃ、百々一家も二代目(にでえめ)で終わりだな」

「何だと? いくら、客人でも許せねえ」

 文蔵は手裏剣を握り締めて、円蔵を睨んだ。

 円蔵は文蔵を無視して話し続けた。

「伊三郎が殺されて、大勢の子分どもが黙ってるとでも思ってんのかい? おめえらが国越えしてるうちに、御隠居(ごいんきょ)は殺され、百々一家のシマは全部、島村のもんになってるぜ」

「うるせえ。代貸が殺され、先代の親分が倒れたってえのに黙ってられるけえ」

「ものには順序ってもんがあるんだ。戦に勝つにゃア、まずなア、敵をよーく知らなけりゃなんねえ。こん中に、伊三郎が今、どこで何をしてるか知ってる奴がいんのか?」

「そんな事ア知らねえや。どうせ、昼間っから、妾のケツでもなめてんじゃねえのかい」

 孫蔵と才市が顔を見合わせてニヤニヤしたが、円蔵に睨まれてうつむいた。

「敵がどこにいるかも分かんねえで、殴り込みなんかできるか。伊三郎のシマに(へえ)った途端におめえらの事はすぐに知れ渡り、逆に待ち伏せを食らって全滅するぜ」

「確かに円蔵さんの言う通りだ」と忠次が文蔵に言った。

「奴は百々一家の事をよく調べて、代貸たちを引き抜いたに違えねえ。俺たちも伊三郎の事をもっと調べなくちゃなんねえぜ」

「そうだ。忠次親分を初めとして、百々一家の連中はみんな若え、焦る事アねえんだ。着々と、しかも確実に勢力を伸ばして行くんだ。伊三郎もすぐには事を起こす事はあるめえ。各地の親分さんが今、忠次親分に注目してるのを知ってるからな。下手な事をすりゃア悪者(わるもん)になる。世間体を気にする伊三郎が向こうから手を出す事はねえ。こっちが騒がねえ限りは当分の間は大丈夫(でえじょぶ)だ。その間に、あっしが伊三郎の事を調べる。まず、地盤をしっかりと固める事が一番だぜ」

 忠次は円蔵の意見を入れ、伊三郎の事は一切、円蔵に任せる事にした。そして、伊三郎の事を後回しにして、国定村と田部井村から久宮(くぐう)一家の子分どもを追い出す事に決めた。

「その(めえ)に、まず、第一にやるべき事がある」と円蔵は皆の顔を見回しながら言った。

「唯一の賭場である伊勢屋に客を集めなくちゃならねえ」

「へっ、そんな事ア分かってらア」

 文蔵はふて腐れていた。

「何かいい策でもあるんですかい?」と忠次は期待を込めて聞いた。

「ある。ただし、銭儲けの事を考えちゃなんねえよ。あっしら渡世人は堅気の衆におマンマを食わせてもらってる身だ。堅気の衆を大切にすりゃア、客は自然と増える」

「客人は大切にしてるぜ。しかし、奴らは伊三郎の賭場の方に行っちまったのよ。どうせ、伊三郎が裏できたねえ事を仕組んだに決まってらア」

 文蔵はまだ、伊三郎殺しにこだわっていた。

「策はある」と円蔵は力強く言った。

 みんなの目が文蔵から円蔵へとそそがれた。

「今まで五()デラだったのを四分デラにする」

「四分デラだと?」

 文蔵は呆れた顔をした。

 五分デラと言うのは、勝負に勝った者から五分(五パーセント)をテラ(せん)として貰うという事だった。博奕を打つ事は幕府から禁止されていた。禁止されてはいたが、娯楽の少なかった当時、博奕をやめさせる事は不可能と言えた。博奕打ちは絶対に安全だといえる場所で、堅気の衆に博奕を楽しませ、その保証料として勝負に勝った者からテラ銭を貰い、稼ぎとしていた。境宿の絹市では大金が動き、大金を手にした客が勝負に訪れるため、市日に賭場を開けば、四、五十両の金が動き、五分デラだと二両から二両二分の稼ぎとなった。市は一月に六回あるので、一月で十二両の稼ぎになったのである。

 当時の物価は一両あれば、米が一(こく)(百升)近く買う事ができた。ちなみに一両はおよそ六(かん)五百(もん)前後で、酒一升が二百文前後、そば一膳が十五文前後、茶漬一膳が二十文前後、草鞋(わらじ)が十文前後だった。飯盛女を買う場合、揚げ代が五百文から七百文、泊まり賃が二百文、さらに酒肴(しゅこう)代として四百文取られ、合計して一貫百文から一貫三百文は掛かった。

 一月に十二両稼いだのは代貸の新五郎が健在の頃の話で、今では客が減り、その半分も稼げなかった。それなのに、四分デラにしたら、さらに稼ぎが減ってしまう。

「忠次親分の賭場は四分デラだと噂になりゃア、客は自然と集まって来る」

 円蔵は自信を持って言った。

「客は来るだんべえが、稼ぎは少ねえ」

 文蔵が文句を言った。

 民五郎がそうだと言うように文蔵にうなづいた。

「いいか、先の事を考えるんだよ。今は賭場が一ケ所しかねえが、やがては十ケ所、二十ケ所となる。そうなりゃ、テラ銭の一分くれえ、どうって事アはねえ」

「十ケ所、二十ケ所か‥‥‥そうなりゃア凄えぜ」

 富五郎が目を輝かせながら、忠次を見た。

「おめえらの力でそうするんだよ。忠次親分を天下の大親分にしてやるんだ」

「天下の大親分か‥‥‥」

 文蔵が忠次を見ながら唸った。

「うん、気にいったぜ、円蔵さんよ。おめえさんがその気でいるなら、ずっと、客人でいてくんねえ」

「そのつもりよ。それともう一つ、客を呼び戻すいい手がある」

「まだ、あんのかい?」と忠次が興味深そうに聞き、文蔵が円蔵を認めた事で、子分たちも円蔵に一目(いちもく)おいた目付きで見つめていた。

女子(おなご)に壷を振らせるんだ」

「ええっ!」と一同は驚いた。

 女渡世人の噂は時々、聞く事はあった。噂によれば、女渡世人というのは決まって、目の覚めるような別嬪(べっぴん)で、片膝を立てて博奕を打つ。博奕に熱くなればなる程、膝がだんだんと緩んでいき、男どもの視線は女渡世人の股座(またぐら)に集まり、勝負どころではなくなってしまう。また、男どもはいい所を見せようと、気前よく張っては、みんな取られてしまうという。

「賭場に出入りする女は時々、見かけるけどよお、噂のようないい女なんていやしねえ。欲の深えしわくちゃばばあか、だらしのねえ大年増だ。まして、壷を振ってる女なんて聞いた事もねえぜ」

 文蔵が、なあと言うように、みんなの顔を見回した。

「それがいるんだ。あっしも初めて見た時は驚いたが、なかなか、いい腕を持った女だったぜ」

「どんな格好で壷を振るんですか?」

 久次郎がニヤニヤしながら聞いた。

「片肌脱いで、振るのよ」と円蔵が言うと、

「おおっ!」とみんなが目の色を変えて身を乗り出した。

「片膝を立てるんだんべえ?」と孫蔵が鼻息をあらげた。

「勿論だ」

「す、凄え!」と孫蔵が叫び、他の者たちも頭の中で女渡世人が壷を振る姿を想像した。

「だがな、胸にはちゃんと(さらし)を巻いてるぜ」

「円蔵さんはその女渡世人を知ってるんですかい?」

 忠次もニヤニヤしながら聞いた。

「ああ、弁天のおりんと言ってな、女ながらも貫録のある渡世人だぜ」

「弁天のおりん‥‥‥いい名前(なめえ)じゃねえか」と文蔵もにやけた。

「でもよお、今、どこにいんのか分かんなきゃしょうがねえ」

「実を言うとな、あっしの女房なんだ」

「何だって?」と忠次が言うと、みんなもボケッとした顔付きで円蔵を見た。

「惚れちまったのよ。今、信州の松本にいる。あっしがここに連れて来るから、それまで、楽しみに待っていてくれ」

「円蔵さん、ちょっと聞くがよお、別嬪なのかい?」

 文蔵が真顔で聞いた。

「あっしが言うのも何だが、別嬪だ。まあ、ちょっと年増だがな、まだ、充分に客を呼ぶ事はできるぜ」

「そいつア楽しみだ。円蔵さん、早く連れて来ておくんなせえ」

 円蔵はさっそく信州に旅立って行った。

 境の賭場を文蔵と千代松に任せ、忠次は田部井村の嘉藤太の家を本拠地にして、久宮一家の賭場を荒らした。嘉藤太、清五郎、富五郎、又八、次郎の五人は久宮一家の横暴にじっと耐えて来たので、その暴れ振りも(すさ)まじかった。

「国定村の忠次親分が(けえ)って来たぜ。てめえら、殺されたくなかったら、さっさと村から出て行きやがれ、この野郎!」

 久宮一家の奴らを見かけると片っ端から、痛い目に合わせて追い払った。

 久宮一家は国定村の重兵衛の土蔵の中と田部井村の佐与松の家で定期的に賭場を開いていた。 重兵衛は久宮一家の子分ではなく、場所を貸していただけだったが、佐与松は子分になっていた。丁度いい具合に、その日は佐与松の家で賭場が開かれていた。

「佐与松といやア、久宮一家の客人に腕を斬られたんじゃなかったのかい?」

 忠次は思い出して嘉藤太に聞いた。

「そうさ、おめえが斬った無宿者に斬られたのよ。あの頃はたった一人で久宮一家に立ち向かう程の度胸があったんだが、久宮一家がこの村に(へえ)って来ると、情けねえ事に尻尾を振って子分になっちまったのよ。今じゃ、てめえんちを賭場にして代貸気取りでいやがる」

 見張りの三下奴を叩きのめし、土足で賭場に踏み込むと忠次は長脇差に手を掛け、

「お客人衆、お騒がせして申しわけござんせん」と小腰を屈めた。

「ただ今、国定村の忠次郎が(けえ)って(めえ)りやした。改めて、御挨拶いたしやすが、今日のとこはどうか引き取っておくんなせえ」と静かな声で言った。

 清五郎、富五郎、又八、次郎らは長脇差を抜き、佐与松たちを押さえていた。忠次の名を聞いただけで、佐与松たちは抵抗する事もなく、おびえている。客人たちが慌てて引き上げると忠次は佐与松を睨み、

「おい、久し振りだな」とニヤリと笑った。

「か、勘弁してくれ」

 佐与松はブルブル震えながら、急に泣き出した。

「こうするしかなかったんだ。命だけは勘弁してくれ、頼む」

「久宮の親分に伝えろ。今日から国定と田部井はこの忠次郎が貰ったとな」

「曲沢もだ」と富五郎が付け加えた。

「いいか。俺のシマでふざけた真似をしやがったら、ただじゃア済まねえぜ。文句があるなら、いつでも来い。相手になってやる。そう伝えろ」

「へ、へい」

「それとな、久宮の親分から御祝儀をまだ、貰っちゃアいなかったからな、こいつは貰っとくぜ」

 忠次たちはテラ銭箱を奪うと引き上げた。

「佐与松の野郎、親分の顔を見ただけで震えていやがったぜ」と嘉藤太が笑った。

「兄貴が脅したんじゃねえのかい?」

「あの生意気(なめえき)な面を見る度に、忠次親分が帰って来たら、裏切り(もん)の佐与松の首を取るって言ってたぜと脅してやったのさ。強がっていやがったが、余程、親分が怖かったとみえるぜ」

「ちょろいもんだな」と清五郎も笑ったが、このままで済むとは思えなかった。

 その夜、忠次たちは喧嘩支度をして、久宮一家の殴り込みを待ち構えた。百々村から文蔵と民五郎もやって来て、夜が明けるまで待っていたが久宮一家の殴り込みはなかった。

「奴らも諦めたんかな?」と清五郎が首をひねった。

「へっ、意気地のねえ奴らだ」と文蔵が体を伸ばした。

「夏祭りも終わっちまったからな。秋の祭りまでは黙ってんのかもしれねえ」

 嘉藤太は眩しそうに朝日を眺めた。

「秋祭りか‥‥‥」と忠次も目を細めて日の出を見た。

「とにかく、やって来たら受けて立つまでだ。それより、今日から俺たちが国定と田部井に賭場を開かなくちゃなんねえ。小せえ賭場だが、地元の旦那衆は大事にしなくちゃなんねえからな。二ケ所に賭場を開くとなりゃア人手が足んねえぞ」

「なあに、二ケ所、同時に開く事アねえ。毎日、遊びまくるほどの金持ちはこの辺りにゃいやしねえ。一月に三回づつも開けば上等だぜ」

「そうか。それなら、向こうから二、三人も連れて来りゃア何とかなりそうだな。賭場の事は兄貴に任せるぜ」

 境の賭場が二と七の日なので、国定村は四の日、田部井村は九の日に開く事に決めた。

 九月十四日、国定村の重兵衛の土蔵で、初めて忠次の賭場が開かれた。代貸は清五郎、中盆は富五郎、壷振りは又八が務めた。百々村から文蔵たちもやって来て、客の接待に当たった。噂を聞いて、あちこちの村から旦那衆が集まって来て、予想以上に賑わった。

 驚いた事に母親がお鶴と一緒にやって来た。博奕こそ打たなかったが旦那衆に、

「伜の事をよろしくお願いいたします」と挨拶をして回っていた。

 お袋の出る幕じゃねえと忠次は二人を追い返したが、わざわざ、母親が来てくれたのは嬉しかった。初日の賭場は大成功に終わり、十九日の嘉藤太の家での賭場もまずまずのできだった。

 二十二日、境の市の開かれる日、忠次は百々村に帰っていた。

 伊勢屋の賭場は文蔵に任せてあるので、忠次はようやくしゃべれるようになった隠居の紋次の相手をしていた。紋次は羽振りのよかった頃の事を懐かしく忠次に聞かせ、伊三郎なんかやっつけてくれよと涙を溜めながら言い続けた。紋次には八歳になる娘、お糸と五歳の息子、弥七郎がいて、母親と一緒に、じっと父親を見つめていた。

 新しく三下奴になった新川(にっかわ)村の秀吉(ひできち)が呼びに来たので行ってみると、八寸村の才市が息を切らせながら、

「親分、大変(てえへん)だ」と言いながら、境の方を指さした。

「何でえ、島村一家の野郎が殴り込みに来たんかい?」

「そうじゃねんです。女子(おなご)が来たんでさア」

「女子だと? 女子がどこに来たんでえ」

 忠次は辺りを見回したが、女なんてどこにもいなかった。

「ここじゃなくって賭場なんです。女渡世人てえのが、今、伊勢屋で勝負してるんでさア」

「女渡世人がか?」

「へい。それが目の覚めるようないい女子なんですよ‥‥‥文蔵の兄貴が親分を呼んで来いってんで」

「その女渡世人が俺に会いてえって言ってんのかい?」

「そうじゃねえんで。いつか、円蔵さんが言ってたでしょ。女子に壷を振らせたら、賭場に客が集まるって。だから、その女渡世人に頼んでみたらどうかって。とくかく、親分、一度、見てやってくだせえ。あんな女子が壷を振ったら、そりゃもう、境中の旦那衆が集まって来やすぜ」

「そんなにいい女子なのかい? よし、見てみるか」

 忠次が賭場に入ると女渡世人は噂通り、片膝を立てて、駒札を張っていた。反対側に座っている客たちは勝負どころではなく、女渡世人の膝の奥にチラチラと目をやっては額の汗を拭っていた。

「親分、あれは使えるぜ」と代貸の文蔵が小声で言った。

 忠次は客に挨拶をしながら、女渡世人の顔を見た。確かにいい女子だった。こんな別嬪(べっぴん)がどうして博奕打ちなんかになったのか、とても信じられなかった。

 女渡世人は予想通り一人勝ちをした。勝負を終えて帰ろうとした時、忠次は女に声を掛けた。

(てえ)した腕でございますねえ」

 女はニッコリと笑った。

「親分さんのお噂を聞いてやって参りました。場所柄、仁義は省かせていただきますが、桐生(きりゅう)町のお辰と申します。以後、お見知りおきをお願い致します」

「お辰さんですかい。百々一家を継いだ忠次郎です。せっかく、お近づきになったんだ。このまま別れるのも勿体ねえ。うちの客人になってもらえねえだろうか?」

「はい、喜んで、お伺いいたします」

 お辰は桐生の町人の娘という以外、過去の事を語ろうとはしなかった。

 この世界に入って四年目で、博奕を打ちながら各地を旅して回った。別嬪なので、どこに行っても歓迎され、身内にならないかと何度も誘われた。その度に首を振って断って来たが、そろそろ旅にも疲れ、どこかに落ち着きたいと思うようになっていた。しかし、気に入った親分は見つからないし、落ち着くべき場所も見つからなかった。

 足は自然と故郷に向かい、上州に入った途端に忠次の噂を聞いた。親分はまだ二十一歳、子分たちもみんな、三下のような者ばかりだが、百々一家を継いで頑張っている。忠次の後ろには大前田村の栄五郎を初めとした大親分が後押ししているので、今に立派な親分になるに違いないという噂だった。

 二十一といえば、自分と同じ年、そんな若さで親分になったとは、どんな男なのかと一目見たくてやって来た。お辰は忠次を初め若い子分衆に囲まれ、自分の落ち着く場所はここだと感じた。忠次が壷振りの件をお辰に頼む前から、お辰の方から子分にしてくれと言って来た。

 忠次は喜んで、子分にした。なぜか、一番、喜んだのは文蔵だった。文蔵は(がら)にもなく照れながら、お辰に一目惚れしちまった、とこっそり忠次に告げた。

 子分になったお辰は翌日より壷振りの稽古に励んだ。一度、やってみたかったとお辰も乗り気だった。文蔵が柄にもなく、くそ真面目な顔をして教えていた。

 お辰が子分になった二日後、円蔵が女房の弁天のおりんを連れて帰って来た。二十五歳と年増だったが、おりんもまた別嬪だった。

「あら、お若い親分さんだこと。噂はうちの人から聞いたわ。立派な親分さんにお成んなさいね。自慢じゃないけど、あたしが壷を振れば、今までの倍は稼げるわよ」

「その事なんですけど」と忠次はお辰の事を話した。

「ほう、うめえ具合にそんな女子が現れたか。そいつは都合がいい」

「都合がいい?」

「ああ、おりんはこの辺りじゃ顔が知られていねえ。できりゃア、島村一家の偵察をして貰おうと思ってたんだ。敵も女子には油断する。伊三郎の代貸たちの所を流れ歩いて、向こうの情報を集めて貰おうと思ってたんだよ」

「成程‥‥‥」

「お辰という女子が来たんなら、壷振りはお辰にやって貰おうじゃねえか。そうだ、こいつはいいぞ。お辰が評判になりゃア、伊三郎も対抗して女子に壷を振らせたがる。そんな所におりんが現れりゃア、伊三郎の奴はおりんに飛びつくぜ。伊三郎の近くにいりゃア、予想外な情報をつかめるかもしれねえ」

「そいつは確かにいい(かんげ)えだが、おりんさんが伊三郎んとこで壷を振ったら、こっちに勝ち目はねえ」

「いや、そうとは限らねえ。お辰のためにもいい修行になる。女子が壷を振ってるだけでも客は集まる。それじゃア壷振りとして、いつまで経っても上達はしねえ。一流の壷振りに育てるにゃア、競争させた方がいいんだよ」

「しかし、お辰にできるかな」

「なあに、あたしがしっかり仕込んでやるよ。一人前になったのを見届けてから、あたしが伊三郎の所に行きゃいいのさ」

「お願いします。みっちり仕込んでやって下さい。ところで、どうして、弁天のおりんと言うんですか?」

「いわれはあるんだけどね、若い時分の恥ずかしい話さ」

 円蔵が説明してくれた。おりんは博奕打ちに成り立ての頃、勝負に負けてオケラ(文無し)になってしまった。悔しくてそのまま帰る事ができずに、襦袢(じゅばん)姿になって着物を賭けた。それでも負けて、ついに素っ裸になって襦袢と腰巻を賭けた。運が巡って来たのか勝負に勝って、着物を取り戻し、さらに十両勝って、意気揚々と引き上げた。その時の事が噂に上り、裸弁天のおりんと呼ばれるようになった。自分で名乗る時、裸弁天では恥ずかしいので弁天のおりんと名乗っているという。

「賭場で素っ裸になったんですか?」

 忠次はその度胸に呆れた。

「そんな事をしたのは、そん時だけよ。どうしてあんな事をしちゃったのか、今思うと恥ずかしいわ」

「あっしもその噂は聞いていてな、旅先で、おりんと会った時、凄え女子だと思ったよ。もう一度、裸にしてみてえと思って勝負したんだが、あっしの方が裸にされちまった。悔しかったねえ。まあ、結局、諦めきれなくてな、女房にしたってわけだ」

「俺もおりんさんの裸を拝んでみてえな」と忠次は笑った。

「やだよ、親分さん。からかうんじゃありませんよ」

 おりんによって、お辰の特訓が始まった。文蔵は面白くなさそうだったが、おりんの壷振りの腕を見たら、おりんに任せるより他なかった。それでも、文蔵は木崎の女郎屋通いをきっぱりとやめて、お辰から目を離さなかった。

 十月の七日、お辰は伊勢屋の賭場で初めて壷を振った。客たちは女の壷振りに驚き、あっと言う間に町中の噂となった。賭場は客で溢れ、いつもの倍以上の稼ぎがあった。うまく行ったと百々一家は大喜びをした。

 それから十日後には国定村の赤城神社の秋祭りがあった。

 忠次は神社の境内に堂々と賭場を開いた。その場所は忠次が子供の頃から毎年、久宮一家が賭場を開帳していた場所だった。必ず、久宮一家がやって来るだろうと、忠次は子分たちに武装させて警戒した。しかし、騒ぎが起こる事はなかった。

「どうなっちまったんでえ? 久宮一家にゃア度胸のある奴はいねえのかい」

 百々村から助っ人に来ていた文蔵が吠えた。

 一度ならず、二度までも肩透かしを食らい、久宮一家に馬鹿にされているように思え、腹立たしかったが、その気持ちをぶつける相手はいなかった。

「そうじゃねえ」と忠次は文蔵をたしなめた。

「俺たちが勝手に一人芝居をしてたようだぜ。俺たちにとっちゃア国定と田部井は重要な本拠地だが、久宮一家にとっちゃアどうでもいいシマなんだ。たまたま博奕好きの旦那衆が何人かいるんで、賭場を開けば稼ぎにゃなるが、どうしても必要なシマじゃねえ。喧嘩して血を流してまで、勝ち取る程の値打ちはねえって事よ」

「それは言えるな」と嘉藤太もうなづいた。

「久宮一家は(あかがね)街道をシマに持ってる。村祭りの賭場が一つや二つなくなったってどうって事アねえ。ただな、忠次親分、おめえさんが出て来たから、久宮一家も手を引いた事は確かだぜ。俺たちだけだったら、こんなうまくは行かねえ。必ず、仕返(しけえ)しされたに違えねえんだ」

「まだ油断はできねえが、喧嘩支度は解いた方がよさそうだな。俺たちがいつまでも、こんな格好でいたら、せっかくの祭りも(でえ)なしだ。堅気の衆に申しわけねえ」

「出入りがねえんなら、俺ア帰るぜ」

 文蔵はお辰のいる百々村にすっ飛んで行った。

 初めて、忠次が采配した祭りの賭場も無事に終わった。ここでも忠次は四分デラで通した。久宮一家は祭りでは六分のテラ銭を取っていたので、忠次の四分デラは歓迎され、客たちは大喜びだった。

 祭りの後片付けも済み、嘉藤太の家に帰ると血だらけになった佐与松が土間に座り込んで待っていた。

「この野郎、久宮の親分に盃を(けえ)して来たらしいぜ」と嘉藤太が言った。

「ほう、それで半殺しの目にあったんか?」

 清五郎が顔をしかめた。

「おめえにこんな度胸があったとは驚きだぜ。どうして、また、盃を返したんでえ?」

 富五郎がしゃがみ込んで聞いた。

「早く手当をしてやれよ」と忠次は上がりかまちに腰を下ろした。

「それが、親分に言いてえ事があるからって、座り込んじまったんだ」

「何でえ、言ってみねえ」

「へい、久宮の親分からの言伝(ことづて)で‥‥‥国定村と田部井村は忠次親分に御祝儀として差し上げると‥‥‥」

「久宮の親分がそう言ったのか?」

 佐与松は苦しそうに顔を歪めながら、うなづいた。

「そうか‥‥‥久宮の親分も粋な事をするじゃねえか」

「それと‥‥‥」

「まだ、あんのか?」

「俺を、俺を親分の子分にして下せえ」

「こんな目に会わされたんだ。俺からも頼むぜ、親分、子分にしてやってくれ」

 嘉藤太が言うとみんなも賛成して、忠次を見た。

 忠次はうなづいた。

「ありがてえ」と佐与松は言ったが、それきり、気を失ってしまった。

 久宮一家との事もケリが着き、忠次は安心して、お町の家に向かった。

 お町は嘉藤太の家に住んでいたが、忠次が嘉藤太の家を本拠地にしたため、子分たちの出入りが激しくなり、また、賭場も開かれるようになると、お町が落ち着く場所がなくなってしまった。そこで、近くにあった空き家を借りて、そこに移る事になった。こじんまりとした家だったが、お町は忠次と所帯を持ったような気になり、嬉しくもあった。

 お町は子分たちに姐御(あねご)として紹介された。文蔵を初めとして、初めて、お町を見た子分たちはみんな、お町の美しさにしばし呆然とし、こんな女をものにするとは、さすが、親分だと改めて見直していた。子分たちは姐さんのためなら何でもすると言って、台所仕事を手伝ったり、掃除洗濯と小まめに働いた。お町も皆から姐さんと慕われ、いい気分だった。

 忠次が帰ると、新しく入った三下奴の浅次郎が庭で槍を突いていた。忠次の顔を見ると慌てて、

「親分、お帰りなさい」と腰を屈めて頭を下げた。

「おう。相変わらず、励んでるな」

「はい」

「そいつでお町を守ってやってくれよ」

「それはもう、俺の命に代えても姐さんはお守りします」

 浅次郎は下植木村の板屋根職人の伜で、まだ十五歳だった。

 四年前、忠次が久宮一家の客人を斬った時、嘉藤太の家で留守番していた小生意気なガキだった。勘助が堅気になった後も嘉藤太の家に出入りし、お町が嘉藤太の家に移って来てからは、お町のために使い走りをやっていた。忠次が百々一家の跡目を継ぐと子分にしてくれと言って来たが、まだ、若すぎると忠次は断った。しかし、浅次郎は諦めず、お町の口添えもあって三下奴にする事となった。よく気が利く子だと、お町のお気に入りで、そのまま、お町の使い走りとして置いていた。

「ようやく、枕を高くして寝られそうだぜ」と忠次はお町の膝に頭を乗せて横になった。

「久宮一家と話がついたの?」

 お町は忠次の濃い髭跡を撫でていた。

「直接、話をつけたわけじゃねえが、佐与松がつけてくれたらしい」

「へえ、あの佐与松さんが?」

「ああ、血だらけになって、俺の子分になりてえと言いやがった」

「そう‥‥‥でも、佐与松さん、あまり評判よくないわよ」

「どうしてだい?」

「なんでもイカサマをやるとか‥‥‥」

「なに、奴はイカサマをやんのか?」

「よく知らないけど、そんな噂よ」

「そうか‥‥‥俺はイカサマは絶対に許さねえぜ。まあ、しばらく、様子をみた方がよさそうだな」

「ええ、あまり、信用できる男じゃないわ」

「親分が子分を信用できねえようじゃ、一家は成り立たねえ。子分にしちまったんだ。信用してみるしかねえ」

 お町に家を持たせて、我が家のように帰って来ていたが、本妻のお鶴の事を忘れたわけではなかった。祭りの時はちゃんと実家に帰ってお鶴と会っていた。弟の友蔵も十七歳になり、すでに嫁を貰って、一家の主らしくなっていた。忠次は折りを見て、弟に家督を譲り、家族に迷惑を掛けないように自分は無宿者になろうと決めていた。

 お鶴はお町の事を知りながらも何も言わず、帰ればちゃんと亭主として迎えてくれた。そんなお鶴がいじらしくもあり、忠次としてもお鶴を本妻のままにして置きたかった。子分たちが実家に出入りする事は稀だったが、子分たちもわきまえて、お鶴の事を姐さんとは呼ばずにおかみさんと呼んでいた。

「急に黙り込んで、どうしたのよ。お鶴さんの事を考えてたんでしょ?」

 お町が忠次の顔を覗き込んだ。

「いや、そうじゃねえ‥‥‥文蔵とお辰の事を考えてたんだ。文蔵には世話になったからな、俺たちみてえに、あの二人もうまく行ってくれりゃアいいと願ってんだ」

「文蔵さんはあんたの兄貴分だったんだもんね。今はすっかり、子分になっちゃって‥‥‥ほんとね、うまく行けばいいのにね」

「お辰も(てえ)した女子だぜ。お辰の事が噂になってな、伊三郎の賭場には客がいなくなっちまったのよ。伊三郎の奴、慌てて、そこらの素人娘に壷を振らせたんだが、うまく行かねえ。修行を積んでねえ娘っ子じゃ、やっぱり、賭場が締まらねんだな。これじゃア、まともな勝負はできねえって、いい客にゃア逃げられるし、娘みたさの冷やかしの客は集まって来るしで散々な目にあったらしいぜ」

 忠次は急に頭を上げると、

「おい、おめえ、ちょっと、壷を振る真似をしてみねえ」とお町の膝をたたいた。

「なによ、急に。あたし、そんなの知らないわよ」

「こうして、片膝立てて片肌を脱ぐんだよ」

「やだ、そんなの恥ずかしいわ」

「誰も見てるわけじゃねえ」

「だって、片肌脱いだら、おっぱいが出ちゃうわ」

「ちゃんと胸に(さらし)を巻いとくんだ。見えやしねえ」

「あたし、そんなの巻いてないもの」

「ちょっと、片膝だけでいいからよお、やってみてくれよ」

「こう?」とお町は片膝を立てた。

 忠次は盆茣蓙(ぼんござ)の距離だけ離れて、お町の向かい側に座ってみた。

「ちょっと膝を開いてみろ」

「いやよ」と言いながらもお町は少し開いてみせた。

「うむ、見えそうで見えねえな。だが、目の前にそんなのがチラついてりゃア、確かに勝負にゃなんねえ」

「これなら、どう」とお町は調子に乗って、さらに開いた。

「そこまで開きゃア丸見えだア。観音さんを拝ませてもらえりゃア、たとえ負けても腹も立つめえ。しかし、そこまで行ったら、ただの見世物(みせもん)だ。渡世人の笑い(もん)になっちまうぜ」

「難しいのね」

「ああ、賭場は勝負場だ。引き締まった雰囲気ってえもんが必要なんだ。女子に壷を振らせて客を集めりゃいいってもんじゃねえ。まあ、おめえにゃア壷振りは向かねえな」

「そんなの、あたしにできるわけないじゃない。博奕だって知らないのに」

 お町は膝を直すと着物の裾を直した。

「なあに、おめえは姐さんとして、着飾って座ってりゃアいいのさ。そのうち、でっけえうちを建ててやるからな」

 忠次はまた、お町の膝枕に頭を乗せて、横になった。

「本当?」とお町は忠次の手を握った。

「本当さ」

「どこに建てんの?」

「どこって、この辺さ」

「国定村じゃいやよ、田部井村にして」

「そうだな、こっちの方がいいかもしんねえな。それより、境の町中に建てるってえ手もあるぜ。この先、縄張りを広げて行きゃア、どこだって好きな所に建てられるさ。まだ先の事だけどな、いい場所を見つけといてくれ」

 忠次は久し振りにのんびりとくつろいでいた。









国定忠次一代記の創作ノート

1.国定忠次の年表 2.『群馬県遊民史』より 3.『上州路』より 4.『東村誌』より 5.『大前田栄五郎の生涯』より 6.お鶴・お町・お徳・お篠・お貞の略歴 7.百々村の紋次の略歴 8.大前田栄五郎の略歴 9.日光の円蔵の略歴 10.島村の伊三郎の略歴 11.三ツ木の文蔵・国定の清次郎・五目牛の千代松の略歴 12.木崎宿の左三郎・木島の助次郎・三室の勘助の略歴 13.『やくざの生活』」より 14.『日本侠客100選』より 15.「侠客国定忠次一代記」のあらすじ、主要登場人物、忠次の生きた時代背景




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