酔雲庵


草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし

井野酔雲






捕物




 いい天気だった。久し振りに、お天道(てんとう)様が顔を出し、すがすがしい朝だった。

 一九は伝説の平兵衛池に行けると張り切っていた。月麿も夢吉の気分を変えるために、山歩きするのもいいと喜んでいる。

 桐屋の芸者衆を連れて、みんなで行くつもりだったが、鬼武と善好が急に帰ると言い出した。すると、都八と長次郎の兄弟も一緒に帰ると言う。一九が一日延ばせばいいと言っても聞かなかった。朝飯を食べると鬼武たちはさっさと荷物をまとめて帰り支度をした。一九たちは新三郎、おかよ、お島と共に鬼武たちを村外れの白根明神まで見送りに出た。

 主人の安兵衛は今朝早く、山崎屋の妾、お菊が殺された事件を報告するために岩鼻(いわはな)の代官所に出掛けて行って留守だった。

 都八はおかよと、長次郎はお島と悲しい別れを告げていた。鬼武は桐屋の春吉に、善好は矢場のお富によろしく伝えてくれと青空の下、江戸に帰って行った。

 残った一九、京伝、津の国屋、月麿、夢吉はそのまま桐屋に向かい、新三郎は父親の代わりに蟻の門渡りへ相模屋の捜索に出掛けて行った。

 昨夜、相模屋だと思っていた死体が山崎屋だとわかった。相模屋が生きている可能性もあるが土砂の中に埋まっている可能性もないとは言えない。源蔵親分の子分たちが宿屋を片っ端から当たって相模屋を捜し回り、源蔵親分は昨日に引き続き、蟻の門渡り一帯の捜索を続ける事になった。

 桐屋に行くと梅吉、春吉、豊吉、麻吉、おさのが酒と弁当を用意して待っていた。鬼武が江戸に帰った事を知らせると春吉はがっかりとうなだれた。それでも、天気がいいから一緒に行く事になり、地元のおさのの案内で一行は平兵衛池へと向かった。

 平兵衛池へは蟻の門渡りを通り、香臭(かぐさ)から(よし)(だいら)へと向かい、途中で右に曲がり常布の滝の上流を渡って湿原を抜けて行く。山の中の静かな沼で、春には山菜が豊富に取れるという。

 昔、湯本平兵衛の十七歳になる美しい娘が五月の半ば、女中たちを引き連れて(わらび)狩りに出掛けた。とある綺麗な沼のほとりで一休みした時、お嬢様は喉が渇いたので、水を飲もうと沼に近づいた。水を汲もうとした時、突然、青空が雲に覆われ、薄暗くなって来たと思ったら雨がポツリポツリと降って来た。

 女中たちは驚いて雨宿りができそうな木陰へと逃げ惑う。見る間に雨は激しくなり、雷光がきらめき、雷鳴が鳴り響く。女中たちは悲鳴を挙げて木陰に固まった。

 辺りはすっかり暗くなり、沼は黒く不気味な波を高く上げている。この世の終わりかと思う程の恐ろしい光景が小半時(こはんとき)(約三十分)も続いたろうか。ようやく、雨も小降りとなり、黒雲も流れ去り、日が差して来た。女中たちはホッと胸を撫で下ろし、皆、助かったと喜びあった。ところが、お嬢様の姿が見当たらない。

 さあ大変と女中たちは青くなって捜し回る。お嬢様はどこにもいない。さては沼に沈んでしまったのかと嘆いていると沼の中央が明るく光り出した。その光から波紋が広がり、波が(みぎわ)に打ち寄せた。すると沼の中央から龍が現れた。龍は女中たちを見下ろし、お嬢様の声で、わたしはこの沼の(あるじ)になりました。おまえたちも悲しまないで、早く帰って二親(ふたおや)に知らせて下さいと言ったという。以来、平兵衛池と呼ばれている。

 一九たちはのんびりと馬鹿話をしながら、谷沢川に掛かる吊り橋を渡り、蟻の門渡りへと向かっていた。久し振りの天気なので、常布の滝を見に行くのか、崖崩れを見に行くのか湯治客も何人か歩いている。吊り橋の手前にも菅笠(すげがさ)をかぶった旅支度の男が二人と女が一人、白く(にご)っている川を眺めながら一休みしていた。これから信州に帰る人たちらしい。

 一九たちがキャーキャー騒ぎながら橋を渡った後、手拭いを頬被りにした遊び人風の男が一人、懐手(ふところで)のまま橋を渡った。

 橋を渡った後、急坂を登ると、後はだらだら坂が蟻の門渡りまで続く。一九は昨日も一昨日もこの道を歩いていた。相変わらず、泥んこ道で歩き辛いが、青空の下を歩くのは気分がよかった。

 女たちの足に合わせて、のんびり歩いても半時(はんとき)(約一時間)程で蟻の門渡りに着いた。右も左も崖の危険な細い道がしばらく続く。おさのを先頭に、京伝、梅吉、春吉、津の国屋、豊吉、夢吉、月麿、麻吉と続き、最後に一九が歩いた。少し離れて、遊び人風の男が一人、そして、吊り橋で休んでいた旅人たちが続いていた。

 崖崩れがあったのは蟻の門渡りの出口付近だった。今日も若い者たちが土砂を掘り返している。泥だらけになっている新三郎の姿もあった。芸者たちが通ると若者たちが作業の手を休め、声を掛けて来た。芸者たちも馴染みの若者たちに声を掛ける。笑い声も巻き起こり、死体が発見された現場だという事を一瞬、忘れさせた。

 殿(しんがり)を歩く一九が源蔵親分に目配せをした。親分はうなづき、十手を懐から出すと道をふさいた。一九たちの後ろから来た遊び人風の男が立ち止まった。

「御用だ。神妙にしろ」

 親分が叫ぶと遊び人風の男は慌てて、後ろに引き下がった。後ろからは旅人たちがやって来る。遊び人風の男は懐から匕首(あいくち)を出すと旅人目がけて走りだした。

「どけ! どきやがれ」

 旅人たちは慌てて逃げ去るに違いないと遊び人は思った。が、そうはならなかった。以外にも旅人は逃げる事なく道をふさいだ。

「おい、さっさとどかねえか。てめえら、谷底に突き落とされてえのか」

 遊び人は匕首を振り回し、旅人めがけて突き進んだ。旅人は驚くわけでもなく、無表情に持っていた(つえ)を振り上げた。

 あっと言う間だった。遊び人の手から匕首が飛び、光りながら谷底に落ちて行った。そして、何がどうなったのかわからないが、遊び人は右手を押さえながら転がっていた。すかさず、源蔵親分が駆け寄って早縄(はやなわ)を掛けた。

「相模屋清五郎だな」

 親分が聞くと、遊び人は苦痛に歪んだ顔をしながらうなづいた。

 杖を振り回した旅人が遊び人の頬被りをむしり取った。

 津の国屋が顔を覗き込み、

「間違えねえ、相模屋だ」と確認した。

「それにしても、おめえ、何てえ事をしちまったんでえ」

「わりとあっけなかったな」と旅人は笑った。

 その顔は鬼武だった。一緒にいたのは善好と矢場の女、お富だった。その後ろに都八と長次郎の顔もある。さらに、その後ろには散歩に出た湯治客に扮した藤次と源蔵の子分、彦八と松吉もいた。

 すべて、相模屋を誘い出す作戦だった。昨夜、相模屋の死体が山崎屋だとわかった時、一九と京伝は安兵衛と源蔵に相談して、大騒ぎすると相模屋が逃げてしまうので、誘い出した方がいいという事になった。それで、鬼武たちは江戸に帰る振りをし、先回りして一九たちを持っていたのだった。

 縄で縛られた相模屋は香臭の茶屋に連れて行かれ、何もかも自白した。




 河内屋は商人なんかじゃねえんだ。ただの遊び人さ。よくは知らねえが、大坂じゃア上州無宿(むしゅく)、眠り猫の半次と言やア、泣く子も黙る一端(いっぱし)博奕(ばくち)打ちなんだそうだ。

 俺とあいつは幼馴染みで、上州吾妻郡(あがつまごおり)の中之条で生まれたんだ。天明三年(一七八三年)の七月、俺たちが十歳の時、浅間山が噴火しやがった。畑が潰れちまって、生活が苦しくなって、十七の春、俺たちはうちを飛び出し、江戸に出たんだ。

 江戸に行ったって知辺(しるべ)があるわけじゃアねえ。貧しいその日暮らしが毎日、続いた。まったく、惨めなもんだった。

 江戸に出て二年目の七月だった。江戸で大火事が起こったんだ。俺たちが住んでた裏長屋も焼け、俺たちは逃げ惑った。炎と煙りに追われ、逃げ込んだ所がとある大店(おおだな)の商家だった。店の者は皆逃げちまって誰もいなかった。余程、慌てたとみえて、転がってた手文庫の中に金が残っていた。それもはした金なんかじゃなく、一()銀の切餅(きりもち)が四つもあった。しめて百両という大金だ。半次の奴は天からの授かり物だからいただこうと言ったが、俺は泥棒の真似なんかできねえと断った。どうせ、燃えちまうんだから貰うべきだと半次は言う。言い争ってる内にも炎と煙りは迫って来る。俺たちは切餅を奪って逃げ去った。

 半次は山分けした五十両を持って江戸を去って上方へと旅に出た。俺は五十両を元手に行商を始めたんだ。幸い、切餅を盗んだ商家から金を盗まれたという噂は立たなかった。

 俺は無駄遣いする事なく、一生懸命に働いた。そして、難波町(なにわちょう)の酒屋、相模屋の旦那に真面目さを買われて、一人娘のお千代の婿(むこ)に迎えられたんだ。お千代は美しい娘だった。俺は相模屋の跡取りとして真面目に働き続け、幸せな日々が続いた。やがて、男の子が生まれた。相模屋の旦那も大喜びだった。その子が六歳になるまで、何の問題もなく、俺は頼りになる若旦那として暮らしていた。

 その年、四月頃より麻疹(はしか)が流行したんだ。俺の一人息子も麻疹に(かか)っちまった。できる限りの手当をしたんだが、その甲斐もなく、五月の末に、ついに亡くなっちまった。

 息子が麻疹に罹って苦しんでる時、うちの奴は芝居見物に行って遅くなって帰って来やがった。俺はお千代を責め、息子を失った悲しみを紛らわすために遊び歩くようになった。そして、深川で夢吉と出会ったんだ。俺は夢吉に夢中になった。毎日、通い詰めて、一年後に夢吉を身請けして向島の寮に囲った。お千代には内緒だった。

 息子を亡くしてからのお千代は俺と父親に責められた腹いせか、さらに芝居の世界に熱中して行った。贔屓(ひいき)の役者を茶屋に呼んでは大騒ぎしてたんだ。世間(てえ)のため表面は仲のいい夫婦を装ってたが、実際、夫婦仲はすっかり冷え切っていた。

 お千代は俺が夜遅くまで遊んでても、朝帰りしても知らん顔だった。俺はそれ幸いと深川や吉原で遊んでたと言い訳しては向島の夢吉の所に通っていた。

 夢吉を囲ってから二年半ばかり経った文化三年の十一月、葺屋町(ふきやちょう)河岸(がし)から出火した火事で中村座も市村座も焼けちまった。その時、相模屋も焼けちまったんだ。幸い、土蔵が無事だったんで翌年の春には再建する事ができた。しかし、夢吉を向島に囲ってる事がお千代にばれちまった。俺の遊びなどまったく知らん顔だったくせに、お千代の奴、妾を囲ってたなんて許せねえと向島に駆け込み、夢吉と大喧嘩になった。あいつはその後も何度か、向島に行っては夢吉と喧嘩をしたようだ。

 俺としてはお千代と別れて夢吉と一緒になりたかった。でも、今更、相模屋から出るわけには行かなかった。俺はお千代をなだめながら、夢吉との関係を続けた。どうやら、お千代の奴もうちの若え番頭と浮気をしてたようだ。

 その年の八月、深川の八幡様の祭りの時、あまりの人出で永代(ええたい)橋が落ちた。溺死者が五百人余りも出た、その中に義父(ちちおや)がいたんだ。義父が亡くなり、俺は正式に跡を継ぐ事になった。相模屋の(あるじ)として俺は夢吉を妾として囲い続けるとお千代に言い切った。あいつは怒って馴染みの芝居茶屋に俺の悪口を言い触らしたんだ。芝居茶屋は昔から、うちのお得意さんだった。お千代のお陰で取り引きを中止する芝居茶屋が続出して、相模屋の身代(しんでえ)は見る見る細って行った。このまま行ったら相模屋は潰れちまう。今のうちに相模屋の身代を持ち出し、夢吉とどこかに逃げようかなどと考え始めた。でも、実行には移せなかった。

 そんな頃、大坂に行っていた半次の奴が十五年振りに江戸に戻って来たんだ。見るからに遊び人てえ格好(なり)で現れたあいつは昔の火事場泥棒の事を持ち出して俺を威し、金をゆすりやがった。その後も半次は何度もやって来た。そんな格好で出入りされたら困るんで、河内屋という上方の商人を名乗らせ、それなりの格好をさせた。奴もそいつが気に入ったとみえて、うちに来る時は河内屋で通してくれた。

 今年の四月二十四日の夜、裏長屋からの出火で相模屋はまた全焼しちまった。その時、土蔵の戸前が開いてたため、土蔵の中の家財道具もみんな、燃えちまった。奴は違うと言い切ったが、あれは半次の仕業に間違えねえ。あの時、蔵の中には千両箱があったはずなんだ。もしかしたら、半次の奴、お千代とぐるになって千両箱を盗んだのかもしれねえ。その事を聞き出す前に奴は死んじまった。

 無一文になった俺はお千代と義母(ははおや)を親戚に預け、金の工面に走り回りながら、いつ、夢吉と逃げようかと考えてた。しかし、「一生、逃げ回るつもりなのか」と半次に言われて、俺は考えた。親戚の者たちに追われて、いつか捕まっちまうに違えねえと思った。何かうめえ方法はねえものかと考えた末、自分を殺して別人になればいいと考えついたんだ。

 そんな時、夢吉が勝手に草津に行っちまった。お千代が夢吉のうちに殴り込んで、狂ったように出て行けと言ったらしい。俺は集めた金を持って、半次と一緒に草津に向かった。中沢善兵衛に泊まっている夢吉を見つけ、何度も会って、どこかに逃げようと誘ったんだが夢吉はいい返事をしなかった。お千代の奴がある事ねえ事を言い触らしたせいか、俺の言う事を聞こうともしねえんだ。

 そのうち、夢吉がどこかに消えちまった。捜し回ったがどこにもいねえ。半次の野郎はいい気になって毎日、遊んでいやがる。このままだと、せっかく集めた金もすぐになくなっちまう。もう江戸には戻れねえし、早く、自分を殺して、別人にならなけりゃならねえと焦って来た。

 雨が上がった三日前、俺と半次は白根山に登った。途中で行方知れずになったように(よそお)うつもりだったんだ。蟻の門渡りまで来た時、谷底を覗いて、ここで足を滑らせて落ちた事にしようと考え、さらに先へと行った。結局、白根山へは登らず、途中で引き返して来た。蟻の門渡りよりもいい場所は見つからなかったんだ。あそこなら草津から近えし、俺たちが落ちた事が見つかりやすいだろうと山を下りた。途中で大雨に降られ、香臭の茶屋で雨宿りをしたが、雨がやむ気配なんかまったくねえ。そこで、諦めて雨ん中、蟻の門渡りに向かったんだ。

 足を滑らせて落ちたように見せかけようと細工をしてる時、みすぼらしい乞食が二人やって来た。乞食たちも驚いたらしい。こんな所に人がいるとは思っていなかったらしく、立ちすくんでいた。一人は女乞食で、襤褸布(ぼろきれ)を手足や首に巻き付けていたが、顔は予想外に綺麗だった。大きな目をして、俺たちをじっと見つめていた。俺は二人が行き過ぎるのを待とうとしたが、半次はいい考えが浮かんだと言って、石を手にするとすぐさま、乞食の男を殴り倒しちまった。悲鳴を上げた女乞食の腹を殴って気絶させると、

「こいつをおめえの身代わりにすりゃアいいわ」と言って笑いやがった。

「持って来た物を散らかして、落ちた振りなんかするよりも、ほんまもんの(ほとけ)があった方がいいぜ」

「殺しちまったのか」と俺は乞食の男に近づいた。

 男は頭から血を流して死んでいた。

「なアに、乞食なんか殺したってわかりゃアしねえ。誰も騒ぎゃアしねえわ」

「しかし‥‥‥死体(してえ)が一つじゃ具合が悪いだろう。おめえの身代わりはどうするんだ」

「大丈夫だ。二人がいつまで経っても宿に帰らなけりゃア、宿屋の方で騒ぎ出す。そして、ここでおめえの死体が上がりゃア、俺の死体もあるに違えねえと捜す。ところが、見つからねえ。狼や熊に食われちまったんだろうってんで落着(らくちゃく)さ」

 俺もそうだなと同意し、乞食を裸にして自分の着物を着せ、あらかじめ用意して来た遊び人風の格好に着替えた。

「このままじゃ人相が違う」と半次は再び、石をつかむと男の顔をメチャメチャにつぶした。

 平気な顔をして、死人の顔をつぶす半次を見ながら、俺は恐ろしくなって来た。もう、昔の半次じゃねえ。こんな奴に付きまとわれたら、夢吉と逃げたとしても一生が台なしになっちまう。このまま、奴を谷底に落としちまおうと思ったが、俺には人殺しはできなかった。半次は平然と俺の身代わりを谷底に投げ捨てた。

「その女はどうする」と俺は半次に聞いた。

 半次はニヤニヤしながら、

「ここに捨てるわけにゃアいかねえわな」と言うと気絶している女乞食の身ぐるみを剥がし始めた。

 腕に巻き付けてある襤褸布を剥がしたが肌に異常はなかった。首も足もどこにも異常はなく、まともだったんだ。

「見てみい。綺麗なもんじゃアねえか。この女はかってえなんかじゃねえ」と半次は着物も脱がせて裸にした。

 身体中、どこにもできものや、ただれなどなく、絹のような真っ白な肌をしていた。

「こいつアたまらねえ。悪さされねえようにかってえを装ってたに違えねえ。見てみい、とんだ上玉(じょうだま)じゃねえか。乞食なんかにしとくのは勿体ねえ」

 半次は女を手籠めにした。気絶から覚めた女が叫び、暴れ出したが、奴はニヤニヤしながら(なぶ)り者にした。

「いい玉だぜ。おめえも味見をするか」と半次が女の上に乗ったまま聞いた。

 俺は目を(そむ)けたまま、首を振った。半次は再び、女に熱中していった。女は諦めたのか、おとなしくなっていた。

「助けて‥‥‥」

 女のかすれた声が聞こえた。見ると半次が女の首を絞めながら腰を動かしていた。女は涙をためて俺を見つめている。俺は女から顔を背けた。その目に半次が乞食の男を殺した血だらけの石が目に入ったんだ。俺は無意識のうちにその石をつかみ、半次の頭を殴っていた。

 しばらく、俺は呆然と雨降る中、立ち尽くしていた。気がつくと半次はもう死んでいた。半次の下にいる女も首を絞められ、目を()いて死んでいる。俺は半次と女を引き離して、半次の死体を谷底に投げ捨てた。血にまみれた石も投げ捨て、女が身につけていた襤褸布は反対側の谷底に捨て、女の死体を背負うと香臭の方へ戻って途中の谷底に投げ捨てた。その時、地響きのような音がして、蟻の門渡りに戻って来ると崖崩れが起こっていたんだ。

 半次が女を手籠めにした場所は崩れ落ちて、なくなっていた。俺は恐る恐る下を覗いた。二つの死体は土砂に埋まって、まったく見えなかった。崖崩れが起きたのはよかったが、これじゃア二人の死体が見つからねえかもしれねえと心配した。後は成り行きに任せるしかねえと草津に帰ると、途中で山崎屋の番頭と出会ったんだ。番頭の話から例の乞食が本物の乞食じゃなかった事を知って驚いたが、もうどうしょうもねえ。二人の死体を見つけてもらうために崖崩れが起こった事を教えたんだ。

 別人になった俺は山十には帰らず、裏通りの小さな宿屋に泊まった。次の日、湯安で山崎屋が来ねえと大騒ぎしてるのと、山東京伝が草津に来てる事が噂になっていた。そして、京伝と一緒に一九や鬼武、月麿、そして、夢吉も一緒に湯安に滞在してる事を知った。

 俺は頬被りして顔を隠し、滝の湯の茶屋から湯安を見張ったが夢吉は出て来ねえ。湯安の中まで入って行って捜し出してえが、自分の顔を知ってる津の国屋や月麿がいるんで近づけねえ。そのうち、崖崩れの現場から死体が二つ見つかって相模屋と河内屋の二人だとわかり、うまく行ったとほくそ笑んだ。その日は夢吉の事を諦め、宿屋に引き上げた。

 そして今日、朝早くから湯安を見張ってると鬼武らが江戸に帰って行った。津の国屋と月麿は残ったが夢吉の回りの人数が減ったのは喜ばしい事だった。さらに見張ってると夢吉は京伝たちと桐屋に行き、芸者たちと落ち合って山へと出掛けて行った。山の中なら何とか、夢吉を取り戻せるかもしれねえ。夢吉に近づけなかった場合、芸者の一人を捕まえて人質にすりゃアうまく行くだろうと密かに後を追って行ったんだ。

 蟻の門渡りまで来て、俺は立ち止まった。現場ではまだ、山崎屋を捜しているはずだ。十手持ちの源蔵親分もいるに違えねえ。今日は諦めて引き返そうかとも思ったけど、もう我慢ができなかったんだ。早く、夢吉を連れて逃げたかった。わかるはずがねえと覚悟を決めて進んだのが(わな)だった‥‥‥

 雁字搦(がんじがら)めに縛られた相模屋清五郎は源蔵に引き立てられて草津に戻って行った。新三郎も若い者たちと一緒に引き上げて行った。





谷沢川にかかる吊り橋

谷沢川にかかる吊り橋








冗談しっこなしの創作ノート

1.草津温泉の年表 2.十返舎一九の年表 3.文化五年、六年の出版状況 4.文化五年、草津温泉の図 5.文化五年の草津温泉の様子 6.湯本安兵衛の湯宿 7.喜多川歌麿の略歴 8.喜多川月麿の略歴 9.山東京伝の略歴 10.艶本一覧 11.「草津温泉膝栗毛 冗談しっこなし」のあらすじ、主要登場人物




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