酔雲庵

戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門

井野酔雲

創作ノート




『戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門』のための年表





天文20(1551) 3月 湯本善太夫、湯本家を継ぐ。
5月 真田幸隆、戸石城を落とす
天文21(1552) 1月 北条氏、平井城を落とし、関東管領上杉氏を追う。
天文22(1553) 8月 真田源五郎昌幸(7)、人質として甲府に送られる。
天文23(1554) 3月 甲相駿3国同盟成立。
この年、湯本小三郎生まれる。 1歳
母は善太夫の妹、父は生須湯本三郎右衛門幸運。
天文24(1555) 北条幻庵、廐橋に入る。 2歳
弘治2(1556) 3月 善太夫の長女、ナツ生まれる。 3歳
弘治3(1557) 4月 瓶尻の合戦。父三郎右衛門、留守を守る。善太夫、負傷。 4歳
9月 弟、小四郎(甚左衛門)生まれる。
永禄2(1559) 9月 信玄の兵が安中、松井田に進出。この頃、出家し信玄を名乗る。 6歳
永禄3(1560) 鎌原宮内少輔、信玄に謁し、その幕下となり援を請う。 7歳
5月 今川義元、桶狭間山にて織田信長に敗れる。
7月 善太夫の次女、アキ生まれる。
8月 長尾景虎、上杉憲政と共に八千余の兵を率いて上野進撃。
11月 斎藤憲広(55)は羽尾道雲(57)と結び、塩谷将監入道ら鎌原を攻める。
永禄4(1561) 3月 景虎(32)、関東の兵を率いて小田原を攻撃、包囲する 8歳
父、三郎右衛門は留守を守る。
閏3月 景虎、鎌倉鶴ケ岡八幡宮で関東管領に就任する。政虎と改名。
5月 弟、小五郎(新左衛門)生まれる。
6月 政虎、帰国する。
6月 長野業政(63)没する。右京進氏業、跡を継ぐ。
8月 真田幸隆、岩櫃城を攻める。和睦。
10月 鎌原、羽尾合戦。
11月 政虎、関東に出陣。
12月 信玄、氏康と共に倉賀野城の倉賀野左衛門五郎直行を攻める。
永禄5(1562) 2月 政虎、館林城を落とす。館林城には長尾景長が入る。 9歳
3月 政虎、佐野城を攻め、帰国する。
信玄、鎌原、羽尾領を検地し境界線を決める。
鎌原宮内少輔、信州に退去。
6月 羽尾道雲、万座の湯に出掛ける。
その留守に真田幸隆、羽尾館を略奪。
道雲(59)、信州高井野に落ちる。
善太夫、一徳斎に従う決心をする。
9月 道雲、鎌原と戦うが敗れ、斎藤憲広を頼り岩櫃城下に落ちる
信玄、上野へ出兵し、箕輪、総社、倉賀野城を攻める。
12月 輝虎、雪の中、関東に出陣
永禄6(1563) 6月 輝虎、帰国。 10歳
9月 真田幸隆、信玄の命を受け、岩櫃城を攻撃する。
善太夫、出陣、父三郎右衛門、留守を守る。
幸隆、諏訪神社別当大学坊、雲林寺僧を使者とし善導寺僧を仲に和議。
羽尾道雲、長野原城を攻める。常田伊予守戦死。
10月 草津の冬住み始まる。父三郎右衛門も善太夫に従い出陣する。
真田幸隆、岩櫃城落城させる。湯本次郎右衛門、戦死する。
斎藤憲広、武山にこもる三男城虎丸を残して越後に逃げる。
11月 真田幸隆(51)、吾妻郡の守護代となる。
善大夫、三枝松土佐守、鎌原宮内少輔らと岩櫃城代となる。
善太夫、鎌原宮内少輔ら、羽尾道雲を攻める。道雲、大戸に逃げる。
12月 信玄が倉賀野城を攻めたため、謙信、雪をおかして関東に出陣。
永禄7(1564) 1月 湯本善大夫、武田信玄に白根硫黄5箱を贈る。 11歳
2月 信玄、湯本小次郎に草津湯および沼尾25貫文を安堵。
信玄、善太夫の本領安堵、羽尾領内立石、長野原170貫文の地を加増。
善太夫、長野原城主となる。以後、父三郎右衛門、草津を守る。
信玄、鎌原重澄に赤川南200貫文の地を先約により与える。
3月 輝虎、二千の兵を嶽山に贈り援護する。
信玄、岩櫃城へ信州より救援の兵を送る。
4月 輝虎、佐野、桐生氏を服属させ廐橋に帰城し越後に帰る。
円覚坊、東光坊を連れて、岩櫃城内の善太夫の屋敷に来る。
東光坊、長野原城下に屋敷を貰い、母(47)、妻(22)、長男(3)を呼ぶ。
5月 信玄、上野出陣、倉賀野城を落とす。
10月

湯本三郎右衛門、家子宮崎陣介、横谷信濃守、横谷左近、鎌原岩見、西窪治左衛門ら、羽尾幸全道雲を攻める。

11月 輝虎、関東に出陣する。
永禄8(1565) 3月 妹、しほ(河原右京綱家妻)生まれる。 12歳
5月 善太夫の三女、ハル生まれる。
10月 斎藤憲宗、嶽山に入城。上杉氏、援護の兵を嶽山に送る。
真田幸隆、和談を申し入れ、池田佐渡守重安を寝返らす。
11月 湯本善大夫(35)ら嶽山を攻める。父三郎右衛門も参戦。
嶽山落城。善太夫、負傷する。
輝虎、関東出陣。
信玄、池田佐渡守の本領安堵
12月 真田幸隆、岳山に池田佐渡守、川原左京、鎌原、湯本らを城代として置く。
永禄9(1566) 5月 輝虎、帰国する。 13歳
湯本善大夫、信玄より、羽尾領林村内20貫文の地を加増される。
海野兄弟、吾妻郡代となる

浦野、植栗、湯本、鎌原、西窪、横谷諸氏は真田幸隆預かりとして除外し、富沢以下70余騎は海野兄弟の配下となる。

閏8月 由良成繁、宇都宮、皆川、成田などの諸将が北条氏康に通じ、輝虎に背く。
9月 武田軍に攻められ箕輪城落城。
室田鷹留城主長野業通、長野原に逃げる。
父、湯本三郎右衛門幸運(35)、箕輪攻めにて、摺臼峠にて戦死。
10月 廐橋城の北条高広、妻子を捨て、北条氏政に応じ、輝虎に背く。
11月

輝虎、関東に出陣するが利根郡確保して下野へ向かう通路を確保するのが精一杯。

この年、昌幸の長男、源三郎信幸、甲府で生まれる。母は山の手殿。
永禄10(1567) 1月 善太夫、三郎右衛門の遺児、小三郎、小四郎、小五郎、しほを養子にする。 14歳
湯本小三郎、元服し、三郎右衛門幸綱と名乗る。
三郎右衛門、瑞光坊を名乗り白根神社に入り、東光坊の元で修行を積む。
2月 輝虎、沼田城にあり。
信玄、内藤修理亮昌豊とその子昌月を箕輪城に配置する。
4月 輝虎、参陣要求に応じない佐竹義重と断交。帰国する。
草津にて打ち壊しが起こり、村半分が焼け落ちる。
5月 信玄、惣社城の長尾氏を攻略。利根川西の西上野の武田支配確立。
信玄、草津入湯を停止する
10月 輝虎、佐野城を攻める。11月22日帰国。
この年、昌幸の次男、源次郎信繁生まれる。母は山の手殿。
永禄11(1568) 1月 東光坊と共に旅に出る。小田原で小野屋の女将(ナツメ)と会う。 15歳
北条幻庵の屋敷で、幻庵の娘、琴音と出会う。
吾妻勢、柏原城を攻略する。
3月 大峯山の奥駈け行をする。
7月 京都の上泉伊勢守の道場に入門する。
9月 織田信長、新将軍を伴い入京する。
12月 信玄、駿河に進攻して駿府を占領する。今川氏真、掛川に逃げる。
三郎右衛門、旅から帰る。
北条氏と上杉氏との同盟のための交渉始まる。由良氏が裏で活躍。
永禄12(1569) 1月 北条氏康、武田信玄、駿河にて戦う。 16歳
三郎右衛門、東光坊と共に旅に出る。小田原で琴音と再会する。
2月 京都の上泉伊勢守の道場で武術修業。
5月 今川氏真の掛川城、徳川軍に落とされる。
9月 信玄、信濃佐久郡より碓井峠を越えて上野に進攻。
10月 信玄、小田原城を攻める。三増峠合戦。円覚坊、右腕を失う。
11月 輝虎、沼田城に入る。
12月 信玄、駿河に進攻、蒲原を攻める。城主北条新三郎綱重(幻庵の子)戦死。
今川氏真は小田原に逃げ、氏康に保護される。
琴音、北条三郎と祝言を挙げる。
三郎右衛門、旅から帰る。
永禄13(1570) 1月 輝虎、上野、川田、藤田の三将を沼田城代にする。 17歳
2月 三郎右衛門、東光坊と共に旅に出る。
真田にて、矢沢薩摩守の孫娘、松と会う。
輝虎、沼田参陣の命に服さない佐野昌綱を攻めて降ろす。
3月 北条氏康と上杉輝虎、盟約する。上野国は上杉領となる。
北条高広、謙信に帰参が許される。
輝虎、由良氏を牽制するため赤堀上野守を保護する。
元亀元 5月 北条三郎(景虎)と輝虎の姪との婚儀が行なわれる。
三郎右衛門、越後府中で小野屋の女将と出会う。
6月 三郎右衛門、甲府に行く。
7月 京都の上泉伊勢守の道場で武術修業。
9月 三郎右衛門と琴音、草津で再会。
10月 信玄の廐橋侵略の報に、輝虎、上野出陣。まもなく帰国。
琴音、北条四郎と祝言を挙げ、小机城に入る。
元亀2(1571) 10月 北条氏康(1515−,57)没。 18歳
12月 輝虎、上野に出陣。
北条氏政が信玄と和して輝虎と断つ。
今川氏真、小田原を去り、浜松に向かう。
三郎右衛門、修行を終え、義父善太夫の元に帰る。
元亀3(1572) 閏正月 武田北条の両軍、輝虎と利根川を境にして対陣。 19歳
4月 善太夫の長女、アキ、小草野新五郎に嫁ぐ。
輝虎帰国。
8月 武田軍、白井城を攻める。
三郎右衛門、兜首を取り活躍する。
11月 輝虎、関東出陣。ほどなく帰国。
元亀4(1573) 3月 白井城が上杉軍に奪われる。 20歳
4月 武田信玄(1521−,53)没。
信玄の死後、謙信は白井の長尾氏に吾妻進攻を命じる。
6月

長尾氏は植栗河内守、湯本左京進、荒牧宮内少輔の守る柏原城を攻め落とす。

岩櫃城代海野氏は富沢但馬、植栗河内、渡、忍びの達人八右衛門らに柏原城を奪回させる。

天正2(1574) 2月 輝虎、沼田城に入る。 21歳
4月 輝虎、北条氏政と利根川に対陣。5月帰国。
5月 真田幸隆(1513−,62)病死する。源太左衛門信綱、後を継ぐ。
9月 輝虎、関東出陣。
11月

輝虎、鉢形、松山、成田、忍、深谷、古河、栗橋、館林、騎西、岩槻を40日にわたって攻め、廐橋に戻る。12月帰国。

真田信綱、四阿山別当職を安堵する。

この年、北条高広、引退して安芸守を名乗り大胡城に移り、嫡子丹後守景広が跡を継ぎ廐橋城主となる。

12月 輝虎、剃髪して謙信と改名。
天正3(1575) 4月 武田勝頼、徳川家康の部下奥平信昌の守る三河長篠城を包囲する。 22歳
5月

長篠の合戦にて、真田信綱(38)、同昌輝、禰津元直、禰津月直、望月甚八郎、常田永助、河原正良、河原正忠、河野通秀戦死。

吾妻武士‥‥富沢勘十郎(但馬守嫡子)、富沢治部少輔、鎌原筑前守重澄戦死。

湯本善太夫も負傷し死す。
円覚坊戦死。植栗河内守、横谷左近重傷。その他多数。
6月 三郎右衛門幸綱(22)、湯本家を継ぐ。
跡部勝資、浦野義見斎に善太夫老母へ粗略がないように命じる。
7月 海野幸光、羽尾の宗泉寺を創建する。
8月 北条氏、上総東金城を攻める。
9月 三郎右衛門、矢沢但馬守の娘、松(1560-,16)を嫁に貰う。
10月 本願寺顕如、織田信長と和睦する。
真田昌幸、河原隆正に真田町屋敷年貢を宛てがう。
11月 真田昌幸、頼甚に四阿山別当職を安堵する。

勝頼が長篠で戦死した望月昌頼の家に武田信豊の娘を養子とし望月の家督を継がせる。

12月 浦野宮内左衛門、勝頼から戦闘の準備を命じられる。
天正4(1576) 1月 勝頼、海野幸光、輝幸を岩櫃城代に任じる。 23歳
2月 織田信長、安土城を築き移り、信忠を岐阜に置く。
3月 真田昌幸、榛名山に禁制を出す。
5月 白井勢に柏原城を奪われる。
6月 三郎右衛門、柏原城を奪い返す。
6月

武田勝頼、極楽院に下箕輪内、前和田内の地を安堵し、西上州年行事職に任じる。

勝頼、極楽院に西上州の山伏の上洛を禁止する。
8月 北条氏政、足利義昭の命に従い甲相越三国同盟に同意する。
勝頼、助左衛門に西上州の砥石採掘を安堵する。
9月 北条勢、女淵城(粕川村)を上杉勢から奪回する。
11月 上杉謙信、加賀、能登に出陣し、能登国七尾城を囲む。
天正5(1577) 1月 勝頼、氏政の娘を娶る。 24歳
2月 織田信長、紀伊雑賀衆討伐。
3月 勝頼、妙義神社に鰐口を奉納する。
4月 北条氏邦、某太郎左衛門に西上州から砥石の事を命じる。
6月 北条氏舜、鬼怒川にて佐竹・宇都宮氏等と対陣。
閏7月 勝頼、領内の15〜60歳の人々に出陣を命じる。
氏政、結城勢と戦い勝つ。
10月 松永久秀、自殺。
11月 義氏、氏政・氏直に里見義弘との和睦を祝す。
天正6(1578) 3月 上杉謙信(49)死す。景勝と景虎両養子に家督争いが起こる。 25歳
・景虎方‥‥‥廐橋城の北条高広、沼田在番衆の上野家成・河田重親ら。
5月

沼田城は北条氏の手に落ち、藤田能登守信吉、金子美濃守らが城将に任じられる。

海野幸光、矢倉鳥頭社に鰐口奉納。
深沢利重、上杉景勝方として猿ケ京を攻める。
氏政、弟景虎救援のため越後に向かい出陣、河越に着陣。
景虎、会津の蘆名氏に誼みを通じる書状を送る。
6月 上杉景勝、武田勝頼と同盟を結ぶ。
由良成繁・国繁、上杉氏の動静を北条氏政に伝える。
氏政、河田重親に景虎への助勢を求める。
由良成繁・国繁、長尾憲景に北条父子の動静を伝える。
8月 勝頼、景虎と景勝の和平を取り結ぶ。まもなく、破談。
9月 景虎の求めに応じ、北条高広・景広父子は越後国北条まで出陣する。
上杉景虎、本庄繁長と鮎川盛重の所領争いを調停する。
北条父子、栃尾城将本庄秀綱と共に景虎の下に着陣、旗持城などを攻撃する。
天正7(1579) 2月 北条景広、上杉景勝方に敗れ深手を負う。 26歳
3月 上杉景勝、御館城に同景虎を攻め陥れる。上杉憲政没する。
景勝、景虎を鮫尾城(新井市)を攻撃し、この日、城は落ち景虎(25)自殺。
5月 氏政、由良国繁に深沢・五覧田(黒保根村)の地を与える
織田信長、安土天主に移る。
北条氏邦、猿ケ京城を攻める。
6月 北条氏政、田村与五郎に猿ケ京番衆に命じる。
7月 氏邦、沼田城を陥落間近まで追い込む。
武田勝頼、北条方の廐橋城を奪い取る?
北条氏、沼田城を攻め落とし入城する。
8月 北条高広、北条右衛門尉の働きで勝頼と結ぶ。
9月 長尾顕長、北条氏直に敵の小山表出陣を伝える。
氏政、家康と盟約を結び駿河に出陣、勝頼と対陣する。
10月 勝頼の妹菊姫、上杉景勝と婚姻する。
11月 猪股助盛、三夜沢赤城神社神主の本領を安堵する。

この年、岩櫃城代海野兄弟、沼田を攻略しようとして岩下鳥頭明神に鰐口を奉納する。

柏原城を守る植栗河内守、湯本左京進、荒牧宮内少輔ら、白井の長尾憲景の軍勢に城を奪われる。

この頃の武田氏の上野支配は跡部尾張守勝資・内藤大和守昌月・土屋右衛門尉昌恒が奉行となって進められ、上野北部については真田昌幸が担当した。

天正8(1580) 1月

海野能登守を大将として、湯本三郎右衛門、同左京進、鎌原石見、横谷左近、浦野平兵衛、蜂須賀伊賀ら、羽尾氏の守る大柏木城に夜襲。

27歳
北条氏政、不動院に東上州年行事職を与える。
氏政、伊達輝宗の家臣遠藤基信に書状を送る。
2月

真田昌幸、名胡桃城の小川可遊斎と鈴木主水重則を降ろし、名胡桃城に入る。

北条氏、武田勢と深沢で戦う。
氏政、沼田城、廐橋城の守りを固める。
氏邦、山上城で敵を打ち取った北爪将監の戦攻を賞する。
3月 内藤昌月、白岩長谷寺の再建を棟札に記す。
勝頼、沼田城攻略の際、浦野民部左衛門尉に知行地の宛行いを約束する。

湯本三郎右衛門、海野長門守、鎌原庄左衛門、横谷、西窪、浦野、富沢、池田佐渡、深井、蜂須賀、菅尾、稲田ら、大戸城主真楽斎を降ろす。

昌幸、海野長門守に吾妻領を委ねる。
武蔵鉢形城主北条氏邦、白井城主長尾憲景と共に、真田勢と戦う。
この日、真田勢、長尾憲景を権現山に破る。
湯本左京進、唐沢玄審等、竹下・かしが瀬・滝合を守る。
・真田昌幸、この頃より安房守を名乗る。
閏3月 信長、本願寺と和睦し、石山合戦終わる。
矢沢頼綱、沼田城を攻撃し勝利した事を勝頼から賞される。
4月 金子美濃守泰清、渡辺左近允綱秀ら、名胡桃城に進出して来た昌幸に降伏。
渡辺氏、柏原城主となる。
尻高中山氏、昌幸に降りる。
5月 藤田能登守信吉、昌幸に降伏し、沼田城を開城する。
◇沼田城を受け取る真田軍。

先陣は海野中務大輔、その被官佐藤軍兵衛。池田甚次郎、植栗河内守、鎌原宮内少輔、浦野七左衛門。昌幸の馬廻りは春原、上原、宮下、深井、木村、大熊、川合、矢野半左衛門。

後陣は出浦上総介?、鈴木主水、原沢大蔵、深瀬隼人、山口式部、広田弾左衛門。殿軍は北能登守、師大助。

馬添には富沢豊前。小荷駄奉行は唐沢玄審、富沢主計。
・沼田在番は海野長門守、海野能登守、金子美濃守、渡辺左近ら。
昌幸、岩櫃・沼田両城の在番衆の軍令を定む。
6月 昌幸、沼田城の無血入城。
上杉方沼田倉内城代藤田信吉、武田氏に内通し、同城は武田支配下となる。
7月 小川可遊斎、勝頼から替え地として師(伊勢崎市)18貫文の地を宛てがわれる。
岩井堂城の戦い。
8月 猿ケ京城落城。尻高義隆自刃。
真田昌幸、廐橋北条勢を討たんとして、沼田を出陣する。

湯本三郎右衛門、その先陣として不動山城を陥れる。湯本左京進、その脇を備える。

◇真田軍 先陣七百余騎、真田隠岐守昌君、海野中務大輔、金子美濃守、久屋三河守、渡辺左近允、西丸市之丞、湯本三郎右衛門
前備五百余騎、中山安芸守、鎌原宮内少輔、和田主水、下沼田豊前守。
左脇三百余騎、海野七左衛門、湯本左京進、加茂大膳。
右脇二百余騎、春原勘左衛門、塩谷掃部介、富沢伊予守、津久井刑部左衛門。
北条氏直、家督を相続する。
9月 海野輝幸、沼田城代となる。
勝頼、新田、小泉、館林を攻撃し、さらに膳城を攻め河田備前守らを討ち取る。
昌幸、横尾八幡城を攻める。
10月 北条勢、東上野で武田勢と戦う。
11月 柴田勝家、加賀一向一揆を平定する。
12月 勝頼、新田金山城を攻撃するが失敗する。
古城落城、尻高摂津守、火塚にて戦死。
横尾八幡城落城。
天正9(1581) 1月 勝頼、韮崎に新城を築くため国中の人夫を徴発する。 28歳
真田昌幸、普請奉行の一人となり甲斐に赴く。
尻高小矢野城落城、尻高氏滅ぶ。
2月 勝頼、矢沢頼綱の戦功を賞し太刀を遣わす。
勝頼、沼田景義暗殺の功により金子美濃守泰清に川西1000貫文の地を宛行う。
3月 昌幸、海野幸光に吾妻諸氏の統率・合力を依頼する。
昌幸、海野民部に参陣を促す。
大戸真楽斎兄弟、高天神城において戦死?。
4月 勝頼、3人の家臣に草津湯治を認め、湯本三郎右衛門に伝える
6月 真田昌幸、沼田に帰り、付近の調略に当たる。
勝頼、岩櫃・中山・沼田城等の城普請を昌幸に命じる。
7月 昌幸、沼田攻略の戦功により石田主計佐ら11人に所領を宛てがう。
昌幸、子持山参詣。
9月 真田昌幸、岩櫃城より善導寺に参詣する。
武田勢、伊豆に侵攻する。
10月 織田信長、滝川一益を使者として小田原に送る。
11月 北条家の重臣笠原政堯、勝頼に内応する。
三郎右衛門ら、海野兄弟を討つ。
岩櫃城は池田、鎌原、湯本に預けおく。
12月 武田勝頼、甲斐国韮崎の新府城に移る。
氏政、三島に出陣する。
天正10(1582) 1月 木曽義昌が武田を裏切り、信長に属す。 29歳
昌幸、善導寺へ寺領寄進、その他領内の社寺に寺領を寄進する。
2月 武田勝頼、諏訪に出陣。
真田昌幸、信濃邦諏訪郡の勝頼の元を発し、その日のうちに岩櫃に着く。
北条氏、戸倉城・三枚橋城を攻略する。
3月 勝頼のための御殿が岩櫃城内に完成する。
北条氏、深沢城を攻略。
北条氏政、氏邦に大戸を落城した事をねぎらう。

真田昌幸の母、長男源三郎信幸、その弟藤蔵、源五郎、姉、矢沢頼綱の娘、祢津の娘、室賀の娘ら新府を発ち、吾妻郡に向かう。

海野中務少輔、三郎右衛門、鎌原宮内少輔等、昌幸の母子らを迎える。
武田勝頼(37)、自害する。武田家滅亡。
この時、滝川一益、織田徳川の先鋒を務め、西上州一帯を鎮圧する。




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