酔雲庵


尚巴志伝

井野酔雲







山南王




 夏真っ盛りの暑い日々が続いていた。

 ヒューガが佐敷を去ってから二か月が過ぎ、南部の各地に山賊が出没して、食糧が奪われたとの噂が流れて来た。また、その山賊の仕業かどうかはわからないが、貧しい村に、食糧が天から降って来たという噂も流れていた。

 島尻大里(しまじりうふざとぅ)の城下にある『よろずや』も商品が増えて来て、主人のキラマは売り子を雇い入れたらしい。大した物は売っていないけど、価格が安いし、交換もしてくれるというので、貧しい人たちに重宝がられているようだ。

 旅に出た祖父とヤグルーはどこにいるのか、一度も帰って来なかった。久高島にいる父からも何の連絡もない。うまく行っているとは思うが気になっていた。

 マチルギはミチが生まれたばかりだったため、今年は旅に行こうとは言い出さなかった。もう南部地方はだいたい見て回ったので、気が済んだのかもしれない。来年は中部地方を回ろうと言い出すかもしれなかった。

 マチルギの提案で、侍女とは別に、グスク内の屋敷を守る女子(いなぐ)サムレーというのが編成されて、十二人の娘が選ばれていた。

 サハチたちの暮らす一の曲輪の屋敷と母たちが暮らす東曲輪(あがりくるわ)の屋敷は、女子サムレーが交替で警固する事になり、刀と弓矢を携帯し、非常時に身に付ける揃いの鎧も用意された。勿論、女子サムレーの隊長はマチルギである。マチルギは張り切っていた。今は十二人だけど、やがては百人以上の女子サムレーを育てて、馬に乗せて戦にも出て活躍するのよと言っていた。そいつは面白いとサハチは口では言ったものの、内心では、女子サムレーが戦に出るのはうまくないと思っていた。

 八月に大きな台風が来て各地で被害が出たようだが、佐敷ではそれ程の被害を受けずに済んでホッとした。秋の気配が感じ始めた頃、サハチの部屋にトゥミが現れた。

 トゥミはどこにでもいる村の娘という格好で、サハチに声を掛けると静かに部屋に入って来た。十七歳と聞いているが、小柄で童顔なので年齢よりもずっと若く見えた。トゥミとムトゥの二人は四月からウニタキの配下になっていた。

「忍び込んで来たのか」とサハチはトゥミに聞いた。

 トゥミは黙ってうなづいた。

 サハチは苦笑した。

「このグスクなら忍び込むのも簡単だろう」

 トゥミはもう一度、うなづいた。

 守りを強化したいが、それはできなかった。島添大里(しましいうふざとぅ)按司に不信感を抱かせてはならない。何も気づかない馬鹿を装っていなければならないのだった。

「お頭からの言伝(ことづて)です」とトゥミは言った。

「城下のある研ぎ師のハンルクの家までいらしてほしいとの事です」

「わかった」とサハチはうなづいた。

 トゥミは頭を下げると静かに部屋から出て行った。サハチが廊下を覗くと、すでにトゥミの姿はどこにもなかった。

「大したもんだ」とサハチはつぶやき、侍女のチルーに出掛ける事を告げて城下に出た。

 研ぎ師のハンルクは二か月程前に奥間(うくま)からやって来て、鍛冶屋(かんじゃー)のヤキチの家のそばにあった空き家を借りていた。ヤキチから紹介されて一度会っている。腕がいいというので、父が使っていた太刀を研いでくれと頼んだが、ウニタキとつながりがあるとは知らなかった。

 ハンルクの家でウニタキは待っていた。坊主頭に鉢巻きを巻いて、いつもの猟師の格好だった。仕事場にはハンルクの姿はなかった。

 サハチは部屋に上がると、「ハンルクは?」とウニタキに聞いた。

「仕上げた刀を持って出て行った」

 部屋の中には刀掛けがあって、預かっている刀がいくつも並んでいた。サハチが預けた父の太刀もあった。

「お前の配下なのか」と並んでいる刀を見ながらサハチはウニタキに聞いた。

「噂は聞いていたんだが、どこにいるのかわからなくてな。ようやく見つけ出して、仲間に加わってもらった」

「そうか。うまく行っているようだな」

 サハチがウニタキの前に座るとウニタキはうなづいて、「山南王(さんなんおう)が亡くなった」と言った。

「何だと!」

 サハチは驚いて、ウニタキの顔を見つめた。

 重い病を患っているとは聞いていたが、少し早すぎるような気がした。

「まだ公表していないが事実だ」

「そうか‥‥‥亡くなったのか。島添大里按司はすでに知っているだろうな」

「多分。叔父に当たるからな。知らせは行っているだろう」

「島添大里按司がどう動くかだな」

「奴は明との交易に本腰を入れている。現に今も、山南王の船を借りて明に進貢船(しんくんしん)を送っている。跡継ぎ次第では島尻大里を乗っ取るかもしれん」

「うむ」とサハチはうなづいた。

 島添大里按司の動き次第で、南部の状況が変わるかもしれなかった。

「引き続き、島尻大里と島添大里の状況を見守ってくれ」とウニタキに頼んで、サハチは佐敷グスクに戻った。

 途中、クマヌの屋敷に寄った。今日は非番なので屋敷にいるはずだった。

按司様(あじぬめー)がここに来るとは珍しい」とクマヌはサハチを迎えた。

「孫がいなくなって急に寂しくなってしまったわい」とクマヌは愚痴った。

 しばらく同居していたサムとマチルーは、去年の秋に女の子を産んで、クマヌはお爺ちゃんになっていた。今年の春、サミガー大主の隠居屋敷のそばに家を新築して移ってしまい、妻と二人だけになってしまっていた。

 サハチはウニタキから聞いた事をクマヌに話した。

「山南王が亡くなったか」と言って、クマヌはしばらく考えてから、「噂が流れて来るまでは、何も知らんという振りをしなくてはならんな」と言った。

「そうですね」とサハチはうなづいた。

 噂が流れて来たのは、それから半月後の九月の末だった。山南王が亡くなって葬儀も無事に済み、若按司が山南王と島尻大里按司の跡を継いだという噂だった。新しい山南王はまだ二十三歳だという。大叔父の島添大里按司が何かをたくらんでいるような気がした。

 十月になって、中山王(ちゅうざんおう)と山南王の合同の進貢船が明へと向かって行き、それからしばらくして、与那原(ゆなばる)の港に明から戻って来た進貢船が入って来た。その船は荷物を下ろしたあとも与那原の港に留まったままで、島添大里按司は山南王に返すそぶりは見せなかった。

 十一月の末、サハチがマチルギの部屋で、子供たちと一緒に朝食を済ませて自分の部屋に戻ると、ムトゥが静かに待っていた。

 毛皮の袖なしを着て、女猟師という勇ましい格好だった。体格がいいので後ろ姿だけを見たら男だと思ってしまう。顔を見ると体付きに似合わず可愛い顔をしていた。ムトゥはお頭が研ぎ師のハンルクの家で待っていると告げると去って行った。

 サハチはすぐにハンルクの家に向かった。

 仕事場でハンルクが刀を研いでいた。ハンルクは手を止めて頭を下げると目で部屋の方を示した。

 サハチは軽くうなづいて部屋に上がった。

「何だか急に寒くなったな」とウニタキは火鉢に手をかざしながら丸くなっていた。

「一年が過ぎるのが速いもんだ」とサハチは言って、火鉢を挟んでウニタキの向かいに腰を下ろした。

「新しい山南王の様子はどうだ」とサハチは聞いた。

「どうしようもない奴だな」とウニタキは呆れたような顔をして笑った。

「やはり、そうか」

「親父が亡くなって、おとなしくしていたのは一月だけだ。十月に進貢船を送り出すと、城下に隠しておいた四人の側室をグスクに呼び入れた」

「四人もいたのか」とサハチは驚いたが、ウニタキは表情も変えず、「四人のうち、二人は高麗(こーれー)の娘だ」と言った。

「高麗の姫様を側室にしたというのは聞いているが、もう一人、高麗の娘がいるのか」

「高麗の女が好きらしい。親父が長いこと(わずら)っていたので、グスク内では祝い事も自重していたが、その反動もあって、新しい王が就任してめでたいと、毎日のように(うたげ)を催して騒いでいる。見るに見かねて、島添大里按司が山南王に注意をしたが、逆効果だった。うるさい老臣たちを追放して、やりたい放題の事をやっている。あれでは自滅するのも時間の問題だろう」

「今の山南王は中山王の孫に当たるのだったな」とサハチはウニタキに確認した。

 ウニタキはうなづいた。

「母親が中山王の娘だからな」

「島添大里按司としても、中山王の孫には迂闊に手は出せないだろう」とサハチは言った。

「直接には手を出してはいないが、グスクから追放された老臣たちには手を差し伸べているようだな」

「外堀から段々と埋めて行って、乗っ取るつもりか。佐敷としては島添大里按司が島尻大里に行ってくれた方が都合がいい」

「一年もしないうちにそうなるかもしれんな。話は変わるが、先月、浦添と今帰仁が和解したようだ。今帰仁の方から和解を申し入れて、中山王が受けたらしい。浦添按司の娘が今帰仁の若按司に嫁ぎ、今帰仁按司の娘が浦添按司の次男に嫁ぐ事に決まったそうだ」

「お互いに人質の交換をするわけか」

「そういう事だな」

「今帰仁の按司は、山田按司に殺された帕尼芝(はにじ)の次男だと聞いているが、どんな男だか知っているか」

「去年、奥間からの帰りに調べてみたんだが、殺された先代の按司には三人の子供がいて、長男は殺された若按司、次男が今の按司で、按司になる前は本部(むとぅぶ)という所にいたらしい。三男は永良部(いらぶ)島にいるようだ。按司となった次男はミンという名で年齢(とし)は四十前後、妻は名護(なぐ)按司の娘らしい。ヤマトゥに行った事があるらしく、ヤマトゥ言葉は堪能で、暇さえあればヤマトゥの書物を読んでいるという。体を動かすよりも頭を使う人のようだ。中山と敵対するより仲直りして、明との交易を再開した方がいいと考えたのだろう。若按司は父親よりも祖父に似たらしく、武芸に励んでいる。朝早くから馬を乗り回し、弓の稽古も欠かさないという噂だ」

「成程‥‥‥中山王の思う通りに事が運んでいるようだな」

「その中山王も、あと何年かの命だろう。具合が悪いという噂はないが、七十を過ぎているからな」

「段々と世の中が物騒になりそうだな」

「物騒にならなければ、お前の出番は来るまい」とウニタキは笑った。

「そうとも言えるが、あと八年はじっと我慢だ。好きに動き回れるお前が羨ましいよ」

 それからしばらくして、島尻大里の城下に度々、山賊が現れてサムレーの屋敷を襲撃しているとの噂が流れて来た。山賊たちは夜明け前に馬に乗ってやって来て、抵抗する者は殺し、蔵に溜め込んだ米や財宝を盗んで、あっという間に消えてしまう。二十人近くはいるようで、山賊の首領は六尺(約一八〇センチ)以上もある鬼のような大男だという。

 サハチがマチルギとヒューガの噂をしていると、弟のヤグルーが真っ黒な顔をして帰って来た。

「懐かしいなあ」と言いながらヤグルーは屋敷を眺め、サハチとマチルギに、「ただいま、帰りました」と挨拶をした。

「爺さんはどうした。忘れて来たのか」とサハチは聞いた。

お寺(うてぃら)で兄貴を待ってますよ」

「親父と同じ事をしてるのか」とサハチは笑ってから、「旅はどうだった」と聞いた。

「面白かったです。知らない所に行くというのは胸がわくわくします。色々な人と出会って、色々な経験をして、旅をして本当によかったと思っています。来年も是非、行かせて下さい」

 マサンルーもそうだったが、旅から帰って来たヤグルーは随分と成長していた。目を輝かせながら語るヤグルーに、「来年も頼むぞ」とサハチは肩をたたいた。

 東行庵(とうぎょうあん)に行くと、祖父は文机の上に置いてある父が彫った観音(かんぬん)様をじっと見つめていた。

「お帰りなさい」とサハチは声を掛けた。

「この仏さん、誰かに似ているとさっきから考えているんじゃが、どうしても思い出せん」と祖父は言った。

「母さんじゃないですか」とサハチは祖父のそばまで行って観音様を見た。

「どうも違うようじゃな」

 サハチも母ではないと思った。フカマヌルでもないし、一体、誰なのかわからなかった。

「御苦労様でした」とサハチは改めて、祖父に頭を下げた。

「なに、礼を言われる程でもない。楽しい旅じゃった」

「長い旅でしたね」

「いや、あっという間の一年じゃった」

 祖父は元気そうだった。六十の半ばになるというのに、長年、海で鍛えた体は頑丈にできているようだ。サハチは祖父の満足そうな顔を見て安心した。

「若い者は見つかりましたか」

「最初は探すのに苦労したが、わりと簡単に見つけられるようになった。ガキ大将を探せばいいんじゃよ。どの村にもガキ大将はいる。そいつとヤグルーを戦わせて素質を見る。見込みのありそうな奴は、親と相談して話を付けるんじゃ。田舎の村はどこも貧しいからのう。口減らしになると言って許してくれる。(じに)など見た事もない親に多少の銭を渡せば、それで解決じゃ」

「成程、うまく行きそうですね。ただ、銭を見た事もない者たちに、銭を配って歩いたら噂になりそうですね。怪しまれなければいいのですが。それと、その銭を狙って襲う者も出て来ますよ」

「うむ。そんな奴らも何人かおったが、わしらの後ろには倭寇がいる。倭寇に逆らえば、村の者は皆殺しにされるぞと脅してやったわ」

「やはり、危険ですね」とサハチは祖父を心配した。

「それで、百人集めたのですか」

「ああ、百人は久高島に送り込んだつもりじゃが、実際に行ったかどうかはわからんのう。サグルーは何も言って来んのか」

「ええ。四月に師匠(ヒューガ)が久高島に行って、その時の様子は聞きましたが、その後は何の音沙汰もありません」

「そうか。年末くらいは帰って来るじゃろう」

 その三日後、父が帰って来た。

 サハチはまた東行庵に向かった。父は髭も剃って東行法師の格好に戻っていた。

 文机の上の仏像が三体になっていた。

「御本尊様が増えましたね」とサハチは笑った。

「どれも皆、観音様じゃがな」と父も笑った。

「お爺が旅から帰って来て、最初の観音様を見ながら誰かに似ていると言っていましたよ」

「こいつは妹のマナビーじゃよ」と父は言った。

「マナビー叔母さんでしたか」とサハチは観音様の顔を見て納得した。

 マナビー叔母さんは大グスクの武将に嫁いで、大グスクが落城した時に戦死していた。戦死したとはいえ、遺体を引き取る事もできなかった。サハチは観音様に両手を合わせた。

「これを彫っている時、なぜか、マナビーの事が思い出されてな。手が自然に動いたような感じじゃった。できあがったらマナビーの顔だったんじゃ。その時は涙が自然と流れてきたわ」

「マナビー叔母さんが、親父に何か言いたかったのかもしれませんね」

 父は黙って、マナビー叔母さんの顔を見つめていた。

 新しく彫った二つの観音様の顔は誰だかわからなかった。

「これはお前の母さんの妹じゃ」と父は観音像を示して言った。

「マナビーと同じように大グスクで戦死している。こっちはお前の曽祖母の我喜屋(がんじゃ)ヌルじゃ。どちらも掘り出したら自然とその顔になった。不思議なもんじゃ」

 母親の妹というのは子供の頃に会った事があるかもしれないが、サハチの記憶にはなかった。曽祖母は勿論、知らない。それでも、娘の我喜屋ヌルから話は聞いていた。

「曽祖母ですけど、亡くなる前に曽祖父の秘密をお爺に話したんですけど聞きました」とサハチは父に聞いた。

 ヤマトゥに行く前の事で、父に聞こうと思っていたが、すっかり忘れていた。

「何じゃ、秘密とは」と父は言った。

 祖父からは聞いていないようだった。

「あとで、お爺から聞いて下さい」とサハチは言った。

「ところで、百人集まったのですか」

 父は怪訝な顔をしていたが、「何とかな」と言った。

「ヒューガからの食糧も届いて順調に行っている」

「島の人たちは大丈夫ですか」

「実際にヤマトゥ(ぶに)が来たからのう。皆、倭寇(わこう)だと思っている。サイムンタルーから鉄鍋やら農具やトゥジャ((もり))などが贈られて、島の者たちは大喜びじゃ。ヒューガから送られて来た米も、島の者たちに分け与えているから大丈夫じゃろう。ただ、あの島だと三百が限度じゃろうな。三百になったら別の場所に移さなければなるまい。そこで問題になるのが(ふに)じゃ。わしはキラマの無人島に送ろうと思っているんじゃが、移動するには船がいる。何とか手に入れられんものかのう」

「船ですか」とサハチは考えた。

「船を操れる船乗りも必要ですね」

「そうじゃな」

 ヤマトゥからの帰り、サハチは船の操縦方法をサイムンタルーから習ったが、実際にできるかどうか自信はなかった。珊瑚礁の多い琉球の海で、大型の船を操るには、それなりの経験が必要だった。

「船の事は俺が何とかしますよ」とサハチは言った。

「みんなが苦労しているのに、俺が何もしないわけには行きませんからね。俺が船を持ったとしても島添大里按司は不審には思わないでしょう」

 父はうなづき、「あとで、よく考えよう」と言った。





島尻大里グスク




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